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陛下、それは猫ではなく後宮妃です!~姿を変えて、冷徹皇帝の溺愛本音を聞いてしまいました~  作者: 及川 桜@『後宮の料理妃2』発売
第三章 冷徹皇帝の本音が甘すぎます

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 夜がすっかり更け、璃華はいつの間にか、黎煌の膝の上で眠ってしまっていたらしい。

 仕事を終えたのか、黎煌が立ち上がる動きで、璃華はふわりと抱き上げられ、その揺れで目を覚ました。


(黎煌様……こんな遅くまで政務をこなされて。お体は大丈夫なのかしら)


 璃華は大人しく、その腕に抱かれたまま移動する。どこへ向かうのかと思えば、辿り着いたのは、絹の御帳がかけられた寝台だった。


(ちょ、ちょっと……寝台はさすがに良くありません! 猫とはいえ……いえ、猫だからこそ、陛下の御寝台に上がるなんて、もってのほかですっ!)


 寝台にそっと降ろされた璃華は、あわてて身を翻し、軽やかに飛び降りた。


「小璃、どうした? 一緒に寝よう」


 黎煌は不満げに、璃華を見下ろす。


(だ、だめですっ。さすがに、それは越えてはならぬ一線です!)


「小璃が側にいてくれないと、寝られないよ」


 普段の黎煌なら、決して口にしないような台詞。

 その一言に璃華はあえなく崩れ落ち、しずしずと寝台へと戻った。


「いい子だ。一緒に寝よう」


 そう言って、黎煌は璃華を抱いたまま寝台に身を横たえた。

 麗しい顔がすぐ目の前にある。

 璃華の心臓は高鳴りっぱなしで、とても眠れる気がしなかった。


(ああ、黎煌様……近い、近すぎますっ!)


 まさか、こんな形で寝所に侍ることになるとは。

 妃としてではなく、猫として、こうして抱かれる日が来ようとは思いもしなかった。どうしてこうなったのかと、頭が痛くなる。

 けれど、黎煌はよほど疲れていたのか、璃華を抱いたまま、すぐに静かな寝息を立て始めた。


 その顔は、穏やかで、とても安らかだった。見惚れるほど、美しい。

 本来なら、入内したあの夜。妃としての務めを果たし、こうして共に床に伏し、朝を迎えていたはずだった。

 全てを壊してしまったのは、他ならぬ璃華自身だ。


 けれど……猫の姿でさえ、こうして抱かれるだけで体がこわばってしまうのに、妃としての務めなど、本当に果たせただろうか。

 ただ、せめて。あの夜、思いを言葉にできていれば。こじれることも、すれ違うことも、なかったかもしれない。


(今なら、勇気を出して伝えられるのに……)


 もどかしさを抱えたまま、璃華はそっと目を閉じた。

 黎煌のあたたかな腕の中で――静かに、眠りについた。



 黎煌の朝は、どうやら朝日が昇るよりも早く始まるらしい。

 空がまだ薄明るさを帯びる頃、彼は静かに目を覚ました。


「小璃も起こしてしまってすまないな。だが、皆にお前を紹介しておかねば、ただの猫と思われて宮殿から追い出されてしまうかもしれぬ」


(それは困るわ)


 璃華も、思わず同意した。

 寝ているところを起こされたことに関しては、何の不満もない。

 黎煌が文机で政務に向かっていた間、璃華は膝の上で眠っていたのだから、睡眠が足りていないのはむしろ黎煌の方ではないだろうか。

 彼が寝たのは夜もかなり更けてからだった。きっと、ほんの数刻しか休めていないはずだ。


「小璃を抱いていたからか、いつもより深く眠れた気がする。体が軽い」


 璃華は密かに黎煌の体調を案じていたが、どうやら大丈夫なようだった。

 実際、彼の顔色はいつもより明るく見えた。

 黎煌は璃華をそっと抱き上げたまま、静かに寝所を出る。


火房かぼうに、朝の霞を頼む」


 低く、控えていた宦官にそう告げる。


(朝の霞? もしかして朝食のことかしら)


 璃華が戸惑っている間にも、黎煌は寝所の奥へ、回廊を隔てた静かな一角へと歩を進めていた。

 そのまま、さして意に介した様子もなく、殿舎へと向かう。

 玉瓦をいただく軒の下。

 朱塗りの扉の隙間からは、ほのかに白い湯気が立ちのぼり、朝の静けさに溶け込むように揺れていた。


(もしかして、ここって……)


 湯殿だと気づいた瞬間、璃華は内心で慌てふためいた。

 けれど黎煌はまるで気にする様子もなく、当然のように殿舎内へと足を踏み入れていく。


「昨夜より湯を温めておりました。いつでもお入りいただけます」


 湯使たんしが恭しく頭を下げてそう告げると、音もなく退室していった。

 静まり返った空間に、衣ずれの音がひときわ響く。

 その中で、黎煌は何のためらいもなく衣を脱ぎはじめた。


(えっ……ま、まさか、ここで脱ぐんですか⁉ あ、あの、私、ここにいますけどっ⁉)


 璃華が心の中で絶叫するのも知らず、黎煌は器用に片手で外套を脱ぎ、すらりとした上半身をあらわにする。

 均整の取れた身体には、凛とした力強さと甘美な色香が宿っていた。


(ひゃあ……っ)


 璃華の思考は、一瞬で真っ白になる。

 だが、さらなる危機が――。黎煌の手が、腰ひもへと伸びたその瞬間。


「ニャーッ!」


 璃華は大声で鳴き叫びながら、勢いよく黎煌の腕から飛び降りた。


「どうした、小璃?」


 艶やかな色香をまとった黎煌を、璃華はまともに見ることすらできない。

 顔を背け、閉ざされた扉へ駆け寄ると、前足でガリガリと必死に爪を立てた。


(だ、だめですっ! もう限界っ……見てはいけませんっ!)


「何を恥じらっている、猫だろう? いや、湯に慣れておらぬのか」


(違いますっ! 猫だけど、中身は人間なんですっ! お願いだから油断しないでええぇっ!)


「湯には入れぬから、大人しくここで待っておれ」


(無理ですっ! 見てはいけないものを、見てしまいますうっ!)


 璃華は器用に扉に前足をかけ、爪でカリカリと引っかくようにして、横に軽く引いた。

 少しだけ開いた隙間から身をねじこみ、なんとか脱出に成功する。


「おいっ!」


 すぐに黎煌が扉を開き、後を追ってくる。

 その向こうには、数人の宦官たちと、湯殿の前でちょこんと座り込んでいる猫の姿があった。

 逃げ出してはいなかったことに、黎煌はほっとしたように小さく息をつき、やがて猫の璃華に語りかける。


「そんなに嫌か……。では、余が上がるまで、そこで待っているのだぞ」


 璃華は「ニャー」と素直に返事をした。

 そのやり取りを見た宦官たちは、目を丸くして黎煌と猫を交互に見比べる。


「猫が逃げぬよう、見張っておれ。だが、くれぐれも触るなよ。小璃は、余のものだ」


「はっ!」


 宦官たちは即座に頭を下げ、主命に従った。

 黎煌はようやく安心したように小さく頷き、湯殿へと戻っていく。

 なんとか危機から脱した璃華だったが、宦官たちは「触らずに見張れ」という命に戸惑い、右往左往していた。

 その様子を見た璃華は、素直に扉の前に座り込み、静かに黎煌の帰りを待つことにしたのだった。


 やがて湯殿から上がった黎煌は、宦官の手によって整えられた衣をまとい、すっかり皇帝の威厳を取り戻していた。

 険しい顔つきに、凛とした風格。

 威風堂々と外廷へと歩むその姿に、誰もが思わず道を開ける。


 ――ただし、腕の中に猫を抱えているという一点を除いては。


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