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第147話 招かれざる訪問者


第一章 猶予の三日


サモンとの通信が切れた後、カルヴォ公爵邸の私室には、嵐の前の静けさにも似た、重苦しくも熱を帯びた空気が漂っていた。

イングリッド・カルヴォは、鏡に映る自分の赤い唇を、まるで自らの意志を再確認するようにじっと見つめていた。


「三日……。あのサモン様が、あと三日でここへ来ると仰いましたわね」


その声は微かに震えていたが、それは恐怖ではなく、抑えきれない高揚によるものだった。

ポリーヌは、隣で幽霊でも見たかのように青ざめ、ガタガタと震えながら手帳を握りしめている。


「イングリッド様……サモン様が『三日で着く』と仰ったということは、もう帝都の目と鼻の先までいらっしゃっているということですわ! あの方が『三日』と言えば、それは物理的な限界を無視した三日。もしかしたら二日半で門の前に立っているかもしれません!」


「ええ。だからこそ、私たちに立ち止まっている暇はありませんわ。 ポリーヌ、今すぐ皇宮へ向かう準備をなさい。 この事態をアイザ皇后陛下、そしてウォルケン皇帝陛下にお伝えしなければ。 あのサモン様が何の公式な手続きもなしに帝都へ『突っ込んで』くるのを座して待つわけにはいきません」


イングリッドの判断は迅速だった。

サモンという男は、既存の「身分」や「儀礼」という壁を平気で踏み倒していく。

それが帝国においてどれほどの外交的、政治的混乱を招くか、彼女は容易に想像できた。

これは「歓迎」の準備ではない。

帝都を破壊し尽くすかもしれない「嵐」への「防衛」の準備なのだ。



第二章 皇帝の当惑と皇后の盾


翌朝、未明の皇宮。

緊急の謁見を申し入れたイングリッドは、ポリーヌを無理やり引き連れて皇宮を訪れた。

寝巻きに近い姿のアイザ皇后とウォルケン皇帝が出迎えたほど、彼女の表情には緊迫感が宿っていた。


「……何、サモンが? あと三日でここへ来ると言ったのか?」


ウォルケン皇帝は、寝ぼけまなこを瞬時に見開き、椅子から身を乗り出した。

その顔には、長年の旧友を迎える喜びと、「よりによってこのタイミングでか」という政治家としての困惑が複雑に混じり合っている。


「はい。昨夜、直接の通信にて。 サモン様が移動中であることは確実。何を持って、どのように現れるかは不明ですが、あの方が予告された以上、三日後にはこの帝都の土を踏まれるでしょう」


「……頭が痛いな」


皇帝はこめかみを押さえた。


サモンは帝国のカイエン・ナベンザ開発における最大の功労者であり、皇后が絶賛する「紅」の開発者だ。

国賓として迎えるべきだが、本人は間違いなくそんな仰々しい式典を鼻で笑うだろう。

かといって、野放しにすれば帝都の治安部隊が「異質な闖入者」に過剰反応しかねない。


「ウォルケン、そんなに困ることはありませんわ」


静かに口を開いたのはアイザ皇后だった。

彼女は既に扇で口元を隠し、瞳には冷徹なまでの知性が宿っていた。


「サモン様を公式な『外交官』として扱うから、ややこしくなるのです。 あの方は『自由なる賢者』。 イングリッド、貴女の公爵邸を拠点とし、表向きは『競技場建設および紅の製造に関する最高技術顧問』という民間枠で入都させなさい。 これならば、最低限の護衛だけで済みますわ」


「仰せの通りに。……それと、陛下」


イングリッドが視線を上げた。


「サモン様が着かれた際、この『紅』の事業を正式に『皇室内廷後援事業』として認可していただきたく存じます。教会の保守派や、技術を狙うギルドの者たちが騒ぎ始める前に、皇室の盾を掲げておきたいのです」


皇后は満足げに頷いた。

「いいでしょう。美しさを守ることは、帝国の品格を守ること。 ポリーヌ、貴女はサモン様が到着した際に、不備がないよう万全を期しなさい。……サモン様は、嘘や停滞を何よりも嫌うお方ですからね」


傍らで平伏していたポリーヌの背中に、冷たい汗が流れた。



第三章 慌てる面々


公爵邸に戻るなり、ポリーヌはもはや悲鳴を上げる余裕すらなくなっていた。

彼女の目の前には、サモンが帝都に来てから質問するであろう「チェックリスト」が山のように積み上がっていた。


「サモン様が『あれはどうなっている?』と聞いて、一秒でも答えが遅れたら、あの冷たい視線で射抜かれる……! それだけは避けなければ!」


ポリーヌは馬車を飛ばし、帝都の各所を奔走した。

まずは「職人ギルド(組合)」の動向の把握だ。

次に「フィアナ畑」の生育状況や農場の整備状況を確認し、「ニム」の最新情報も更新する。

さらに雪虫の供給体制が帝都での大規模生産に耐えられるか、ナベンザからの物流網も再確認しなければならない。

多くの点で確認する必要があった。


「最後は競技場建設予定地! 測量データとの誤差はない!? 資材の調達計画は完璧なの!? 現場監督、今すぐ各地点の再点検を命じなさい! 三日後、最も大事な『スポンサー』が降臨するんですから!」


ポリーヌの絶叫にも似た大声が建設現場に響き渡る。


同じ頃、グラント商会のブレア会長も、額の脂汗を拭いながら、商会始まって以来の「緊急組織改編」を断行していた。


「いいか、相手はそこら辺の貴族どころではない。 この帝国の、いや世界の経済を塗り替える知恵を持つ御方だ。 我らグラント商会が、ただの金貸しや運び屋ではないというところを見せねばならん!」


ブレアは商会内から選りすぐった、数字に強く、柔軟な思考を持つ若手を十数名選抜。

彼らを「“紅”事業専任チーム」として編成した。

合同工房の運営計画、製造コストのシミュレーション、さらには将来的な帝国全土への供給組織図。

これらを三日間で一分の隙もなく詰め上げ、サモンが到着した瞬間に、彼に「完璧だ」と言わせるためのプレゼンテーション資料を作り上げさせたのだ。



第四章 旅は道連れ


三日目の夕刻。

帝都カイエスを囲む巨大な城壁の、最北に位置する大手門。

通常、日没とともに閉じられるこの門が、今日に限って、公爵家の権限により微かに開かれたままになっていた。


イングリッドは、門の上の監視台に立ち、北へと続く街道をじっと見つめていた。

彼女の隣には、胃をさすりながら青白い顔で立つポリーヌ。



夕闇が迫り、地平線が茜色から深い藍色へと変わり始めたその時だった。


「……見えますか、イングリッド様」


ポリーヌが震える指で街道を指差した。

通常の商隊ならば、松明を灯してゆっくりと進む時間帯だ。

遥か彼方から複数の松明の弱々しい光が揺れる。

意外なことに大きなキャラバン(隊商)であった。


「……まあ、ずいぶん大勢でお越しになったのね」


イングリッドの予想に反した数は、入門の手続きのために次々と門の前で止まる。

その隙にイングリッドたちは下に降り、キャラバンの元に向かう。

近づいてみるとスティール商会(大森林の商会)のマークが馬車に記され、次々と人が下りてきていた。

その中にちょっと小綺麗な商人らしい服装をしたサモンの顔を発見したイングリッドが、声を掛ける。


「サモン様。……帝都へようこそ」


門番と話していたサモンが気づき、イングリッドへと振り返る。


「やあ、イングリッド。 ちょっと手間取って遅くなってしまったよ」

サモンが気さくに手を上げて応えた。


ただ奇妙なことにその後ろにいた人影。

胸の谷間を開けたお色気専門役のような女性の姿が、イングリッドやポリーヌの目に飛び込んできた。

しかもその唇には、薄っすらと灯る“紅”の艶が浮かんでいた。

彼女の目は、一目で貴族とわかるイングリッドの姿を視界に捉えて、いかにも作り笑いを浮かべて視線を逸らせた。


一瞬イングリッドは、思わず顔を曇らせた表情を作るが、ポリーヌがイングリッドの袖を引っ張る。


「イングリッド様、後ろの方はおそらく、フローシュ商会のマージュさんですよ。 アレクサで何度かお会いしました」


「フローシュ商会?マージュさん? 確か帝都にいるのは……」

「ええ、こちらの支店長はタニアさんです」

「いったい?」


不思議そうな顔の二人にサモンも気づいたのか、


「ああ、商品の普及や運搬を手伝ってもらうために連れてきたんだ」

当然のことのように気安くそう告げると、後ろのマージュがやはり作り笑いをしながらあいさつを交わす。


フローシュ商会と言えば、組合事務所でひと悶着を起こしたタニアを筆頭にいろいろと評判はよろしくない。

そのような者を連れてきているということや、その表情がおかしな様子からすると、どうやらサモンに巻き込まれた被害者らしい。


そう悟るとイングリッドも落ち着きを取り戻し、逆に同情さえ覚えた。


「まあ、フローシュ商会とはいろいろあるとは思うけれど、彼女は“協力的”だから安心してよ。 とりあえず手続きを済ませてからどこかで話そうか」

サモンはそう告げるとマージュと共に背を向けた。


なぜかイングリッドとポリーヌには、マージュの背中に悲哀を感じつつも、やはり帝都カイエスにとって大きなうねりを感じずにはいられなかった。


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