第6話
第六話 薄膜の少女と氷華の五つ星
外棟にも、実技の時間は、あった。
訓練場は、本棟と、共用らしい。広い石畳の闘技場が、いくつも区切られていて、その、いちばん隅の一区画が、外棟に、あてがわれていた。
マルク先生が、訓練体を一体、運んでくる。入試で見た、あの灰色の像と、同じものだ。
「今日は、防御の訓練だ。訓練体の攻撃を、各自のスキルで、しのげ」
最初に呼ばれたのは、リシアだった。
リシアは、訓練体の前に、立った。背筋は、昨日と同じ。まっすぐ、伸びている。
訓練体が、腕を、振り上げた。
「《薄膜》」
リシアの前に、うすい、ガラスのような膜が、張られた。
訓練体の腕が、振り下ろされる。膜に、当たる。
——ぱきん。
膜は、あっけなく、割れた。
「……防御、失敗。耐久、不足」
マルク先生の声は、淡々としていた。
リシアは、唇を、噛んだ。けれど、何も言わずに、下がってくる。その手のひらに、薄く、汗がにじんでいるのが、見えた。
たぶん、彼女は、何度も、これを練習してきたのだ。何度張っても、膜は、割れる。それでも、張るのを、やめなかった。指の節の、皮の硬さが、それを、語っていた。
俺は、その一部始終を、見ていた。
そして、引っかかった。
訓練体の腕は、たしかに、膜を割った。割ったけれど——その腕は、リシアの、すぐ脇の、地面を、叩いていた。
まっすぐ、リシアへ振り下ろされた腕が。膜に触れた、あの一瞬。わずかに、向きを、変えていた。
——防げては、いない。けど、あれは。
外れて、いた。攻撃が、リシア自身からは、逸れていた。
膜は、攻撃を、止められなかった。でも、その行き先を、ほんの少しだけ、ずらした。
それは、本当に、「防御の失敗」と、同じものなのか。
俺には、そうは、思えなかった。けれど、口には、出さなかった。まだ、自分でも、確かめきれていない。
そのとき、隣の区画から、ざわめきが、聞こえた。
外棟の隅とは、違う。本棟の生徒たちが、一区画を、ぐるりと、囲んでいる。
その中央に、一人の少年が、立っていた。
銀色に近い、淡い髪。北方の出らしい、白い肌。物腰は、静かで、隙がない。
「五つ星の、セイル・ノルディアだ」
近くにいた誰かが、囁いた。
「ノルドヴェイル公国の、騎士家の子だよ。今年の、首席さ」
五つ星。学院の、最上位。俺たち外棟が、一つ星なら——その、いちばん遠い、反対の端だ。
セイルの前にも、訓練体が、立っていた。外棟のものより、ずっと大きく、速そうなやつだ。
その訓練体が、セイルへ、襲いかかった。
俺は、てっきり、派手に凍りつくものと、思っていた。氷属性の、五つ星だ。訓練体を氷漬けにして、砕く——そういう絵を、勝手に、想像していた。
違った。
セイルは、細い剣を、軽く、振っただけだった。刃の先が、訓練体に、触れる。
その、瞬間。
訓練体の動きが、すっと、止まった。
凍りついた、わけじゃない。表面に、霜の一つも、見えなかった。ただ——動いていたものが、動かなく、なった。振り上げた腕が、振り上げたまま。踏み込んだ足が、踏み込んだまま。そこだけ、時間が、止まったみたいに。
「……すごい」
誰かが、ため息のように、言った。
俺は、ため息は、出なかった。
代わりに、背の奥が、ざわついた。さっき、リシアの薄膜を見たときと、同じ感覚だ。
——あれは、氷じゃ、ない。
凍らせて、止めているんじゃない。動きそのものを、止めている。氷は、たぶん、そう見せるための、ただの、見た目だ。
《氷華》。鑑定が、つけた名前。でも、あの力の中身は、きっと、氷とは、別のところに、ある。
周りの生徒は、誰も、そんなことは、言っていなかった。さすが五つ星。さすが《氷華》。みんな、名前と、結果だけを、見て、感心している。
俺だけが、違うものを、見ているのか。
それが正しいのか、間違っているのかも、分からないまま。俺は、その光景を、ただ、目に、焼きつけた。
訓練が、ひと区切りついたとき。
水を飲みに、井戸の方へ行くと、そこに、セイルが、いた。
近くで見ると、思ったより、静かな目を、していた。勝ち誇る色も、見下す色も、ない。
「君が、レン・ハルヴェルだね」
声をかけられて、俺は、少し、驚いた。五つ星が、外棟のF等級の名前を、知っている。
「……どうして、俺の名前を」
「筆記の話は、本棟まで届いているよ。魔物の生態を、満点で書いた地方推薦がいる、とね」
セイルは、井戸の水を、汲み上げた。
「東方魔境の岩窟種。火に強い理由を、君は、なんと書いた」
「外殻が、熱を吸って、ためこむから。火を当てるほど、硬くなる、と」
セイルの目が、ほんの少し、興味の色を、帯びた。
「教科書には、『火耐性が高い』としか、書いていない。なぜ高いのか、までは。——君は、見たことが、あるんだね。実物を」
「……村が、素材屋なので」
「そうか」
セイルは、それ以上は、聞かなかった。ただ、水を一口飲んで、剣を、肩にかけた。
「外棟の同期に、面白いのが入った、と聞いていた。どうやら、本当だったな」
そう言って、セイルは、本棟の方へ、戻っていった。
最後まで、俺を、火種、とは、呼ばなかった。
外棟の区画へ戻ると、リシアが、井戸の方を、見ていた。俺と、セイルが、話していたのを、見ていたらしい。
「五つ星と、お知り合い?」
棘は、相変わらずだった。
「いや。今、初めて、話した」
「ふうん」
リシアは、興味のなさそうな顔で、けれど、こう続けた。
「あなた、さっき、セイル様の氷を見て。妙な顔を、していたわね」
見られていたのか。俺は、少し、迷ってから、言った。
「あれは、氷じゃ、ないと思う。凍らせてるんじゃなくて、動きを、止めてる。氷は、たぶん、そう見えるだけだ」
リシアは、しばらく、黙っていた。
それから、ゆっくりと、口を、開いた。
「変な人。鑑定で《氷華》と出たものを、氷じゃない、だなんて」
「……かもな」
「じゃあ」
リシアの目が、まっすぐ、俺を、見た。昨日の、棘とは、少し違う。もっと、奥の方を、探るような目だ。
「では、あなたの《火種》は。——本当に、火なの?」
俺は、すぐには、答えられなかった。
その問いは、ずっと、俺が、自分には、しないようにしてきた問いと。同じ、形を、していた。
もし、俺の火が、本当は火じゃ、ないのだとしたら。それは、いったい、何なのか。
考えれば、たどり着けたのかも、しれない。でも、俺は、考えなかった。
——考えたところで、どうせ、誰も、聞いてくれない。
一年前に、それを、思い知った。だから、見ないふりを、してきた。自分の手の中にあるものから、ずっと、目を、そらして。
リシアの問いは、その、そらしてきた目を。まっすぐ、こっちへ、戻させる問いだった。




