転移門と魔術工学
転移門の在る大部屋の隅、2段ほど低くなったスペースに科学者達は集まっていた。
「おい、大丈夫か」
「転移門はなんとか。数値は全て許容範囲です」
突然の地震で吹き飛ばされた者も居たが、科学者達は持ち場から離れず、異世界に送り込んだ諜報員の強制転移の作業を開始しようとしていた。
「時間の同期はどうだ?」
上で人狼の中尉と話をしていた人馬の科学者が、部下の科学者に指示を出していた。
「1986年の1月から3月の間で数値が揺れ動いていますが、誤差の範囲かと」
部下の科学者が操作をしているのは、木製の筐体に、電気工学からヒントを得て彼等が独自に発展させた、魔術工学が生み出した制御装置だった。
地面等に複雑な魔方陣を描かずに、電子回路をそっくりそのまま参考にして組まれた魔術回路で複雑な魔法を制御装置のダイヤルやスイッチで操作するための装置。魔術師が感覚で調整していた魔方陣内での魔力の変化を全て可視化し、異世界への転移門といった非常に複雑な魔法を殆ど魔法が使えない彼等が異世界と行き来することができた。
「場所は?」
「北米大陸、東海岸。マサチューセッツ州を中心に半径500キロの範囲まで絞れました」
制御装置は3つに別れており、一番左の制御装置は異世界の様子を観るための装置だった。正面は情報表示の為のモニターになっており、古いブラウン管テレビと同じ縦横の画面比率が4:3。仕組みもブラウン管を模しており、20インチの単色パネル3面と46インチのカラーパネルが1面埋め込まれていた。
「なら問題はないな」
此方の世界と全く無縁の人の魂を引っ張って来るなら危険だったが、諜報員は此方の世界に転生した者が殆どで、座標と時間にズレがあっても比較的容易に帰還できると考えられていた。
「作業開始だ。先ずは11648からだ」
人馬の科学者が、送り出した諜報員の番号を指示すると、部下は数字が掛かれたアナログダイヤルを回し、“11648”とした。
すると、諜報員の偽名と居場所が制御装置の一番右上の白黒モニターに文字として表示され、中央に地図と赤い丸が表示された。
「同期が取れました。現在、11648はニューヨーク市内でトラックに乗っています」
正面に配置された一番大きいモニターに映像も表示され、タバコを吸いながらトラックを運転する男が映った。
「トラックか………」
仮に、この諜報員を強制転移させた場合、魂が抜けた諜報員の身体を乗せたトラックが暴走するのは目に見えていた。
「どうしますか?」
「少し待て」
時間は無いが、無意味な事故を引き起こすつもりは毛頭なかった。
信号待ちか、何処かに止まった所で転移を開始するつもりでタイミングを見図る事にしたが。
「主任、本殿からです。地上で土砂が噴出し被害が出たと念話で連絡が入りました」
「誰からだ?」
隣の部屋に詰めていた通信兵の報告で事態が深刻だと知ることになった。
「アスマン中尉からです。負傷者が多く、大佐も憤石に当たり負傷し、代わりにジーベル少佐が指揮を執っています」
「不味いな」
アスマン中尉は先程、地上で諜報員の帰還について話し合っていた士官だったが。そのアスマン中尉から猟兵部隊の指揮官であるジーベル少佐が遺跡派遣部隊の全指揮権を代行したと聞き、時間が無い事を悟った。
ジーベル少佐の性格からして、証拠隠滅の為に諜報員を向こう側に残したまま、転移門を破壊し撤退する可能性があった。
「主任、11648が停止しました」
人馬の科学者がモニターを見ると、11648は路肩にトラックを止めサイドブレーキを掛けている所だった。
「よし、転移開始だ」
「了解」
11648の様子を映し出していた制御装置の右隣にもう1台置かれた制御装置に着いていた科学者が、転移門の起動を開始した。
こちらは隣と違い、単色のモニターが3つ。それと、転移門を解析し判りやすく図化した魔術回路のライン図に光石が埋め込まれたパネルが有り、パット見では発電所や大型工場の装置を動かす制御装置のようになっていた。
「魔力充電開始。………異常なし」
「同期状況、誤差+-3秒。座標誤差+-12センチ。異常有りません」
一番右端の科学者がレバーを操作すると、コンデンサに充電された時に出る様な低い音が転移門から聞こえてきた。
「充電開始。充電量-10KHV…………-20KHV…………」
電気工学を元にしているため、VやAと言った記号に魔術を意味するHを付けて使われていた。
「………-100KHV。転移可能です」
「やれ」
スイッチが押され、制御装置から信号が送られると、転移門に隣接する制御用の回路に“蓄えられた”-100KHVの魔力が転移門へと流れ、転移門は青白く光輝いた。
ほんの2、3秒で光は弱まり、科学者達は転移門の正面に移動し11648が無事に戻ってきたか確認に向かったが。
「………?おい、誰も居ないが」
そこには11648の姿は無かった。
「モニターはどうなってる?」
「まだ向こう側に居るようです」
科学者達は担当する制御装置や転移門の方へ移動し原因を探し始めた。
「一体何故?魔力は何処に行った?」
「回路の不良か?」
「信号を確認するぞ、測定器を」
「主任、向こう側の11648が!」
「どうした?」
人馬の科学者と部下達がモニターを見ると、モニターの向こう側の11648が胸を押さえていた。
「トラックを動かし始めて直ぐに苦しみだしました」
「どう言うことだ?」
11648がハンドルに寄っ掛かると同時に転移門が光り、男の叫び声が響き渡った。
「あ"あー!あー………?」
「大丈夫か!?」
「ここは一体?主任?まさか?」
叫び声を上げたのは、11648だった。モニターの向こう側の姿とは違い、人間ではなく人狼の姿でこちらの世界に戻ってきたのだ。
「異常は無いか?」
「え!?はい………!車は!?」
人馬の科学者がモニターの前に戻り確認すると、トラックは事故を起こしたのか、血塗れの11648の姿が見えた。
「クソ………」
運転席が開けられ、首から警察バッジを掛けた男が11648の脈を確認している姿が見えた所で「同期を解除してくれ」と人馬の科学者は部下に指示した。
「一体何が?俺は元の世界に居た筈だが」
「神聖王国の兵士が此方に来るんだ。それで撤退することになったんだ。なあ、向こうで胸を押さえていたが、どうしたのか?」
科学者の1人が諜報員から帰還時の状況を聞き出し始めた。
「ああ、急に胸が苦しくなって、それと貧血の時見たく、段々と意識が遠退いて。気付いたら此処に戻っていた」
「直ぐに時差が起きた原因を調べてくれ」
部下に指示を出した人馬の科学者は短く溜め息を吐き、眼を覆った。
(向こう側にはニューヨークだけで10人以上居るんだぞ、間に合うのか?)
遺跡の転移門に書き加える形で描かれた制御用の魔術回路とそれの制御装置を科学者達が再度調べ始めたが、数分で終わる筈がなかった。
「主任………やれますかね?」
部下の1人が不安そうに尋ねてきた。
「やるしかない」
今ここでやり遂げなければ、向こうに送り込んだ諜報員を犬死にさせかねない。
………若しくはジーベル少佐の性格からすると、向こう側に被害が出ることを厭わず、“一気に転移を開始しろ”と命令してくる恐れがあった。