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8話

「……流星?」


 聞き覚えのある声に視線を向ければそこに予想通りの声の主、両手を腰に当て、不遜な態度を隠そうともしない流星の姿がある。


 しかし、彼女の意識は遊真に向けられておらず、


「遂に姿を現したわね」


 不敵に彩られた双眸は遊真の遥か上、物理の法則を無視して壁立ちをする不審人物を捉えていた。


 対し、流星に睨まれた人物もその視線を受けながらも眉一つ動かさず、努めて平静を装い動じる様子を見せない。


「……拙者は、まんまと釣り出された、というわけでござるか」


 漸く紡がれた言葉は独り言のようで誰に向けられたのか不明だが、その問いの回答は動揺の隠し切れない遊真ではなく、即座小さな少女が引き受ける。


「そうよ、あんたが遊真のことずっと観察してたのは知ってんだからね」


「の、割には随分回りくどいことをしているでござるな」


「見張られてるのはわかっても、誰か、が特定出来なかったからよ。でも遊真を一人にしてみせたら見事、ビンゴ、ってわけね」


 遊真は気付く。天宮鈴音を呼び出す話は始めから茶番で、頭上の不審人物を誘い出す罠だったのだと。そして、惑井流星というこの少女は遊真を見張る存在に気付き、遊真へと声を掛け、近づいてきたのだ。


 彼女は一体何者で、何故そんなことをと疑問に思うが、既に遊真の存在など置いてきぼりに二人の問答は押し進められ、


「で? つき止めた拙者をどうしようと?」


「まずは、あんたが何を企んでるのか洗い浚い吐きなさい!」


「否、と申したら?」


「力ずくでも吐かせてあげるわっ!」


 対決の姿勢を見せていた。


 見た目小学生の少女が、壁立ちをするような技を平然と遣って退ける巨漢の男に喧嘩を売る。無茶を通り越しあまりにも無謀な挑戦だが、流星の瞳はどこまでも輝き、自分の勝利をまごうことなく確信していた。


 その自信の源なのか、流星はどこからともなく取り出した、パステルカラーに彩られたソプラノリコーダー程の短杖を額に翳す。


 何をしようというのだろうかと遊真の疑念が尽きない中、流星は短杖を高々と頭上に押し上げ、


「コズミックパワー、フォーリングッ!」


 声高らかにのたまった。


 途端、短杖から白く淡い光が溢れ出し、眩いばかりの光球が流星の小さな身体を包み込む。


 そして次第に光量を落とし中から現れたのは、ブレザーから瞬間衣替えを果たし、白とオレンジを基調とした装飾過剰なセーラー服姿の流星だった。


「魔法……、少女?」


 遊真の呟きなど、獲物を前にした少女の耳には届かぬようで、


「神秘なる宇宙の力を携え今ここに、ギャラクシープリンセス、参上よっ! さあ、覚悟しなさい!」


 名乗りを上げたギャラクシープリンセスこと惑井流星は拳を固め、小さな身体で驚きの跳躍力を見せながら躍りかかった。


 対する壁立ちの男は怯むことなく、九十度傾いた体勢ながら器用に構え、肉薄する流星を静かに迎え撃つ。


「……受けて立つでござる」


 流星の拳が風を切り、男の顔面へとめり込ませようとしたその瞬間、男は巨躯を僅かに傾けることでやり過ごす。それが互いの挨拶だと言いたげに、二人の身体が弾かれるように大きく離れたと思いきや、コンクリートの塀と校舎の外壁、そして樹木を足場に利用した壮絶なる空中戦を繰り広げだした。


 開幕から様々な手管が繰り出され、互いの力量を推し量るような一進一退の戦い。


 遊真の頭上で目まぐるしく入れ替わる攻と防。


 格闘と表現するには不適格、だが紛うことなき肉弾戦。遊真の瞳には、そんな捉えるのもやっとの動きで飛び交う二人の姿が映し出されていた。


 純粋な速さで言えば、大柄な男に僅かながら分があるように感じる。だが、一撃の重さを比較すれば、それが身に纏う衣装の力なのか目に見えて流星が勝っていた。


 その差から互角のように見えた戦いも時が経つにつれ、身体能力のハンデを変身という手段で克服した流星が次第に戦局を優位に進めていく。


 均衡を破る糸口を見出したのは明らかで、流星は手数で押し返そうとする男の攻め手を力技で払い除け、防御の上からでも容赦の無い一撃を叩き付けだしたのだ。


 大勢の不利を悟ったのか、男は流星に蹴り飛ばされる勢いを利用して一度大きく距離をとる。


「流石は、協会の兵でござるな」


「観念するなら今のうちよ。今ならまだ許してあげるわ」


 大地に着地した不敵な笑みを浮かべる流星は、己の勝利に揺るぎ無い自信を窺わせていた。


「いやいや、降参するにはまだ早いと申すもの」


 しかし、屋上付近にまで遠退き、再び校舎の壁に足裏を張り付かせる男の表情には追い詰められている様子は微塵もない。事実、それを証明するように防御の上からとはいえあれだけ殴られたというのに、その飛び抜けた身体能力を衰えさせる負傷や疲労は皆無のように見える。


「なら、痛い目を見てから後悔するのねっ!」


 それを痩せ我慢とみたのか、流星は膝を曲げ、腰を落とす。


「では、そろそろこちらの手の内も見せるでござるよ」


 追撃の準備を終え、今一度飛び上がらんとする流星に先んじて、男は右手を左肩口から前方へと突き出した。


「っ!」


 鈍い光りと共に何かが投じられたと悟るのだが、しかし、それは身構えた流星が避けるまでもなく、まして蚊帳の外にて立ち竦む遊真の身にも降り注がれることなく地面につき刺さった。


「随分とコントロールが悪いのね。悪足掻きもいい加減し……、なっ!」


 小さく嘆息し、呆れの感情を表した流星だが、突如として驚きの声を上げ、


「身体が……、動かない……」


 焦りが流星の表情に溢れ出していく。


 押し殺すように呻いている様子は切実で、冗談を口にしているのではないのだろう。必死に身じろぎしているのだが、目に見えて動きのある箇所は自身の現状を伝えた唇と、恐らくそれが回答なのだろう西日に照らされ長く伸びた流星の影に突き立てられた五寸釘を捉える動揺に見開かれた眼球のみ。


「……か、影縫い?」


 流星の呟きは遊真の導き出した答えと一致していた。


「忍者かっ!」


 遊真の叫びと共に二人の振り上げた視線の先が、壁立ちの男を捉える。


 何故、忍者が自分を見張るのか。そんな疑問が僅かに過ぎるが、今はそれどころでは無い。


 遊真は忍者というものを知っている。だがそれは、実在した歴史上の忍者に毛を生やした一般的に知られている程度の知識でしかない。今もその秘術を伝える者達の噂は耳にすれど、その実態はほとんど闇に包まれた得体の知れない集団だった。


 そう、忍者とは有名であると同時に、この世で最も実体の掴めない存在。つまりは相手が忍者とわかった以上、次に何を仕掛けてくるか全く読めなかったのだ。


「遊真っ!」


 言葉少なげな流星の叫びに言わんとすることを察すると、流星の影へと踏み込み、腕に力を込めて握り締めた五寸釘を引き抜きにかかった。流星と男、共に未だ正体不明な双方だが、少なくとも小さな少女の方は自分を害する気はなさそうに見える。ならばここは彼女に味方しておくべきだろう。


「……ダメだ、抜けない」


 だが、両足を大地に押し付け、全身全霊を持ってしても引き抜くことは叶わない。まるでこの掌に収まるほどの細長い金属から、樹齢三桁を超える大木と見間違わんばかりの根が、流星の影を映しだす地面の下に張り巡らされているのではと思えるほどに。


 その様子を涼しげな顔で見守っていた壁立ちの男は、


「人の手では無理でござるよ。さて、今後のためにも一応決着だけはつけておくでござるか」


 静かに告げ、校舎の壁に張り付いたまま身構えた。


 不味い。


 得も知れぬ不安に、冷たい汗が背を伝う。


「くっ!」


 咄嗟に遊真は懐へと手を突っ込み、握り締めたそれを壁立ちの男に翳した。


 遊真の指先、太陽光を浴びて煌めくそれは胡桃程の水晶球。遊真はその無色透明の球体を介して壁立ちの男を見据えるが、


「むっ? それは不味いでござるな」


 その挙動に反応を示した男は、素早く身を翻し一定以上の距離を保ちつつ、壁の上を右へ左へと移動を繰り返して遊真の視線を掻い潜る。即座に対応したところから遊真が何者であり、何をしようとしたのか知られているのだろう。


 遊真は男の動きに歯噛みする。が、


「遊真っ?」


 少女の声に彼女の存在を思い出し、手にした水晶球を真下に向けた。


 己の体内に宿る魔力を紡ぎ、水晶球を通じて押し放つ。


 珠が淡く白光したと同時に、


「流星っ!」


「!? 動けるっ!」


 中腰の姿勢のまま固まっていた流星が自身の身体の変化に気付き、再び弓から放たれた矢の如くその小さな身体が男目掛けて追撃を開始した。


 固められたことで、さぞ鬱憤が溜まったのだろう、


「十倍返しは確定なんだからっ!」


 鼻息荒く、拳を振り上げる。


 元々、この戦いはギャラクシープリンセスこと流星が優位に進めていた。それが不意打ちとでも言うべきか、「影縫い」が投じられて僅かな間だけ戦局が傾いたに過ぎない。


 得体の知れない忍者相手という不利を背負い込んだとしても、こちらは二対一で戦えるのだ。現に男は、彼と相対する決意を表した遊真の右手に握られた水晶球が気になっているのか、流星の拳に集中出来ないでいる。


 油断さえなければ十分互角以上に戦えるのは明白だった。


「どっせいっ!」


 遂に流星渾身の回し蹴りが素早く動く巨躯を捉え、男は吹き飛ばされて背中を地面へと強か叩き付けてしまう。


 大きく体勢を崩した男。そこで一際高く跳躍した流星は、捻りを加えた伸身宙返りから、


「トゥインクルシュゥティングスタァァァァァッ!」


 止めの一撃と言わんばかりに、必殺の雄叫びを上げながら飛び蹴りを繰り出した。


 金色のオーラに包まれながら飛来する流星は、右脚を真っ直ぐ男に向けて直進する。


 有言実行、十倍返しは本気だったようで、重力落下による加速を上回る勢いが生身の人間相手では少々不味かろう破壊力を秘めているのは、男から滲み出る危機的焦燥感からも明らかだった。


 流石にやり過ぎだと制止を呼びかけようとする遊真だが、しかしその声が発せられる前に流星の金色のオーラを纏った右脚は男の身体を捉えることが困難に陥る。


「ぎゃん! 何なのよこれっ!」


 何の前触れもなく、突如宙空に走った縦横無尽の黒き筋。その校舎外壁と塀の間に張り巡らされた無数の黒い線が実体化し、流星の小さな身体に絡み、受け止めてしまったのだ。


 その様はまるで、羽虫を捕らえた蜘蛛の糸。


 遊真もあまりの一瞬の出来事に反応を表すことすら叶わず、気付いた時には全身に黒い糸が絡みつき身動きのとれない状況になっていた。何が起きたのか理解が及ばず、もしやと地に尻餅をついた姿勢の男へと視線を送るが、同様に絡めとられているところから彼の術の一環というわけではなさそうだった。


 そこへ只ならぬ気配が押し寄せる。


 全身に凍結するような寒気を感じつつも、その気配を辿り首を捩った先は校舎一階の窓の一つ。流星と男も時と動作を同じくして、三者息を合わせたかのように目にし、息を飲んだ。


 三人の大きく見開いた目に映るは、腕を組み、怒りに震える一人の教師の姿。


「愚か者っ! 入学早々校内で、しかも術まで使って暴れるとはどういう了見じゃ!」


 倉科涼子だった。


 そう、自分達を捕らえたこの黒い糸は、倉科涼子の魔術による仲裁だったのである。


 そして問題児達を双眸に捉え、眉を上げ鬼の形相で手招きをする担任教師の腹はさぞ煮え滾っているのだろう。


 これから訪れるであろう恐怖の時間を幻視して、遊真はただ震えることしか出来なかった。

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