8話 お勉強 ~世俗騎士団:ガーター騎士団、金羊毛騎士団、ドラゴン騎士団~
ふんわりまとめは、新しい資料を見つけたら、随時加筆予定。
今回は、王侯貴族が作った騎士団についてです。
キリスト教に関係ある、修道会の騎士団ではありません。
【ふんわりまとめ】
●世俗騎士団
各国の王・貴族が作った騎士とその附属員から構成される団体という意味での、騎士団のこと。
キリスト教に関係ある、修道騎士団とは違う。
14世紀にはいると軍事方式も変わり、長弓、弩弓を持つ歩兵の重要度が高まり、騎士の重要性は薄れていった。
しかし、騎士の軍事的実用性が失われると、今度は名誉としての騎士の意識が高まる。
騎士道へ意識が向けられるようになり、アーサー王伝説の円卓の騎士や騎士修道会への憧れが強まった。
力のある王や貴族が名誉的組織として、あるいは友愛組織として、騎士修道会を模した騎士団(世俗騎士団)を設立するようになった。
現在では、勲章を与えるなど、勲功システムとしての側面が強い様子。
・中世の有名な世俗騎士団
ガーター騎士団 (現在はイギリスで継続中)
金羊毛騎士団 (現在はスペインとオーストリアで継続中)
ドラゴン騎士団 (ハンガリーだったが、衰退した)
【ガーター騎士団】
英国のエドワード3世によって創始された。ヨーロッパの現存騎士団の中で最古の歴史を誇っている。
モットーは「Honi soit qui mal y pense」(悪意を抱く者に災いあれ)
勲章にも、その文字が刻印されている。
・ガーター勲章(英: Order of the Garter)
正式なタイトル「Most Noble Order of the Garter」(最も高貴なガーター勲章)。
イングランドの最高勲章。勲章の大綬(身につけるために用いるひもで、最も大きな物)の色がブルーであるため、「ブルーリボン」とも呼ばれている。
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の栄典においても、騎士団勲章(order)の最高位である。
全ての勲章・記章の中ではヴィクトリア十字章とジョージ・クロスが上位に位置付けられている。
・騎士団勲章
本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。
・ガーター騎士団員の称号
男性が「Knight of the Garter(ナイト オブ ジ ガーター)」、軍事褒章や栄典における、騎士のポスト・ノミナル・レターズ(日本では肩書に相当)は、「KG」と表記。
女性が「Lady of the Garter(レディ オブ ジ ガーター)」、騎士のポスト・ノミナル・レターズは「LG」と表記される。
●エドワード三世
プランタジネット朝のイングランド王(在位:1327年~1377年)。
50年間在位し、イングランドを強国に育て上げ、百年戦争を開始した。
●ガーター騎士団の誕生
成立時期には、二つの説がある。
1344年1月にエドワード3世がウィンザーで円卓を使用した饗宴を催した際に、「アーサー王と円卓の騎士」の故事に基づいて。フランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする説。
1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす説。
近年では1348年説が有力視されているらしい。
●騎士団設立の経緯の逸話あれこれ
エドワード3世が舞踏会でソールズベリー伯爵夫人ジョアン(後のエドワード黒太子妃)とダンスを踊っていたとき、伯爵夫人の靴下止め(ガーター)が外れて落ちた。
ガーターが外れるのは、当時恥ずかしい不作法とされていたので、周囲から嘲笑される。
しかしエドワード3世はそれを拾い上げ「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言って自分の左足に付けたというもの。
エドワード3世がフランス王を名乗ることを「悪」と主張する者に対して、エドワード3世が「災いあれ」といったのが始まりとするもの。
また、聖ジョージ(George)(または、聖ゲオルギウス)が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、リチャード獅子心王が十字軍の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事がある。
エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護聖人とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。
※聖ジョージ(聖ゲオルギウス)
キリスト教における、イギリスの守護聖人。ドラゴン退治の伝説で有名。
白地に赤い十字の図案「セント・ジョージ・クロス(聖ゲオルギウス十字)」はイングランドの国旗に採用されている。
・ドラゴン退治の伝説
カッパドキアのセルビオス (Selbios) 王の首府ラシア (Lasia) 付近に、毒気は振りまく、人には咬み付く、という巨大な悪竜がいた。
竜の生贄のくじに当たったのは、王の娘。すなわち王女であり、姫。
ゲオルギオスは、生贄に生贄の行列の先にたち、竜に対峙した。竜は毒の息を吐いてゲオルギオスを殺そうとしたが、開いた口に槍を刺されて倒れた。
ゲオルギオスは姫の帯を借り、それを竜の首に付けて犬か馬のように村まで連れてきてしまった。
※おそらく、この姫の帯の部分が、上記のガーターにつながったと考えられる。
●定式化
創立時よりガーター騎士は王と皇太子を含めて26名。
最初のメンバーは国王エドワード3世以下の13名と、エドワード黒太子以下の13名の2組に分けられていた。
その後、16世紀前期にヘンリー8世によってガーター騎士団の儀礼の定式化が進められ、騎士団員は国王と皇太子と24名の勲爵士に限定された。
当初、国王と皇太子以外の王族は24名の勲爵士と別枠ではなかった。が、18世紀後半、ジョージ3世に王子がたくさん居り、臣民への授与の圧迫を避けるために王族は24名とは、別枠となった。外国君主への授与も別枠である
●正装
一般にガーター勲章と呼ばれるものは、ガーター、黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)、大綬章(これにブルーの大綬が付く)、星章で構成されている。
ガーターにはブルーの生地に金の刺繍がされ、中央にモットーが記されている。
着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける。
正装は、ビロードのマント(ガーター・ローブ)と羽飾り帽子、真紅のフードがあり、これらを着用したうえでガーター、頸飾、星章を佩用する。
大綬章は正装時には付けないのが慣習。
また、正装はガーター・セレモニーや戴冠式など、限られた場面でのみ用いられている
勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたり。
王室の許可を得れば星章や大綬章などは、複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る。
●ガーターセレモニー(騎士の叙任)
1948年以来、6月にウィンザー城で行われるのがガーターセレモニー(Garter Ceremony)である。
その年に新たに叙任される勲爵士があれば、ガーターの玉座の間において叙任式が開かれる。
新たに勲爵士となる者は、既に勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。
叙任式では新勲爵士が君主の前に歩み出て、君主から小姓に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け、星章を左胸に着ける。
そして、紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる。
叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルまで行進する。
隊列は古株ほど後方となり、最後列になると王族、そして君主自身が殿となる。この行進は公開であり、観光客も見物することができる。
城内のセント・ジョージ・チャペルにはガーター勲爵士のバナーが掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている。
これらは勲爵士が死去すると翌年の聖ジョージの日(4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される。
死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。
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【金羊毛騎士団】
●金羊毛騎士団
ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公によって作られた世俗騎士団。
英語に基づいてゴールデン・フリース騎士団(Order of the Golden Fleece)、フランス語に基づいてトワゾン・ドール騎士団(Ordre de la Toison d'or,)とも呼ばれる。
モットーは「我らの働きに報償に値しないものはない」(Pretium Laborum Non Vile)
●名称由来
ギリシア神話のイアソンの物語と、旧約聖書・士師記のギデオンの物語に由来している。これは善良公は十字軍を想定していたからである。
「金羊毛皮」はギリシア神話に出てくる秘宝のひとつで、翼を持つ金色の羊の毛皮のこと。コルキスの王が所有し、眠らないドラゴンによって守られていた。
また、「金羊毛皮」は錬金術の達人の象徴である。
※イアソンは、アルゴー船で、コルキスの黄金の羊の毛皮を探索した。
※ギデオンは、イスラエル人を東に住むミデヤン人のから救い出すためのイスラエルのリーダーとして選ばれた人らしい。
「ギデオンの羊の毛」という聖句が、旧約聖書に書かれている。その中では、羊一匹分の毛と露が、重要な役割を果たす様子。
東方正教会と西方教会の両方において、ギデオンの羊毛はマリアの受胎告知の象徴であり、マリアは羊毛、キリストは露と見なされているらしい。
●フィリップ三世(善良公)
百年戦争において、初めはイングランドの同盟者でありながら、ほとんど手を貸さず、安定した統治を行い独自に領土拡大政策を進めた。フランスが反撃を開始すると徐々にフランスへ接近。
やがてイングランドから離れて、フランスと和睦。百年戦争がフランス優位になる転換点を作った。
金羊毛騎士団を創設し、騎士道文化が最盛期を迎える。
ファン・エイク兄弟などのフランドル派絵画や、ブルゴーニュ楽派の音楽はヨーロッパで最高水準のものとなった(北方ルネサンス)。
ただし、1430年、ジャンヌ・ダルクを捕らえ、イングランド軍に引き渡してもいる。
●騎士団の成立
1430年に、フィリップ善良公がポルトガル王女イザベルと結婚する際に、イングランドのガーター騎士団に倣って作られた。
聖アンデレを守護聖人とし、異端を排除してカトリックを守護することを目的の1つにしており、宗教改革時にはメンバーをカトリックのみに限定していた。
カトリックのみの部分は、現在でも、オーストリアの方の騎士団に受け継がれている。
1477年にシャルル突進公が戦死し、一人娘のマリーがハプスブルク家のマクシミリアンと結婚した。それに伴い、公位と騎士団がハプスブルク家に継承された。
後にスペインがブルボン朝に代わったとき、騎士団はスペインとオーストリアに分かれた。
ハプスブルク家は16世紀に飛躍的に勢力を伸ばし、それに伴って金羊毛騎士団の地位も上昇した。
当初31名とされていた定員は、領土の拡大に伴いカール5世により51名に増員。その後も増員されている。
●現在の金羊毛騎士団員
・スペイン
現在でも、王家の与える勲章として存在している。団員に、性別の区別はない。
スペインの第一位王位継承権者、アストゥリアス女公レオノール王女をはじめ、英国のエリザベス女王や、デンマークのマルグレーテ女王などの女性も、騎士団員である。
・オーストリア
第一次世界大戦後にハプスブルク家のカール1世が帝位を失ったが、元皇太子オットーを経て、その長男カールへと騎士団主権者が受け継がれた。
騎士団主権者をベルギー王アルベール1世が受け継ぐという提案に、スペインが反対したため。
現在もオーストリア・ハプスブルク家が主催する金羊毛騎士団は、ハプスブルク一族、旧ドイツ諸侯家などを団員としている。
現役国家元首としては、ベルギー国王、ルクセンブルク大公、リヒテンシュタイン侯が在籍する。
団員資格を「カトリック教徒の男性に限定」しており、そのため帝政時代から、日本の天皇家のみならず、同じ欧州の英国王家なども団員となったことはない。
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【ドラゴン騎士団】
1408年にルクセンブルク家のハンガリー王ジギスムント(後に神聖ローマ皇帝を兼ねた)が、ガーター騎士団などを模して創設した騎士団。
ハンガリー王室や十字架を守り、その敵と戦うことを掲げた。
当初ハンガリーの貴族や国外の名士ら21人を団員とし、後に拡張された。
1437年のジギスムントの死によって、ドラゴン騎士団は没落した。
※余談
構成員の一人、ワラキア公ヴラド3世が、吸血鬼ドラキュラのモデルの一人とも言われる。
しかし、現在は、故国を侵略から守るために戦った英雄として、再評価されつつある。
父ヴラド2世は、ハンガリーのドラゴン騎士団の一員に叙せられ、「ドラクル (Dracul)」 竜公と呼ばれた。
その子供という意味で「ドラキュラ (Dracula)」小竜公というニックネームを当時、本人自身が名乗っていたという説がある。
ドラコ(draco)というのは、ドラゴン(dragon)の元となった怪物。ラテン語では、どちらもドラコと呼んでいる。
情報源はWIKIなんとか。あちこちから、資料の寄せ集めになっています。
間違ってる部分や、足りない部分もあるかも。
自分のための資料集なので、ふんわりまとめです。
短編は、エルフ書房世界観の連載小説の続きを下書き中なので、お休み。