30話
「涼子先生っ!」
堪らず開けた遊真の目に、片手を天に翳す担任の後姿を捉える。
途端、倉科涼子から内なる魔力が爆発的に放射された。
どこまでも精練され、濃密な魔力。遊真はその圧倒的な魔力の流れを全身で感じ取り、改めて【ミズノアキラ】の偉大さを認識すると共に、いかに自分達がちっぽけな存在なのかを痛感した。
やがて倉科涼子の意志により行使された神秘の秘術は、その膨大な魔力を纏め上げ、彼女の周りに一つの大きな渦を作り出す。
次第と加速する奔流に中心たる倉科涼子の靴底がふわりと宙に持ち上がり、浮力を得た彼女は緩やかに【傾翼】と対峙すべく上空へと浮かび上がった。
闇に包まれた空の下、聳える森の木々の更に高みまで上り詰めた時、緊迫した空気が一層張り詰め、倉科涼子の身体から眩いばかりの光が辺り一面へと放たれる。あまりの光量に両腕で視界を遮り、更に瞼を固く閉ざすのだが、それでも直、視神経は眩しいと訴えていた。
神々しくも儚げな、慈愛に満ちたその光は地上界を柔らかく包み込むように広がりを見せ、淀んだ大気を清浄化しながら、大地に降り注ぐように浸透していく。
そして地上界に馴染んだ青白い光は舞い降りようとする【傾翼】と刹那せめぎ合い、だが即座に負の圧力もろとも上空へと押し返し、遊真達の身体と心に安らぎを与え始めた。
「これが……」
「そう、これが貴方達地上界の住人が【閂】と呼ぶ秘術。もうすぐ門は再び閉ざされ、永き刻の間、地上界は【混沌なる妖】からの脅威に怯えずに済む」
遊真は流れ込む天宮の声を耳にしながら、未だ眩しさを残す幻想的な光景に暫し魅入った。
そして次第に禍々しいまでの圧力から解き放たれるのを肌で感じて、倉科涼子の秘術が終わりを迎えているのを知り、懸念されていた不安に心を詰まらされる。
秘術は、倉科涼子の命と引き換えであることは忘れていない。
しかし、未だ上空にある倉科涼子は健在で、風に黒い髪と紺のスーツを靡かせている彼女の身体に異変が齎されているようには見えなかった。既に魂が肉体と離別している可能性も無きにしも非ずだが、遊真の目から見た担任は生気が失われているようには窺えない。
「ねえ、担任なんともなさそうなんだけど……。失敗したの?」
「いや、重苦しいまでの負の気配が消え失せているでござるから秘術自体は……。もしかしたら、秘術に耐え抜いたのでござろうか……」
流星と歳蔵もそれに気付いたようで、怪訝に何やら言葉を交わしているが二人も予想の範疇を脱せず、正しい答えを求め、ことの成り行きを見守り、上空の倉科涼子を眺めていた。
もしかしたら秘術が命を奪い去る話自体が眉唾なのでは。遊真がそんな身勝手な想像を馳せた時、事態は更に進展する。
禍々しい気配から地上界の支配権を取り戻した青白い光が次第に収まりを見せると共に、突如、周囲の大気が濃縮されていくような感覚に襲われだしたのだ。
視界の端の歳蔵もその異変にか細い目を見開き、辺りに視線を彷徨わせている。
「何よこれ、空気が濃くなっていくような感じなんだけど」
傍らで狼狽える流星の目に見えないモノが故の感覚頼りの発言だが、概ね遊真は共感を得られていた。何が起こされているのかと意味もなく両掌を見つめるが、当然そこに答えが記されている筈もなく、全身を奇妙な不快感ばかりが駆け巡る。
一人、相変わらずの落ち着きを見せる天宮に目を向ければ、
「これが【閂】と呼ばれる秘術の副作用」
こちらの意を汲んでか、身体に感じる謎の紐を解き始めた。
「魔術に精通する人間は己の肉体に蓄えた魔力を使用して術を使用し、失われた分の魔力を無意識のうちに自然から吸収して取り戻している。そのため一度に己の蓄えられる魔力以上の術の行使は出来ず、それがその術者の限界となる」
と寄せられた天宮の視線には、僅かな疑問符を携えていた。それは、知っているかと問い掛けているようでもあり、続きを話して良いかと伺うようでもあった。
守部であれば常識である知識に改めて戸惑う必要もなく、怪訝な眼差しを投げ掛ける流星と歳蔵を捨て置き、遊真は顎引いて頷いて見せれば、天宮は上空の倉科涼子に視線を移す。
「【ミズノアキラ】の秘術は、【ミズノアキラ】の転生体である倉科涼子の魔力の全てを必要とする。倉科涼子に内包される魔力は人のそれを遥かに凌駕しているは昨日葛城君に説明した通りで、それは本来、人の身では保有出来ない量である。今、この現象を引き起こしているのは秘術を使用し膨大な量の魔力を消耗した倉科涼子の肉体であり、失われた魔力を取り戻すため周囲から掻き集めている正常な状態。しかし、その吐き出された途方もない魔力の反動、フィードバックに、器である倉科涼子の肉体は耐えうるは不可能で、即ち彼女の身が破壊されることを意味する」
ここで一度区切り、一拍置いた天宮は、
「それこそが人の身で秘術を扱う代償」
感情の起伏を見せることなく、説明を締め括った。
「えっ……、それじゃあ、秘術の命の代償ってのは……」
「秘術自体に倉科涼子を死に至らしめる作用はない。下より、人の命で埋め合わせ出来るような術は地上界に存在しない」
遊真の疑問は上空を見上げたままの天宮が解消するが、それでも納得出来ない者いる。
「嘘よっ! 魔力が人の身体を壊すなんて聞いたこともないわ。出鱈目よっ!」
流星だった。
悲痛な面持ちで叫ぶ魔法少女に、天使は感情を揺り動かされることなくゆっくりと唇を開く。
「魔力とは水と一緒。水道水で手を洗おうとも、お風呂で全身浸かろうとも人体に悪影響は及ぼさない。それどころか日常正しく使えば利を齎す。でも嵐の日、海に飛び込めば貴方達人間はどうなると思う? 貴方達の常識で倉科涼子を測ろうとしてもダメ」
そんなのはどうでもいい。そう心で呟いた遊真はじっと見据える。その上空に漂う倉科涼子の姿を捉える瞳には明確な意思が込められていた。
天宮の声が朗々と紡がれている間にも、その死の原因たる魔力は、遊真達が見上げる頭上に集いつつある。再び担任の周囲で渦巻き始めた、目に見えないはずの魔力の奔流。それが淡い光を放ち次第に凝縮されながら輪を狭め、丁度、秘術を行使した真逆の行程で倉科涼子の身を押し包もうとしていた。
それは間も無く彼女の下に死が訪れる前兆であり、そして今この瞬間、倉科涼子は存命だと示唆している。
悩んでいる時間などない。
遊真は両足を踏み鳴らして地に着いているのを確めると、一度深く呼吸をして逸る気持ちを押さえ込む。
心身ともに落ち着きを取り戻した遊真はポケットに手を差し伸べ、
「僕が、先生を助ける」
決意を表した。




