異母妹との出会い、おまけ話
「いよいよ家族会の開催ね」
届けられたアンシェーゼからの旅程表をちらりと見て、マリアージェはほうっと一つ、満足げな吐息をついた。
旅舎の手配もついて、話はいよいよ現実味を帯びてきた。
「アンシェーゼに入ってからは、皇家が手配した貴族家に宿泊を頼むようになるんだね」
旅程表に目を落としていたイエルが不思議そうにそう呟いた。
「アンシェーゼにも街道沿いに教会がある筈なのに、何故わざわざ貴族家を指定してきたのだろう」
スランでは、貴族が旅をする時は、知り合いの貴族家に宿泊を頼むか、教会に宿を借りる。
主だった街道筋にはたくさんの宿屋が軒を連ねているが、大都市の高級宿でない限りは、貴族が宿屋を利用する事はない。衛生面や安全面に不安が多いからだ。
アンシェーゼにも巡礼者用の宿泊施設を併設した聖教会が要所要所にあると聞いており、皇家からはそちらを紹介されるのだろうと当たり前のように思っていたが、どうやらそうではないらしい。
皇妹家族の宿泊先として、街道沿いにある貴族家に歓待の準備をさせていると文が来て、手紙を読んだイエルは少なからず困惑した。
「おそらく皇家側の事情だと思いますわ」
そんなイエルの疑問にあっさりと答えたのは妻のマリアージェだった。
「わたくしがスランに輿入れする際も、同じように街道沿いの貴族家を頼りましたもの。
その時に説明を受けたんです。わざわざ皇家が地方の貴族に声を掛けるのは、それなりの理由があるのだと」
「えっと、理由ってどんな?」
「ちょっと話が脱線してしまうんですけれど、アンシェーゼの皇都ミダスは国の中心にないでしょう?
あの国は、ミダスを中心に北西に大きく張り出した形をしていますもの。
だから、皇帝と辺境に住まう臣民らとの間がどうしても疎になってしまうんです」
「確かにそうかもしれないね」
イエルはアンシェーゼの地図や歴史を思い浮かべながらそう答えた。
「確か、第七代のトライェ帝が侵略戦争を始めて北西に領土を伸ばしていき、今の形に落ち着いたのが第十代アマリウス帝の時代だったかな」
「ええ。当時は政情もまだ不安定で、第十一代のオラエ帝は、地方の反乱を防ぐために何度も地方への巡幸を行ったのだとか。
領主らの館を泊まり歩き、彼らと密な関係を築く事で治世を盤石にしようとしたようですわ。
……お陰で、在位期間のほとんどを旅先で過ごしたみたいですけれど」
「そう言えばオラエ帝には、放浪帝という訳のわからない諡名が贈られていたな」
それを聞いた時、何だこれ……と思ったからよく覚えている。
あちこちの地方を渡り回り、一人寝の寂しさからか次々と女性と関係を持って、嫡外子を十三人もうけたと史実書に書いてあった。
「その諡名を推したのはオラエ帝の皇后だったと聞いてますわ。よっぽど鬱憤が溜まっていらしたみたいで」
「妻を皇都に残して自分は巡幸三昧だったからね。国のためには仕方なかったんだろうけど」
「結婚当初は仲も良かったそうですけど、だんだん険悪になっていってしまったんだとか。
離れ離れになるだけなら、まあ我慢もできますけれど、あちこちで婚外子を作られたらそうもなりますよね。
皇帝自身も旅の無理が祟って、結局四十代半ばで早逝なさったようですし」
「うわあ。何だか気の毒な人生っていう気もするな」
「ある意味、残念なご先祖様ですわ。せめて婚外子を十三人も作らなければ、もう少しまともな諡名にしていただけたんでしょうけど。
ですので後を継いだメンシェル帝は、父と同じ轍を踏みたくないと切実に思われたみたい。
九人いた異母妹を遠方の領主に次々と降嫁させ、婚姻によって皇家と地方領主との絆を強くする道を選ばれたのだとか」
「異母妹が九人か……。
確かに、政略の駒には不自由しなかっただろうね」
「その上メンシェル帝は、嫁ぐ際の異母妹らの旅中の宿を道沿いの地方領主に頼んだんです。
歓待にはお金も手間もかかりますが、貴族らにとっては皇家に忠誠を示せるいい機会です。
相応の品も下賜されますし、その領主が皇都に来た折には、皇帝に目通りを許されて直々に感謝の言葉を賜ったのだとか」
「地方領主らにとってはこれ以上ない誉れだね」
「ええ。メンシェル帝以降、これが皇家の習わしとなったようです。
ですから今回もこのような手配をされたのではないでしょうか」
「なるほどね」とイエルは大きく頷いた。
「確かにアンシェーゼは大国だ。
大勢の廷臣らを引き連れての大移動ともなれば費用も馬鹿にならないし、巡幸ばかりしていたら政も落ち着かない。
こういうやり方が一番良いのかもしれないな」
ふと空が明るくなった気がして窓の外を見れば、先ほどまで激しく地面を叩いていた雨はいつの間にか止んでいた。
重たげな雲は遠ざかり、たなびく雲の間から僅かな夕日が指し零れている。
ここ数日晴天が続き、うだるような暑さに苦しめられたが、この夕べは通り雨のお陰で久しぶりに過ごしやすい夕べを迎えられそうだ。
イエルが窓辺に行き、室内に籠った熱気を逃すように大きく窓を開け放った。
ひと雨が過ぎたばかりのどこか生温かい風がマリアージェの頬を緩く撫でていく。
夏場の移動は体に堪えるため、アンシェーゼへの出立は陽射しが和らいだ九月下旬が予定されていた。
輿入れした時と同じく、パリス公国経由での旅路となり、到着は十日後だ。
皇宮に着いた晩には家族だけの晩餐会が開かれる予定で、その二日後には大掛かりな夜会が執り行われる運びとなっていた。
楽団や大勢の料理人を連れての狩りも予定されているようで、さぞや華やかな催しとなる事だろう。
「そう言えば、母上は二日目の晩に皇宮に来られるのだったね」
イエルの問いに、マリアージェは「ええ」と頷いた。
「皇后陛下が皇宮に泊まれるように手配をして下さったそうです」
二度と会えないと思っていた母と再会が許されるなんて、今でも信じられない気分だ。
手紙のやり取りはしていたが、互いに子どもを抱える身だ。国を跨いで旅をするなど凡そ現実的ではなく、会う事は一生ないだろうと半ば覚悟していた。
「母に会えるのが一番の楽しみですが、兄や弟妹達に会える事も嬉しくて堪りませんの。
どんな顔合わせになるのだろうと思うと、今からわくわく致しますわ」
「子ども達もとても楽しみにしているようだ。
その日が待ちきれないと言っていたよ」
「ええ」
異母兄夫妻に五人の異母弟妹、そして弟の婚約者。互いの子ども達を加えれば、総勢二十人余の大家族だ。
さぞや賑やかな顔合わせとなる事だろう。
その光景を脳裏に思い描きながらそっとイエルの肩に頭を凭せ掛けると、イエルが優しくマリアージェの体を抱き寄せてくれた。
先ほどまで鳴き止んでいたセミはまた姦しく騒ぎ始め、夏初めとは違うその声に移ろう季節を感じて、マリアージェは我知らず唇に笑みを浮かべた。
セミの声に混じる雨上がりの匂いがどこか慕わしい。
願い続けた秋はもう、すぐそばまで来ていた。
お読み下さってありがとうございました。来月中には、本では語られなかったリリアセレナ視点のお話をアップできたらと思っています。活動報告へのコメントや感想など、本当にありがとうございました。励みになりました。