法務官
「一体何の騒ぎだ!」
ビトゥフに在る荒鷲の騎士団の館前に、暴徒と化した群衆が押し掛けていた。
街路側は高い壁が築かれ、有事の際は防衛拠点として使う事を想定されていたため、暴徒が侵入してくる事はないが。暴徒の発する罵声と投石が壁を越え、壁の向こう側。舘の中にまで届いていた。
「群衆が、“我々が逃げ出そうとしている”と」
暴徒が外門を叩く度に内側に軋み、門の守衛達は普段常用している木製の閂の他に、金属で補強させた閂を嵌める作業をしていた。
「よし、閉じるぞ」
作業が終わり、落とし格子が下ろされ、内門も閉じられた。
「何故、逃げ出すなど…」
オルゼル城に移動する事がイゴール卿の命令で決まり、既に物資や人員の移動が始まっていたが、騎士団の幹部が移動した直後にこの騒ぎが起き、出発予定だった後発の騎士団員が館に足止めを食らう形になった。
「うるさいなー。何の騒ぎだよホント」
向かいの邸宅に住む住人の男が、窓から通りの様子を窺っていた人熊のメイドに聞いた。
「あ、ダニエル様。向かいの荒鷲の騎士団の館に群衆が殺到しています」
「えー?なんでー?」
シャツをはだけさせたラフな格好で、ボリボリと胸を掻きながらダニエルが通りを見ると、群衆が門を棒切れで叩いているのが見えた。
「金銀を荷馬車に積んで逃げ出そうとしたんですよ」
人熊のメイドは“ざまあ見ろ”と胸を張りながら言い放った。
常日頃、人狼で無いことを理由に騎士団員から下品な言葉で罵られてきたので、騎士団員が民衆にやられているのを見て清々していた。
「もう、放っときましょう」
「君の気持ちも判るけどねえ、私の立場上そうは行かんでしょ」
男は自分の寝室の方へと踵を返した。
「出掛けるよ」
「はい」
人熊のメイドはいそいそと後を追った。
「はい、御免なさいね」
正装に着替えたダニエルは門を開け、騎士団の館に行こうとしたが、群衆に押し戻され前に進めなかった。
「ダメだこりゃ」
しょうがないので、ダニエルは護衛の男に手招きをし、進路を開けさせる事にした。
「法務官様がお通りになるぞ!」
「道を開けろぉー!」
「公務で有る!道を開けろ!」
護衛の声に気付き、群衆が左右に別れた。
「ダニエル様!」
「法務官様!待ってました!」
(なんだかねえ)
まるで千両役者の様に群衆に迎えられた彼は、チェスワフ部族長の八男坊。
成人しても遊び歩き、チェスワフ部族長に冒険者にされたが直ぐに辞め、30歳になるまで家を出て遊び歩いていたが。急に戻ってきて法務官に立候補しそのまま当選、6年前から法務官として活躍していた。
「あ、その木箱でいいや」
「へぃ」
護衛に道端に置いてあった木箱を道の真ん中に移動して貰い、法務官のダニエルは木箱の上に立った。
「多いなおい…」
通りの端から端までどころか、近隣の建物の屋根にまで人が乗っていた。
「ダニエルか」
「どうなってる?足止めしてたんじゃねえか?」
「判りませんよ」
遠巻きに様子を見ていたポルツァーノ兄弟の手下は、木箱の上に登ったダニエルを見て驚いた。
今回の騒ぎを起こすために、5人居る法務官の内、唯一ビトゥフに残っていたダニエルを酒と女で酔い潰した筈だった。
「あっあー。よし」
喉の調子を確かめてから、ダニエルは群衆に呼び掛けた。
「市民諸君!正当な理由無き集会は罰せられる事は君達も理解しているとは思うが、誰か私か他の法務官に集会の許可を申請した者は居るか!?」
静かに聴いていた群衆は、誰かが「荒鷲の連中が金を」と話始めたら、一斉に堰を切ったように荒鷲の騎士団への文句を言い始めた。
「おい、退くぞ」
「へい」
群衆を焚き付け続ける予定だったが、法務官のダニエルが居るなら話は別だ。正体がバレる前にポルツァーノの手下は引き揚げることにした。
「荒鷲の騎士団が逃げ出すって話だが、何処に逃げるって言うんだ?」
そもそも、西は反乱奴隷、南は人馬、そして人狼の領地である東と北は魔王の支配下なのだから逃げ道なんか無いのだ。
「そういやあ…」
「そうだよなあ」
焚き付け役も居なくなり、半分野次馬として参加していた群衆が大人しくなったので、ダニエルは彼等を諭し続けた。
「積み荷の真相は私が調べるから、君達は自分の仕事に戻れ!結果は公示人に触れさせる!」
群衆が引き揚げだし、ダニエルは木箱から降りた。
「おい、2人は例の金銀と荷馬車を確保してきてくれ。俺は騎士団に聞き取りに行ってくる」
「ハハッ」
「やれやれ………殺されなきゃ良いけど……」
「え!?」
ダニエルの一言に残った護衛は驚いた。
「いや、考えてみてよぉ。これぜってえ、誰かの陰謀だよ。嫌な予感しかしないもん俺。ったく、非番だった筈なのによぉ」
(また始まった)
事有る毎に“陰謀論”を身内に吹聴するダニエルに護衛の男は適当に聞き流していた。前など、空飛ぶ円盤が水銀鉱山の周辺で目撃された事件があったが、“宇宙人だ!絶対宇宙人だ!”と1月近く鉱山に通い詰めていた。
「チェスワフの倅が来ます」
「ダニエルか開けろ」
騎士団からしたら、チェスワフ部族長の息子とは会いたくは無いが、相手のダニエルが法務官の肩書きを持っているので会わざるをえなかった…訳ではない。
「法務官だ開けろ!」
覗き窓が開き、顔を確認した騎士団員が外門に小さく付けられた扉が開いた。
「災難だったな」
少し屈みながら扉を潜ったダニエルは騎士の1人の顔を見るなり、そう言った。
「全く、勘弁してほしいぜ。何だって俺達が非難されなきゃいけねえんだ」
仕事柄、“刑事”を担当する騎士団と“司法”を担当する法務官のダニエルは付き合いが有り、ダニエルに関してはソコまで騎士団と中が悪くは無かった。
「取り敢えず、部下2人に荷馬車の確保を頼んだが………。軍資金の輸送でもしてたのか?」
騎士は両手を上げ、「いや違う」と答えた。
「軍資金はこっちに残す手筈だ。オルゼル城へは食糧と武器を輸送していた。金銀など全く知らん」
「全くね………」
ダニエルは広場で足止めを食らっている荷馬車に近付いた。
「これ等は?」
「次に運び出す予定の物資だ。中身は武器庫に残っていた武器と、ポルツァーノ商会から納品された新品の剣だ。おい、帆布を外せ」
騎士の指示で帆布が外され、ダニエルは荷台によじ登り木箱を眺めた。
「ポルツァーノ商会からの荷物は中身を確認したか?」
荷台の木箱の半分はポルツァーノ商会の紋章が側面に描かれていた。
「ああ、ポルツァーノ商会に居る騎士が確認している」
「………此処では確認してないのか?」
「するわけ無いだろ。積めてるところを確認してるんだから」
騎士の返答に、ダニエルは部下に「バールをくれ」と指示した。
「おい、何を!」
「お前さんらが運んでない筈の物が出てきたんだ。全部見させて貰うぞ」
ダニエルが木箱の1つを開けると、中身は新品の剣だった。
「だから言ったろ。中身は武器だ」
「ダニエル様!コレを!」
別の箱を開けてみた部下が、袋を取り出して、中を覗き込んでいた。。
「何だそれは?」
「こいつは………銀貨です」
「なっ!?」
部下が袋をひっくり返すと、木箱の上に銀貨がぶちまけられた。
「どうなってるんだ………」
その場に居た騎士団員が全員顔を合わせ、“あり得ない”と顔に出していた。
「確認した騎士は何処に?」
「ポルツァーノ商会の話では先に帰ったと………」
ダニエルは“ほら、陰謀だよコレ”と自分の運の無さを嘆きながら、右デコを掻いた。
「取り敢えず、その騎士を探すのと、ポルツァーノ商会に行きますか」