襲われる馬車
男はまるで飛び降り自殺でもしたかのように、ただ落下していくようだった。
だが実際には綿密に馬の速度を測り、距離を見定めている。
男は空の上で、腰に下げていた剣を右手で抜いた。
百九十はゆうに届く身体全体が、新緑のような色に包まれている。全身の防御を大幅に高める魔法、デフェンスアップを使用していた。
足を大地に叩きつけるようにして、彼は一行の前に現れる。
手綱を握っていた村人は慌てて、馬を制止するのを忘れてしまったが、馬二頭はどちらも震え上がり、自分たちで走ることを止める。
馬車の中で呑気にまどろんでいたゴルゾー達は、この騒ぎに仰天した。
「これ! 何をしておるか!」
「すいません! でも前に人が」
「人だと?」
ゴルゾーはすぐに馬車から出て、堂々と行手を塞ぐ男へ目をやった。つられるようにポールを含めた村人達も、馬車から顔を出している。
「ほっほ。道化の面などつけよってからに。おい、ワシの剣をよこせ。お前らも武器をもって出るがいい。歓迎してやろうぞ」
村人の一人が、慌ててゴルゾーに剣を手渡した。
ゾロゾロと武器を持って集まる男達を、仮面の男は静かに眺めている。
「面白い格好をしとるの。何用じゃ?」
ゴルゾーは剣をちらつかせて声を張った。
「お前らが連れてる奴らに用がある。三人いるだろ?」
落ち着きはらった声に、村人達は警戒を強める。
「おおん? まあお前さんの考えどおり、馬車の中には三人残っとるがの。知り合いか」
「知り合いじゃねえよ。ただの仕事だ。そいつらを俺に渡せ。悪いようにはしねえよ」
ゴルゾーは男を威圧するように、豪快に笑い声を上げ、不自然なほど長く続けたかと思うと、ふと真顔に戻った。
「何を抜かすかと思えば。あやつらは賊じゃ! それを欲するということは、お前も同じく卑しい賊ということ。素性も明かさぬ、顔すら見せぬ。そのような怪しい者の要求を飲むとでも?」
「めんどくせーオヤジだ」
道化の仮面は痛み、黒ずんでいた。奥に隠れた素顔がいかに闇深いかを物語っているようだ。
ゴルゾーは余裕を見せつけるように、ゆっくりと鞘から剣を引き抜く。
「どうやら、まともに話すつもりはないようだな。若造よ、後悔するぞ」
「一応言っておくが、野郎三人を渡さねえならお前らを殺す。そういう依頼だ」
ここで度胸を見せるべく、ポールが叫ぶ。
「はっ! たった一人で俺たちに勝てるわけねえだろ! お前のほうこそ後悔するぞオラ!」
その一言が気に入らなかったのか、仮面の男はじっとポールに顔を向けた。
「言うじゃねーか。お前は最後に殺してやるぜ。さて、そろそろ喋るのも飽きてきた。俺からでいいか?」
「ふむ。良かろうて。遊んでやるわ」
ゴルゾーの同意を聞き止めた仮面の男は、すぐに行動を開始した。
まったく無警戒に見えるほど、軽い足取りで向かってきたのである。
「俺に左手を使わせてみな」
男は右手に持った剣しか使うつもりはない。その一言を最後に、五対一の殺し合いが始まった。
しかしそれは、殺し合いというにはあまりに一方的だ。
初めこそゴルゾーは威厳を保ち、堂々と剣を翻し、傭兵としての強さを誇示していた。
ポールを含めた四人の村人も、ゴルゾーがいることで気が大きくなり、じりじりと仮面の男を取り囲み剣を振るう。
仮面の男が切り掛かっていくが、ゴルゾーはそれを勢いよく弾き飛ばし、豪快に反撃の一撃を見舞おうとする。
しかし、剣は紙一重でかわされてしまう。村人達の剣も同じであった。
たった数分だが、男達は滝のような汗を流している。最初こそ、自分達が圧倒しているつもりでいた。
だが道化の仮面をつけた褐色肌の男は、何をしようとも捕まえられず、切ることができない。
空を舞う紙のように、ひらひらとゴルゾー達を揶揄うように動き続ける。やがてポールの鼻に、鉄臭い匂いが嫌というほどただよってきた。
最初は馬車の手綱を担当していた男だった。
悲鳴とともにうずくまり、腹から血が流れていく姿を目の当たりにする。ポールは初めて人が殺される姿を目撃し、一気に背筋が震え上がった。
しかし彼が悲鳴を上げようかという時、今度は別の村人から血が吹き出した。
草原が少しずつ、少しずつ死の風景へと変わっていく。
首から吹き出した血を抑えながら、その村人は倒れていった。痙攣しながら彼が見た最後の光景は、ゴルゾーが腕を切り落とされた姿である。
村唯一の傭兵は、あまりの苦しみに絶叫した。仮面の男から逃げようと背を向けている。
しかし道化はゴルゾーの背中に刃を振り下ろし、熱く地獄のような激痛を幾度も味わせていった。
「さっきの威勢はどうした? デカイ口はもう叩けねえってか」
仮面の男は、ゴルゾーだけは必要以上に痛ぶっていた。
「いやぁあ……い、い、命だけは」
「馬鹿野郎、もう助からねえよ」
村の権力者が命乞いをしながら地べたを這い、惨めに死んでゆくなどポールには到底信じられない。
しかしこれは紛れもない現実で、気がつけば自分を除く村人達は絶命している。
血の池のようになった草地の中心で、ポールは戦意を喪失して動けずにいた。股から温かいものが流れ落ちて、彼の尊厳を根こそぎ破壊してゆく。
道化の仮面をつけた男は、最後に残った一人を見下ろして小さく嘆息した。
「ちゃんと最後にしてやったぞ。俺に抗う気はあるか?」
ポールは必死に首を横に振る。
「剣をよこせ」
言われるがまま銀色に光る得物を渡すと、仮面の男は馬車の中へと向かい、目当ての三人を外に出した。
黒装束の男達は、無惨にも殺された村人やゴルゾーを見て大喜びしている。
「ああ! あのクソ野郎、ざまあみやがれ!」
「天罰ですね。いやあ爽快だ」
「兄さん、一人残ってるよ。そいつもやっちゃおうよ」
最後の言葉を耳にしたポールはまたも震え上がった。もしかしたら、道化の面をつけた男はこれが目的だったのかもしれない。
だが当の本人は、血で濡れた地面に座る三人の縄を解くことに四苦八苦しているようだった。
「こいつらの縄の結びは、なかなか面倒だ。剣も刃こぼれしてきたしよ……ところでお前ら、道中じゃどんな話をしてたんだ? ずっと黙ってるわけじゃねえだろ」
仮面の男に話をふられ、上機嫌になった三人はすらすらとここまでの出来事を話した。
顔面蒼白になっていたポールは、この隙に逃げ出そうかと考えるも、すぐに追いつかれることは明白だった。
生きた心地のしない生き残りの前で、陽気に旅の話は続けられていく。
「ゴルゾーとかいうジジィ、これまでずっと俺達を拷問しやがって。なあ、この耳を見てくれよ。奴にナイフで削ぎ落とされたんだ」
「ひでえな……」
「私も何度も川に顔を突っ込まれましてね。初めて死ぬかと思いましたよ」
「殺人未遂じゃねえかよ」
「僕は逆さに吊るされたんです。顔が浮腫んで大変でした」
「手の込んだ真似をしやがるな」
仮面の男は、まるで自分事のようにうめく。
「俺たちも気づいたら、いろいろ喋っちまってよ。でも、アイツらはもう喋れない!」
「馬鹿ですよね。私も貴方のような人が来ると分かってましたから、あえて語ってやりましたよ」
「依頼主の名前も、ギルドも知っておきながら、全部無駄に終わったね」
男達は声を上げて笑い出した。それは愉快で堪らないとばかりに。
あまりに語りが気持ちよかったのか、仮面の男が立ち上がり、じっと見つめていることに気づくのが遅れた。
「たしかに終わったな。……お前ら」
道化の奥に殺意が沸る。三人の笑いは徐々にかわき、やがて困惑へと変わった。
「俺は依頼主にこう頼まれてる。三人を救出しろ。ただし……少しでもお漏らしていたら、むしろ殺せ……ってな」
男達の顔色が変わり、ポールはさらなる恐怖を目の当たりにした。
彼らが口を開く間も無く、三つの首が空を舞い、やがて大地に叩きつけられる。それぞれの血飛沫を目撃したポールは、もはや気が狂わんばかりだった。
仮面の男は返り血で、フードや仮面が赤く染まっている。彼は怠そうに跪くポールに近づくと、こう囁いた。
「俺のことは言うな。こいつらはみんな魔物に殺された……そうだろ?」
ポールは何度も首を縦に振る。唇が震えて上手く喋れない。道化の仮面を被った男は小さく頷き、ポールの目前に左腕をさらした。
「良し、約束だ。だが……誰かに俺のことを話したら……」
仮面の男と生き残った村人の陰が草原に映っている。男の左手が歪に蠢き、あり得ない膨張を見せた時、村人の影は怯えて揺れる。
それはポールの精神に深い傷を残し、後の人生を決定的に変えた。
仮面の男はこれまでの殺し合いなどなかったかのように、口笛を吹いている。
「じゃあな。あ、あー悪い! 一頭貰うぜ」
そして馬を馬車から切り離して跨ると、あっという間に草原の向こうへと消えて行った。
残されたポールは、一頭の馬に跨りファーガソンに逃げ帰ることとなる。だがその帰り道もまた、地獄そのものであった。
弱った男と馬を、大小様々な魔物達が狙ってくる。
最終的に馬は食い殺され、ポールは一人だけで村を目指した。
孤独と恐怖と飢えと疲労。あらゆる苦痛に塗れた末、あと少しで生き絶えるという頃合いに、ようやく彼は村にたどり着いた。
ファーガソンの村人達は驚愕した。彼らが抱いていた平和と安心が、徐々に蝕まれていく。
ポールを出迎えたリザンもまた、驚きを禁じ得なかった。




