>なぜ日本国民は元首相の国家への不利益を容認して、「公共の福祉」を一元的外在制約説に解釈変更するよう政府に申し入れないか疑問
一元的外在制約説ですか
公共の福祉を根拠にいかなる人権も制限可能とする考え方ですね
客観的に理由を考えてみましょう
まず、公共の福祉の解釈を考えるうえで忘れてはならないのが
公共とは具体的に何を指すかということでしょう。
そこを混同すると、みんなのための福祉ではなく、特定の誰か達の欲望を満たすための行いになってしまいます。
では、そういった面で考えてみましょう。
人類全体?
いえ、日本の法の解釈なので違います。
在日朝鮮人を含む全ての外国人は、対象にならないと考えていいでしょう。
日本国民だけ?
はい。 日本人のための法なので、そう考えるべきですね。
日本に住んでいても外国人は対象外になるでしょう。
不平等にならない?
実質的な在日外国人特権と考える人もいるでしょう。
では、一元的外在制約説による法を造った場合に、それは日本人のためになるのか?
そのために、一元的外在制約説って何かを考えてみましょう。
これは、全体主義とかファシズムとか呼ばれてるものを根幹にした解釈です。
国民の自由より国家全体のための利益を優先する考え方です。
だから、全体主義に対立する思想は、自由主義ですね。
その全体主義は、社会主義と結びついて、ソビエト連邦やナチスドイツを造った思想です。
ソ連は、共産主義の平等は実質的に否定しながら、全国民の財産を奪い、ナチスドイツは、民族主義を利用してユダヤ人の財産を奪った国です。
そこらの事から、混同したプロパガンダを西側が行ったのもあり
自由主義に対立するのは、共産主義や社会主義と考えられがちですが
資本主義と対立するのが共産主義で、社会主義は平等を否定して共産主義の本質を失った反資本主義です。
では、全体主義の国って具体的にどんな国?
米国は自由主義と資本主義による実質的不平等による階級社会だったので、全体主義ではありません。
同じ理由で、日本も含めた冷戦時の旧西側国家のほとんどは違います。
北朝鮮、中国、ロシアなどの旧東側には全体主義が残っています。
親日家に対する公的差別や政権交代時の首相の死などを見ると
韓国も、李氏朝鮮時の両班支配による実質的全体主義国家といえるでしょう。
自由主義をすてて全体主義の国になるということを
何故、日本人は望まないのでしょう?
心情的にも実利的にも
日本が自由主義国家で民主主義国家であって欲しい。
日本国民の多くがそう望み
日本を間接支配する米国もまた自由主義国家だからでしょう。
では、日本で一元的外在制約説解釈をしても、誰もが納得できるのはどんなとき?
世界統一共産主義政府を造れるのなら、公共の福祉を人類全体の利益としての一元的外在制約説を採用できるでしょう。
そうでない場合は、必ず他国の干渉を巻き起こす火種として利用されそうです。
現存する国家と利権組織は、不平等と対立を前提として成り立っていますからねぇ。
だから、公共が平等を否定する資本主義国家でも、社会主義国家でも
公共の福祉は結果的に、特定の国家権力者達の欲望を満たすための行いでしかなく、戦争を誘発します。
最後に法解釈自体をいじるということについての意義を考えてみましょう
米国の現政府の方針に従わなかった元首相個人の行動を制限するのに法解釈をいじる意義はあるのでしょうか?
日本の支配者層としては、実質的に米国の属国なのだから、日本は主権を明け渡してしまえと言っているようなものだから、ないでしょう。
それをするくらいなら、まだ米国に州の一つとして組み込まれたほうがましです。
そうすれば、米国の最大数の民族として権利も得られますからねぇ。
全体の法解釈を好き勝手に変更すると
法治主義を崩壊させ、モラルの低下を招きます。
ただでさえ、米国の都合で憲法解釈だけをいじるという行為で低下しているモラルを
これ以上低下させていくと、組織犯罪も凶悪犯罪も増える一方でしょう。
納得いただけたでしょうか?
個人の行動が公共の利益を侵すのは犯罪と同じなので制限したいという気持ちは理解できますので
元と現国家公務員に
国家機密の守秘義務と違反時の罰則を科すとか
「守秘義務契約を行った国家機密に関った人間」の行動を一部制限する
という法なら賛成する人も多いかもしれませんので
元首相個人の行動を制限したいなら、国家公務員の規律を引き締めるという観点で行えば害は少ないと思います。
これを全ての公務員や国家公務員にあてはめると自由主義をすてて全体主義の国になるということになるので
対象を限定して「国家との守秘義務契約を行った機密に関わった人間」の行動を法的拘束力を持たせた宣誓書なり宣言書で違反時の罰則を調整すればですが。
国益を人権より優先させる全体主義で
北朝鮮のような国にしたいのなら
法治主義を排して
「公共の福祉」を一元的外在制約説に解釈変更すればいいし
米国のように国益と人権を
ある程度両立した法整備をしたいなら
書面による拘束力という契約社会化を推進すればいい
ということだと思いますよ
全てを官僚的に拘束統制するのは
権力者には簡単で都合よくても
一般の人々にとっては不利益なので
「それが公共の福祉」では、納得できないでしょう
福祉とは、「幸せや豊かさ」ですから
嘘と誤魔化しで「権力者の幸せや豊かさ」を「みんなの幸せや豊かさ」と言ってると思うでしょう
つまりは、「反民主主義」のファシズムです。
客観的に分析して
日本国の利権を第一に考える人間なら
韓国が、両班の搾取利権を大日本帝国が破壊した事と
韓国民の権利を混同させて、日本が侵略行為をしたと喧伝する事と同じ
嘘や誤魔化しによる主張をするべきではないと思うでしょうし
国家の利権を国益と考えるなら
在日朝鮮人を含む全ての外国人は対象にならない
日本人への法解釈のみの変更は
実質的な在日外国人特権と考えるべきと思うでしょう
人類全体の利益を「公共の福祉」と考えるなら嘘や誤魔化しは発生しないでしょうから
「世界の全国家を対象にした法」として成立させ
国家によるテロや武力行使が行われた場合
" 平和に対する罪と人道に対する罪 "で全ての国家の企業と軍人と政治家を裁くレベルの公平さを持つ法でなら
「一元的外在制約説による解釈で創る国際法」としてなら問題ないでしょうが
そうでないなら民主主義の否定に繋がります
だから、一般の日本人は、「公平でも公正でもない公共の福祉の一元的外在制約説」を受け入れないんでしょうね




