最高の契約主 8
「よく戻った、三条。さすがと言うべきか、褒める言葉が見つからない」
「お前に褒められるのは初めてだな。雪でも降る…もう降ってるな…隕石でも落ちてくるんじゃないのか?」
霧矢の憎まれ口に、文香は微笑む。店の中のクリスマスツリーの幹を触りながら、
「晴代たちもじきに起きてこられるだろう。それまで、お茶でも飲んで待っているといい。そうしたら、パーティの再開だ。いや、まだ始まってもいなかったか…」
文香は晴代の様子を見に、奥の方へと消えた。霧矢たちも護やユリアを横たえるために、雨野家の居間に入っていく。
「よう、西村。気分はどうだ」
椅子に腰かけている西村の表情は非常にくたびれていることが容易にうかがえた。霧矢のからかうような口調に対しても、憎まれ口を言い返す気力はないようだった。やはり、彼は雨野とは違って、体力的には劣っている。他のメンバーも疲れているのがわかった。
「三条、お前はすでに……化け物になりかけてるかもしれないな……何人もの敵とやり合って、帰ってこれるんだからな……」
「僕じゃなくて、護だ。僕は道案内くらいしかしていない。実際に戦ったのは、霜華と護だ」
実際、霧矢がやったことと言えば、道案内と魔生体を倒したくらいのことで、トマスを倒したのも護だった。霧矢は今回、大した活躍はない。
静かな部屋に、ユリアを運び込み、布団の上に横たえる。乗り込み組のメンバーと雨野はユリアを取り囲むようにして座った。
ユリアが戻ってきたということを聞きつけたらしく、セイスも部屋に入ってきた。しかし、まだダメージは癒えておらず、いつもの明るさはない。
「さっきから呼びかけてるけど、起きない。会長の異能を使えば起きるかもしれない」
霧矢は雨野に視線を送る。雨野はうなずくと、術を使う。
癒しの風が吹き抜け、ユリアの体をなでていく。風が消えたのち、塩沢は軽く、ユリアの頬をペチペチと叩いた。
ユリアはもぞもぞと動き、やがて、目を開いた。しかし、瞳孔の光は消えたままだ。
「ユリア! 僕だよ! 雨野護だ! 君の契約主!」
興奮した面持ちで、護はユリアに顔を近づける。霧矢と霜華は緊張した様子で二人を見る。
「………」
「ユリア、僕のことを覚えているか……?」
彼女は護を見るが、何の言葉も発しなかった。護を認識はできているようだが、無感情、無表情のまま、護と天井を見つめていた。
「……そんな……」
護の力が抜ける。全員が、お通夜のような表情でそこに座っていた。希望の後の絶望。
記憶こそ残りはすれども、感情と言葉を失い、ユリア・アイゼンベルグという一人の存在は抜け殻のようになってしまった。
「ユリア、救世の理を抜けたのは、正解だった。今の私はそう言える」
セイスが、小さな声でユリアの顔を見ながらつぶやく。正規のメンバーだったわけではないが、自分も関係者ではないとは言えない。
「……今から考えると、芹島と契約したのは一生の後悔かもしれないね。いや、あいつだっただけまだましかもね。私はあくまで所属フリーでいられて、ユリアとは違った道を歩めたから」
セイスは、芹島が契約異能で何をしているのかははっきりと知っていた。しかし、多少は幻滅したものの、信頼が完全に失われることはなく、契約は辛うじて残っていた。少なくとも、自分は食べることだけにベクトルが向いていて、それ以外のことへの興味が少なかったことからだろう。
自分の殺しへの抵抗感は彼女より薄かった。それが良いことなのかどうかはわからない。しかし、彼女は彼女なりの信念を貫き通し、結局、こうなった。殺しの事実を知ったことで、契約主との信頼は消え、同時に契約も消滅した。
そして、教団は彼女を連れ戻し、利用価値を模索した結果、こんなことを招いた。
「……でも、ユリア。今回のあんたの契約主選びは当たり。それがせめてもの救いかな。護はあんたにとって、最高の契約主だよ」
セイスは護に視線を向ける。護はゆっくりとうなずくと、ユリアの顔を覗き込む。
「ユリア、起きられるか? だめだったら無理しなくてもいい。でも、食べるものがあるから、一緒に行こう。今日はクリスマス・イブなんだ」
無表情のまま、ユリアは上体を起こす。人形のようだが、それでも記憶は残っている。
「それよりも、二人とも、何か着た方がいいよ。このままじゃ風邪引く」
セイスが言い終わるか言い終わらないうちに、護は大きなくしゃみをする。霧矢は部屋を出ると、晴代を探しに行く。
晴代の部屋をノックする。この部屋に入るのは、小学生の時以来のことだ。
「はい、どうぞ」
疲れた晴代の声が聞こえた。霧矢はドアノブを回す。
「うわ………お前、いくらなんでもこれはひどいな……」
数年ぶりに入った部屋の中は雑誌やプリントが散乱しており、女子高校生の部屋とは思えないほどの散らかりようだった。晴代が片付けられない人間だったということは、ずっと知っていたが、まだその癖が直っていなかったというのは、残念なことだと思う。
「少しくらいは、片付ける習慣を身につけろ。こんなところで毎日寝起きしてたら、精神的に不健康だろう……」
いつもなら霧矢の小言を普通に受け流すのだが、今日は違った。
「明日片付けるわよ。あたしもそろそろ部屋を片付けないといけないなと思ってたし。それよりも何の用?」
「ユリアに着せる服を貸してくれ。ついでに、男女兼用のものがあれば、護のものも」
「ユリアって……護君の契約魔族だっけ?」
「詳しい話は後だ。とにかく、着替えを貸してくれ。このままじゃ二人とも体を壊す」
霧矢はそれだけ言うと踵を返す。そのまま部屋から出ようとすると、
「ああ、もう一つ。くれぐれも、護に女物の服を着せるなよ。一応、釘を刺しておく」
背後で、ギクリと反応する。やっぱり、晴代にはそういう趣味があった。
「だったら、護君に合うようなサイズの服はうちにはないけど。あたしのお父さんのはサイズが大きすぎるし…私の体格と護君の体格はほとんど同じだから、いいと思ったんだけど」
「ワイシャツ、派手な柄のないセーター、ここまでなら女物でも許容範囲だ」
晴代はしゅんと落ち込んだ。背後を振り返ると、なんとスカートを持っている。霧矢は晴代にゲンコツを食らわせ、ため息をついた。
「仕方ない。いったん、僕は家に戻って着替えを持ってくる。その間、ユリアの着替えと、パーティ再開の支度を頼むな」
どうせ、家まで往復しても時間はさほどかからない。一人で出歩くのもアレなので、話しておきたい相手を誘うことにしよう。彼女にお礼を言わなければならない。