水門
「登れ!」
木工所へと向かう下水道の階段をダニエル達は大急ぎで登った。
排水口方面の下水道が満水になったのか、急激に水位が上がり始めた。階段の直ぐ真横を滝のように激流が流れ落ちるが、急がねば上昇した水面に飲まれるのは明白だった。
「あっ……!わっ!」
メアリーが足を踏み外し、階段に倒れ込んだ。
「メアリー!?」
前を走るダニエルが、踵を返しメアリーに走り寄った。
「いっ……うう」
メアリーが左足首を押さえたまま蹲るので、後ろを走っていたオズワルドがライトを取り出した。
「見せてみなさい」
白い光に照らし出された足首をオズワルドが注意深く触って確かめた。
「折れてはいないようだが……この靴か。ヤスラ君、すまんが彼女に肩を貸してくれ」
こんな所に来るつもりは無かったので、メアリーは走り難いパンプスを履いていた。
「はい。さあ、メアリーさん。肩を」
「急げ!そこまで水が迫ってるぞ」
そうこうしている間に、水がゆっくりと上がってきた。
「反対の腕を」
ダニエルもメアリーの右側の肩を持ち、2人掛かりで抱えるように階段を急いだ。
「終わるぞ!」
階段の終わりが見えたが、安心は出来なかった。
次に待ち構えるのは2マイルも続く下水道。緩やかな上りで高低差が殆ど無いため、足元に水が到達する前に進む必要が有った。
「此処の高度は?」
「……何だって?」
ギブソンが何かを叫んだが、ダニエルは聞き取れなかった。
「高度だそうです、高さです高さ!」
聞き取れたヤスラが、ダニエルに叫んだ。
「……高度……、ああ、そうか!……まだ、ギリギリ川より下の筈だ!」
「離れてください!」
ビトゥフの街では、憲兵隊が野次馬を退かしながら、街中を流れる川と下水道を結ぶ排水口に付近に規制線を示すポールを置いていた。
下水道に水が流れ込んだ分、空気が逃げ場を求めて、この排水口に殺到したため、大きな音を立てながら排水口から風が吹き出ていた。
「一体何の騒ぎだ?」
「反乱軍の協力者が逃げてるんです、危ないから下がって!」
嘘も方便で反乱軍の協力者が下水道に居る事にしているが、下水道から水が溢れてくる恐れが有るため、急いで安全を確保する必要が有った。
「っ!来たぞ!」
下流の方から地響きと共に轟音が聞こえ、通りに設けられた小さい排水口が間欠泉の様に水を吹き上げた。
そして最後に、川に面した排水口の鉄格子がゴミが詰まったことで吹き飛び、川に逆流した水が勢い良く川に吹き出てきた。
「誰か居るぞ!」
左にカーブしていた下水道の先に光が見え、先頭を行くギブソンが伏せるようにジェスチャーをした。
「メアリーゆっくり下ろすよ」
「ん……っ!」
左足を地面に着けたメアリーは苦悶の表情を浮かべた。
「見せてくれ」
再びオズワルドが足首を見たが、先程とは違い腫れ始めていた。
「捻挫か……治癒魔法を使いたいが。光がな」
ランタンの光は見られなかったようだが、治癒魔法の使った時に出る光を見られる恐れが有るので使えなかった。
「少し戻って、そこで治そう。ギブソン、良いかな?」
「ああ、判った」
「ダニエル、ヤスラ君、頼む」
2人がメアリーを抱え、オズワルドと来た道を戻ったのを横目で確認しつつ、ギブソンは灯りの方を見て渋い顔をした。
「どうするよ?」
カニンガムは拳銃を抜き、弾倉を抜くと側面に開けられた穴を覗き弾数を確認した。
「行くしか無いだろ」
来た道は水に沈んでいる。
それに、此処が街の川面より下なのか上なのか正確な事が判らなかった。
水位に目立った変化はないように思えたが、仮に此処が上ならば水が川面に排水される為、これ以上水位が上がることはないが、下ならば此処もいずれは水に沈む筈だ。
「だったら、こいつを使うか……」
カニンガムが自分の鞄から黒い布の様な物を引っ張り出した。
「それは何だ?」
人が一人隠れられる大きさの布をギブソンは注意深く観察したが。
「俺が寝るときに使ってる毛布だよ」
カニンガムが只の黒い毛布を取り出したのでギブソンは眉間に皺を寄せた。
「言っておくが、本当にやるからな」
どうやらカニンガムは本気の様だった。
「……判った、ダニー達には合図してから来るように伝えてくる」
ギブソンがその場を離れている間も、カニンガムはカバンから黒いドーランを取り出し、鼻や白い毛が生えた耳の内側等の光が反射しやすい場所に素早く塗り始めた。
「……っ!ああ、フェイスペイントか」
戻ってきたギブソンは、一瞬カニンガムの顔が見えなかったので驚いた。
顔面を黒一色に塗ったわけではないが、それでも暗闇に溶け込むには十分だった。
「手馴れてるな」
鏡はないが細部を仕上げる手際の良さに舌を巻いた。
「警察に入る前は海兵隊に居てな。……行くか」
黒い毛布を被ったカニンガムとギブソンは慎重に前へと進んだ。
幸いな事に、ダムから下水道に放流された水量が多く、囁き声程度なら聞かれる事は無い上、憲兵達も下水道の方へライトを向ける真似をしなかった為に、近付くことは出来たが、流石にこれ以上進んではバレる恐れが有った。
(で、コレからどうするんだ?)
5メートル程まで近付いたが、2人が持ってるランタンの光も毛布から漏れることもなく、意外にも見つからないものだった。
(奴らを始末するさ)
カニンガムは毛布の端から顔を出し、状況を確認した。
(相手は憲兵が10人……、武器が2連式ショットガンにリボルバー、ライフルに……っ!。ガトリングまで有るぞ)
憲兵隊は爆破された鍛冶ギルドの建物から押収したガトリング砲や前装式ライフルまで持ち出していた。
(どうする?)
いくら奇襲とは言え、拳銃ではたかが知れていた。
カニンガムは何か策はないかと注意深く憲兵達を観察した。
(ランタンは?)
(ん?)
カニンガムはギブソンの言った事に眉をひそめた。
(アイツら、ランタンを持ってないぞ)
(なんだって?)
それどころか、光源になりそうな物が見当たらず、頭上から光が差していた。
ミスティパヨンクに襲われるリスクを考えると、何かしらの灯りを持っていなければ危険なはずだった。
(多分、此処は水門だ。地上と地下を結ぶリフトが有るから、そこから光が差すんだ)
カニンガムが説明したが、ギブソンは疑問に思った。
(それがなんで、アイツ等は灯りを持ってない事に繋がるんだ?)
(ミスティパヨンクは少しでも光が有ると消えるから、ああ言う開口部は近付かないんだ)
(じゃあ、コレはもう必要ないのか?)
ギブソンがランタン腰のベルトに着けたランタンを指さしたが、また頭上で何かが蠢く音が聞こえた。
(っはぁ……持ってりゃ良いんだろ持ってりゃ)
頭上に居るであろうミスティパヨンクにギブソンは悪態を吐いた。
(……待てよ)
カニンガムは頭上を見ながら考えた。
(一度戻るぞ)
(ん?ああ)
「どうだった?」
ダニエルの問いに、ギブソンは両手を上げた。
「憲兵が10人居る上に、拳銃どころかライフルにガトリングまで持ち出してる。おまけにリフトの真下に居るからか、ランタンも持ってないから狙い撃つのも無理だ」
「そうか……」
自分達だけならまだしも、メアリーが居る以上、投降するべきかとダニエルは考えていた。
「だが、好都合だ。アイツら明かりを何も持ってないから、リフトからの明かりを遮れば、後はミスティパヨンクが始末してくれるはずだ」
直ぐ近くにまで、ミスティパヨンクが忍び寄っているので、あの辺りが闇に包まれれば憲兵隊は一巻の終わりだとカニンガムは考えた。
「……他に方法はないのかね?」
だが、オズワルドは納得がいかなかった。
「相手は憲兵だぞ。仲間だろ?……いくら追われているとは言え、おいそれと命を奪うなど」
「だが、ガトリングの銃口をこっちに向けた憲兵が待ち構えているんだ。アイツらが眠りでもしない限りは無理だ」
「待った。彼らが眠れば良いのか?」
オズワルドはカバンを開けた。
「コイツを使うか」
オズワルドはガラス瓶に入った薬品をカバンから取り出した。
「クロロホルムかい?」
ダニエルが尋ねたが、オズワルドは手を振り否定した。
「いや、ジエチルエーテルだ。昔の推理小説で良くクロロホルムが出てくると思うが、それは小説が書かれた19世紀頃にクロロホルムを使う麻酔法が流行ったからであり。実際の使用法とは、かけ離れているんだ。よくハンカチなどにクロロホルムを染み込ませて口や鼻を押さえて意識を失わせるシーンが有るが、クロロホルムが直接皮膚に触れると」
「ああ、判った。で、眠らせられるのか?」
話が長くなったのでギブソンが知りたいことを質問した。
「ん……ああ、すまないね。普段手術の時にコレで患者を眠らせてる。任せてくれ」
番外編の『マスを釣りに行こう』が完結しました。(全7話)
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