>日本人は英雄を求めないんだそうだ。時々歴史の変換点に英雄が現れると、ほとんど全て暗殺されてるんだという。
その英雄像は
権力に屈しない正義の改革者ですからねぇ。
被支配階級の農民が求め
武家階級がそれを弾圧してきた証なのでしょう。
現実世界だと
そんな英雄は先ず存在し得ないので
志半ばで死んだ者にその「理想像」を当て嵌めているといったほうが正しいかもしれません。
対して
欧米のアブラハムの宗教からくる
神=権威に選ばれた存在
という英雄像は
救世主やジーザス・クライストの欠片とか成り損ないで
まさに権力が利用するために造り上げたシステムとしての「偶像崇拝」
という意味からくる「偶像=英雄」なのでしょう。
人類史の観点で見ると文明の変革は幾つかの大きな節目があり
(以下コピペ)
群生動物の一種の非社会行動
↓
「階級型」行動=「獣の原理による社会形勢」
↓
「農業文明」の発明=「共存原理による社会形勢」
↓
「善悪と社会倫理」の発明=「信仰による社会形勢」
農民文化による
精神文明の進歩と人文科学の進歩
↓
「身分差別」の発明=「暴力原理による社会形勢」
武家社会による封建制度で農家を制圧服従させる
脅迫と奪取と暴力を背景とした
「非倫理的身分制度」の発暗
「宗教」の発明=「身分制度による信仰統制」
技術的進歩と自然科学の進歩
↓
「商業制度」の発明=「契約原理による社会形勢」
「平等と自由を謳う民主主義=共存原理」の復興
共存原理を抑圧する暴力原理で動く
共犯的国家バランスの崩壊
「暴力原理の暴走」による大戦
↓
「核兵器」の発暗
「神という理不尽と同等の自滅的暴力」の自覚や
「暴力原理=自滅本能」という自覚による
「平和主義=共存原理」の復興
(コピペ終了)
という流れで考えるなら
武家社会や欧州貴族社会の分岐として
商人文化や町民文化は生まれたので
商人支配の時代である現代でも
軍人という国家の為に人を殺せる存在を
勇者として祀りあげる文化は続いてきてますから
勇者と英雄が同じ意味ではない日本は
それだけ農民文化の名残が文化の至る所に存在してるということなのでしょうねぇ。




