9−3 表向きの綺麗な歴史
「……ヴァラハが奴らの手に落ちたわ」
真っ黒な空間に、ポツンと佇む……ここはプリカントの研究所であり、グラディウスの箱庭でも珍しい人工物。そんな研究所の一室では、悔しさに顔を歪ませ、爪を齧るプリカントの姿があった。ガリリ、ギリリ。真珠色の爪に滑らかで鋭い牙が食い込む度に、鈍い不協和音が彼女の息に添えられる。
「奴ら、ですか? プリカント様、それは一体……」
「奴らよ、奴ら! 目障りな魔法学園の連中よ!」
ご主人様のご機嫌は、明らかに麗しくない。日課の「餌やりと躾」を終えて戻ってきたサイレートにしてみれば、彼女の不機嫌は理不尽で、避け難い苦難の前触れにも映った。
「えっと……ヴァラハって、ピノーヴァに任せていたトコでしたっけ?」
「えぇ、そうよ。……どうやら、畑が特殊祓魔師に制圧されたみたいなのよ。あの畑……収穫率も良かったから、とっても気に入ってたのに!」
苛立ちも絶頂と、いよいよプリカントの口元からバキッと大袈裟な音が漏れる。鋭い音にサイレートが驚いて見やれば、彼女の人差し指からは乳白色の毒が無遠慮に落とされており……彼女の足元で床を溶かし、小さなクレーターをいくつも作り出していた。
(畑って言えば……あぁ、あれだよな。クグツマンドラゴラを作ってたトコか)
目に見えてイライラしているプリカントを横目に、サイレートは彼女のディテールを思い起こす。
プリカントは自前の毒を使って、様々な「秘薬」を作れるよう、神様にデザインされている。しかし、必要以上に嗜虐的な彼女の事。「秘薬」と銘打ってはいるものの、実情は劇薬も劇薬……いかに相手を苦しめるかに重きを置いており、この残虐性はグラディウスの神様も想定していなかった。それでも、彼女が研究所を与えられ、自由に実験に勤しんでいられるのは、所定の成果を挙げている事と……何より、グラディウスにとって有用だからに他ならない。
プリカントの作る「秘薬」は対象者を意のままに操ったり、本質を変化させたりと……魔法とは異なる効果を素早く、永続的に発生させる事ができるのだ。だが、薬を作るには当然ながら材料が必要で。あいにくと植物が育つ環境を持たないグラディウスで収穫できるのは、ミルナエトロラベンダーくらいのもの。他の材料は人間界から収集してくるしかない。その中でも、クグツマンドラゴラは「相手を意のままに操る秘薬」でもある「ヴァルヴェラの魅惑」に必要な材料であり、唯一安定供給に漕ぎ着けられていた貴重な魔法植物だった。
「プリカント様! そんなにイライラしたら、お体に障りますって! とにかく、手当を……」
その魔法植物の生産ベースが奪われたのだから、プリカントの苛立ちは無理もない。しかして、上司に苛立ち紛れに八つ当たりされては堪らないし、何より……彼女自身の毒もキーアイテムともなれば。秘薬の安定生産を考える上でも、彼女の気分はできる限に凪いでくれていないと困るのだ。
「そんなに慌てなくても、大丈夫よ。もぅ、サイレートは大袈裟なのだから」
「いや、慌てるでしょう、これは……。プリカント様の毒が超貴重なのは、ご本人が一番よく知っているでしょうに」
「……それもそうね、気をつけないと。それに……そろそろ補給もしないとね。でも、最近は特殊祓魔師とやらが目立つし……おちおち、男を捕まえにも行けないじゃない」
ねぇ、どこかに手頃で美味しい男、いないかしら? ちょっと、捕まえてきてくれない?
先程までの不機嫌が嘘のように、プリカントがうっとりと虚空を見上げては、無茶なオーダーをサイレートに投げかける。しかして、ご主人様のご機嫌が上向いたところで、サイレートの災難は止まらない。今の人間界はグラディウスの住人達にとって、危険な場所なのだ。プリカントがおちおちと出かけていけない場所に、どうして格下のサイレートが出かけて行けようか。
「うーん……プリカント様のストライクゾーン、かなり狭いですからねぇ……。リュシアンみたいなのでって指定されても、簡単には見つからないと思いますし……」
「そうよねぇ。彼は最初から最後まで、本当に私の好みだったわ。血の濃さも、魔力の質も、熟成させればさせる程香り高く、絞れば絞る程……いい声で鳴いたもの」
リュシアン・ファニア。叔父一家の横暴に耐え抜き、騎士として立身出世した美貌の公爵。彼の生涯は57歳で閉じられた事になっており、ファニア家当主となった後は、順風満帆な人生を送ったとされているが……これもまた、表向きの綺麗な歴史に過ぎない。そう、リュシアンが穏やかな余生を送っただなんてのは、都合のいい美談混じりの夢物語。本当はハルデオン家の実験ついでに、プリカントの嗜虐趣味に引っかかってしまった、哀れで惨めな生贄の1人でしかなかった。
「ま……プリカント様のそういう所、嫌いじゃないですけどね。ですけど、選り好みは程々にしておいてくださいよ。……神様から、急かされているんでしょう?」
「分かっているわよ。ピノーヴァには至急帰ってくるよう命令しておいたから、すぐに帰ってくるでしょうし……折角だから、あの子の手土産から選ぶ事にするわ。キリアとはどうも、趣味が合わないのだけど。最低限の審美眼はあったみたいだし、妥協しなくちゃね」
妥協も何も、男だったら誰でもいいのでは? なんて野暮な失言を飛ばしたらば、きっと自分の首も同時に飛ぶに違いない。サイレートはワガママなご主人様にやれやれと思いつつも、他の眷属に使われるくらいならば、彼女の元で働いていた方が良いと思い直す。なぜなら……。
「あっ、そうそう。例の坊っちゃまですけど。意外と筋はいいみたいでして。……順調に躾と定着が進んでいます」
「あら、そ? 結果は上々ってところかしら? あなたも楽しそうで、何よりですこと」
「そりゃ、もう。最高に無様な声を上げるもんだから、いつもより多めに可愛がっておきました」
彼女の下で働いていれば、思う存分に憂さ晴らしができる。
プリカントも嗜虐的であるが、サイレートもまた非常に嗜虐的である。自分より弱い相手を痛めつけることに喜びを見出しては、楽しそうに肩を揺らすのだから、相当にいい性格をしている。
「とりあえず、細かい事はピノーヴァが帰ってきてからにしましょうか。それにしても、本当にムカつくわ。……あいつらがいるせいで、私達は明るい場所で暮らすことさえできないじゃない。こんなどうしようもない真っ暗な世界、サッサと出て行きたいわ」
「……」
あからさまな神様への不満を漏らすのは、グラディウスの箱庭では褒められた行為ではない。それでも、プリカントは大事な使命を帯びているせいか……他の眷属とは異なり、多少のお目溢しはしてもらえるらしい。爪を齧ることはやめられても、不満を垂らす事はやめられない彼女の指先を手当てしながら、サイレートはぼんやりと外の世界に思いを馳せていた。
【登場人物紹介】
・ピノーヴァ(風属性/闇属性)
グラディウスが生み出したアップルフォニーの1人で、プリカントの命令でヴァンダート地方・ヴァラハ公国の統括を任されていた。
アップルフォニーにしては珍しく、真面目で任務に忠実な性格。よく言えば素直、悪く言えば単純。
基本的に指示待ちの傾向が強く、それを従順と取るか、愚鈍と取るかで評価が分かれる。




