争いの後に残るもの
俺──ジンガ・エルヴァディアは、戦闘中の高揚感が徐々に薄れていくのを感じていた。
だからだろうか、やけに“崩壊怪獣”以外のものが目に入るようになっていた。
崩れた建造物。
その下敷きになって潰された肉塊。
弾けた血液の跡。そして……人体の一部だけが、瓦礫の隙間から覗いていた。
「……やっぱり、死人は出たか」
即死だろうと思った。
もちろん、残念には感じる。だがそれ以上の感情は、湧かなかった。
この感覚が“異常者のそれ”だという自覚はある。否定するつもりもない。
むしろ「そうであれ」と教え込まれてきた。俺の家は、そういう家だ。
かつて──“戦うとは何か”という題目で、父と母に連れられ、俺の知らない世界の戦場を幾つか見せられたことがある。
……まあ、衝撃的だったよな。
銃弾で撃ち抜かれて崩れる頭部。
鋭い刃で切り離される頭部と胴体。
魔術で炭になるまで燃やされる人々。
はたまた、一瞬にして失われた焦土の街。
元気だったはずが、あっさりと冷たくなった肉体。
最初は当然、慣れるはずもなくて、何度も吐いた。
でも、目を逸らすことは許されなかった。
俺が「そういう立場」にいたからだ。
まあ、今こうして異世界にいるけど、俺の身分が変わったわけじゃない。
でも、俺のことを誰も知らない場所なら、身分なんて意味を成さない。
そんなことを思ったり、思わなかったりする今日この頃だ。
残念に“感じただけ”では、終われなかった。
手にしていた刀を振り下ろす。
がれきに埋もれた建材が真っ二つに裂け、押し潰されていた重さが解き放たれる。
俺は残った破片を蹴り飛ばし、遠くへと散らした。
「ジンガ様っ!?
それは私たちが対応しますのでっ!」
ノアの声が飛んできた。
けれど、俺はその言葉に首を横に振った。
俺は、キラキラと輝く英雄なんかじゃない。
“良いとこ取り”するだけの勇者じゃない。
正義を振りかざして戦っておきながら、戦いの果てに生まれた痛みや犠牲に、目を背けるような“正義の味方”ではない。
そういう、人間強度の低い生き方をするつもりはない。
潰れた肉塊──スプラッタになった骸を見つけ、俺はただ、死んでいることを確認した。
流石に、生きてるわけがない。いや、最初からそう思っていた。
そこに驚きはなかった。けれど、やっぱり残念ではある。
そもそも、最初に見たときから、肉片の量と散らばり方で“即死”だと判断していた。
予想通り、というだけの話だ。
たしかに、そういうことなのだが。
予想通りだからといって、何も感じないのは、それはそれで無感情が過ぎる気がした。
……もっとも、こんなふうに考えてしまっている時点で、もうとっくに俺は無感情なのかもしれない。
他にも、生存者がいるかもしれない。
その可能性は低い。けれど、探さずに済ませようとは思わなかった。他人に任せて終わりにしようとも思えなかった。
瓦礫を何度か斬り裂き、蹴り飛ばしながら、周囲を切り開いていく。
やがて、別の骸を見つけた。頭部が潰れている。即死だったのだろう。転がった瓦礫がそれを潰したようには見えなかった。
倒した化け物は、それなりに大きな身体をしていた。
それに、コンクリートの地面をいとも容易く貫くほどの武器を持っていた。
そんな存在に、ただの人間が対面しても、できることなど何もない。
抵抗すらできず、ただ蹂躙されるだけだ。
この足元のコンクリートが、俺が知っているコンクリートと同じ強度を持っているかなんて、知る由もないのだが。
要するに、今回新たに見つけた遺体は、崩壊怪獣によって直接殺された可能性が高い。
建物の崩壊に巻き込まれたのではなく、明確に狙われて殺された痕跡だった。
その差にどれほど意味があるかはわからない。
けれど、俺があの化け物と対峙したときに覚えた違和感と、状況を照らし合わせると……ただの気持ち悪さでは済まされない不快感が残った。
食うでもなく、狩るでもない。
ただ、人を殺すために行動する──それが崩壊怪獣の性質だった。
俺を見たときも、迷いなく殺しにきた。だがしかし、そこに殺意は感じなかった。
つまりあいつは、人間を排除することを“本能”でも“任務”でもなく、“機能”として組み込まれている存在なのだろう。
「崩壊怪獣が人を喰ったという記録はあるか?」
気になったことは、その場で確認するに限る。
瓦礫を丁寧にどけていたノアに声をかけた。
「聞いたことはありません」
努めて冷静に、ノアは短く答えた。
「そうか」
人を襲っても食べない。
その時点で、あれは自然の生き物ではない可能性が高い。
おそらく、誰かが作り出し、明確な意図で放った存在だ。
殺意を消したまま攻撃するというのは、実はそう簡単なことではない。
その性質を持つものといえば、プログラミングされた機械や、極限まで無心になった達人くらいのものだ。
他には、悪戯で小動物を弄ぶ子供が思い浮かぶが、それは今回は除外していい。
崩壊怪獣に人間のような意志や感情はなかった。
剣を通した手応えは、金属の塊を斬ったようだった。
そう考えると、機械的な構造を持つ生物兵器だという線は、十分に現実的だ。
遠くで、甲高い音がした。空気の震え方からして、魔導機関を積んだ飛行艇の接近だとわかる。
数十秒後、俺たちの頭上をかすめて、数機の白い艇が低空を旋回しながら着地した。すぐさま後部ハッチが開き、隊員らしき者たちが次々に飛び出してくる。
統一された制服。無駄のない動き。どうやら、王都直属の救助部隊のようだ。
ノアがその一団の長に近づき、何かを手短に説明していた。隊長は一礼し、すぐさま指揮を取り始める。
医療班、捜索班、記録班──それぞれの動きが、まるで仕組まれた魔術陣のように連動している。
誰かが叫び、誰かが駆け寄り、誰かが静かに息を引き取った者へ布をかける。
静かで、効率的で、そして……残酷なほど慣れている。
俺は黙ってその様子を見ていた。
誰も彼も、顔をしかめながら、それでも仕事を止めない。
生者と死者を峻別するように。悲しみは表に出さず、ただ前へ進む。
ノアが戻ってきた。
少しだけ、疲れた顔をしていた。
「ジンガ様……これ以上、あなたが手を汚す必要はありません。あとは、私たちで」
その言葉が気遣いから出たものだということは、理解できた。
けれど──。
「死者に関わることを、“手を汚す”なんて言い方はやめろ」
思わず、口にしていた。
「あ……えっと……」
ノアは戸惑い、言葉を詰まらせた。困ったような顔を見て、俺は少しだけ声の調子を和らげる。
「……つまり、気にするなってことだ。で、手伝えることはあるか?」
視線を救助隊に戻しながら、俺はノアに問いかけた。
「無ければ無いでいい。邪魔なら、この場を離れる」
つまらない正義感から、彼女に反発したわけじゃない。
“ジンガ・エルヴァディア”は、そうあるべきだと俺は思っている。だから訂正した。だから反発した。
「い、いえ……そんな、邪魔だなんて……」
「それから、そんなに顔色をうかがう必要もない」
“ジンガ・エルヴァディア”は、気を遣われるために存在しているわけじゃない。
「……はい。今は特にお願いすることはありません」
「ん、わかった」
手にしていた刀を、この世界から消失させた。
「ジンガ様。
急で申し訳ありませんが、案内したい場所があります。
──ついてきて、くださいますか?」
ノアが更に続けた。
この場を離れていいのか、という疑問がよぎらなかったわけじゃない。
けれど、彼女の顔には、わずかに焦りが混じっていた。
「わかった。案内してくれ」
だから、拒まなかった。特に拒む理由もないしな。