協力する理由
「なぜ、ジンガ様はこの話をお受けになられたのですか?」
そう言ったノアの瞳は、とても心配そうな色をしていた。
心配になるくらいなら、聞かなきゃいいのに。
そんなふうに思ったけど、逆の立場だったら、念には念を入れたくもなるか。
「理由は……特には、ないかな」
一言で説明できるような、そんな単純な気持ちで協力を決めたわけじゃない。
かといって、過度な正義感があったわけでもない。
その根には、黒にも白にも染まらない、曖昧な感情が居座っていた。
──けど、
「まあ、強いて言えば……人の“願い”が、そこにあったからかな」
初めて会話した男、ガルダイン。
最初こそ軽薄な印象を受けたけれど、そんな彼が背負っている命の重さを想像したら、悪い気はしなかった。
余裕を演じなきゃいけない立場で、実際はギリギリのところで踏ん張ってる。そう思えたから。
そりゃまあ、じっくり話してみなきゃ人柄なんてわかるわけもないし、俺も最初は喧嘩腰だった。
……でも、この世界の人たちは、本気で困ってるんだよな。生きたいと願ってるんだよな。
ガルダインにだって、家族がいるだろう。
ノアにだって、大切にしている何かがあるはずだ。
それを守るために手段を選べないほど、彼らは──この世界の人々は、追い詰められている。
でもそれって、つまりは「明日を生きたい」っていう願いだ。
幸せになりたいっていう、ごく当たり前の願いなんだ。
「人の……願い?」
ノアがそっと反芻するように呟いた。
「ああ。だから、協力することにしたんだよ」
どこまでやってやれるかはわからない。
俺が救世主になれるとは……さすがに、そこまで奢ることはできない。
「……ありがとうございます」
ノアは一瞬、何かを噛み締めるように目を伏せ、それから静かに、けれど深く頭を下げた。
「……いや、まだ何もしてないだろ」
思わずそう返してしまう。
けれど、ノアの感謝の重さが、言葉の奥にちゃんと込められていたことは、俺にもわかっていた。
次の瞬間──何かがぶつかったのか、崩れ落ちたのか。地面の下から、鈍く腹に響くような衝撃音が鳴り響いた。
「……ッ!?」
続いて、ビルの窓ガラスが震え、小さく軋んだ音を立てる。
地面もわずかに震えた。見上げた空は切り取られたまま、何も見えない。けれど、この一帯に“異常”が発生したのは、間違いなかった。
ノアが息を呑んだ。
その目が、どこか遠くの一点を捉えたまま、揺れていた。
白い指が無意識に、彼女の胸元を掴んでいる。
「……まさか……っ」
「なにがあった?」
問いかける声に、彼女はわずかに顔を強張らせた。
「崩壊が始まりました。……崩壊怪獣が現れたのだと思います」
街の雑踏が、じわじわと変化していく。
通りの向こうで、誰かが悲鳴を上げた。
小走りに逃げる親子、携帯端末を取り出して立ち尽くす青年、顔を見合わせてざわつく店員たち。
音のした方向からは何も見えないのに、“それ”が確実に街を侵食している気配だけが、空気を重くしていく。
「……崩壊怪獣?」
その名前を反芻するように口にすると、ノアが小さく頷いた。
「災害を引き起こす怪物です。この街には防御結界が張られていたはずなのに……! なのに、どうして……っ」
彼女の声が揺れる。
拳が震え、唇が真っ白になるほど強く噛み締められていた。
明らかに、想定外だったのだ。
──防げるはずだった。それが破られた。
その現実が、彼女が“信じたかった希望”を、少しずつ剥ぎ取っていくようだった。
「行くぞ」
俺はただ、一歩を踏み出した。
「待って! 今のあなたには、武器も何もないっ!」
ノアの声が響いた。必死だった。
……ああ、そういえば。
確かに、この世界に来てから、何も持たされてないな。
だけど、俺は静かに笑った。
「敵の姿も見ないまま、引き返すわけにはいかないだろ」
振り返らずに言って、音のした方角へと走り出す。
ビルの谷間に、何があるのかは見えない。けれど、確かに“何か”が、向こう側で蠢いている気配があった。
「……わ、私も行きます!」
ノアの声が追ってきた。
声には不安が混じっていたけれど、それでも決意があった。
都市の谷間を駆け抜ける。
路面が震え、ビルの側面からは耳をつんざくような警報音が鳴り響いていた。
すぐ後ろにいるノアの息遣いが、荒くなっているのがわかる。
そして気づいた。
目の前の空間が、“歪んで”いる。空間そのものが、揺らいでいた。
高層ビルが林立する都市の中、わずかに開いた裏通りを縫うように進む。
通りは緩やかな下り坂になっており、舗装された地面には古い配線の跡が幾重にも走っている。
脇の壁には、むき出しの通気管と点滅する表示灯。資材運搬用の昇降機が、重々しい金属音を立てて稼働していた。
頭上を横切る歩道橋が視界を遮る。
空は細く、灰色の裂け目のようにしか見えなかった。
光の届かぬ谷間の空気は淀んでいて、鉄と油の混じる匂いが微かに鼻を突く。
まるで都市の“背骨”を歩いているような感覚だった。
そのときだった。
ビルの陰に差しかかった瞬間、肌にまとわりつくような重圧が押し寄せた。
“存在そのもの”が空気を濁らせる。そんな鈍い気配が強調された。
思わず足を止め、視線を路地の奥に向ける。
暗がりの中、ゆらりと“何か”が動いた。
最初は形がわからなかった。
だが、ビルの影から現れたそれは──
四肢で這い、異様に膨れた胴体。背には金属の杭のような突起。
目はない。代わりに、顔の中央には光の穴が複数並んでいた。
肉と金属の境界が曖昧で、まるで廃棄された兵器と獣が融合したかのようだった。
その巨体が、こちらを向いた。
ドンッ。
地鳴りのような足音が響く。
俺は思わず息を呑んだ。
明確な殺気があるわけではない。
だが、“存在しているだけで”拒絶されているような威圧感。
これが、ノアの言っていた「崩壊怪獣」か。
「……ジンガ様っ!」
ノアの声が背後から響いた。冷静な口調の中に、微かに滲む恐怖。
唇が震えていた。
「個体識別コード不明……現地登録されていない個体です。完全に初見の種……!」
ノアの口から、学術的な知見が発せられる。
だが俺は、目の前にいるこの化け物が何者であるか──よりも、どうやって倒すかを考えていた。