>大日本帝國で、史実よりも大幅に早まった自動車化社会が到来
一言で言えば簡単ですが
そのために必要な投資を考えると
戦後のように
地方豪族や華族から没収した莫大な財産や朝鮮戦争などの戦争による特需のような要因など
単体でも
相当な歴史変動がないと難しそうですが
軍備増強と同時にでは不可能に近い社会構造の変革なのが少し気になりますね
また
封建社会の要素が強い家長制度が存在し
地方の経済的独立性が高い戦前の社会構造で道路を造るのは
現代の感覚と違い予算も手間も数倍以上かかりそうです
昔の日本の空想科学小説の未来が
動物と会話したり
動く道路の未来世界を語ったように
個人主義と資本主義の象徴のような自動車社会と
農民文化を武家文化が制圧した封建制度の残る家長相続社会では求める未来が違いましたしね
史実の
大東亜戦争はそういった文化的精神性の違いがぶつかった
全体主義と資本主義の衝突の側面もありました。
そういった意味から自動車社会が早く訪れたという世界観は
年寄りにはかなり不自然に感じますねぇ
どちらかというと
大鉄道網と小電鉄網による小さな道まで通る鉄道と
それを補助する毛細血管としての山岳部運送での自動車という形が戦前の日本には予算的にも文化的に相応しく思えます
そういった精神性や文化までひっくり返ると
第二次大戦は起こっても大東亜戦争は起こらず
日本は資本主義社会として英米に追従した気がしますので……




