>終戦記念日なので戦争を考えると、戦争というものに関った人間一人一人にドラマがある
若い人にはドラマの中だけの話でしょうが
戦争で残された者にはそこで暮らした者には現実でした。
会社が潰れたとか入試におちたとか
事故にあったとか病気になったとか
息子がひきこもったとか親が痴呆になったとか
イジメにあったとか虐待にあったとか
浮気されたとか不倫にあったとか
人間関係がうまくいかないとか人に見下されたとか
友人と喧嘩したとか仕事で失敗したとか
そういった色んなかたの悩みや苦しみと同じものです。
今や歴史になりそうな話ですが人生であり
みなさんにとってもこれから振りかからないとは限らない現実です。
そういったことを理解して
目の前の理不尽は理不尽と言わないと
同じ事を何度も繰り返してしまいます。
他人事だと見過ごした何かやこれくらいいいだろうと言い訳した何か
そんなものの積み重ねが戦争であり多くの不幸です。
戦争など自分の人生に関わりがない
そう思っているかもしれませんが
先進国の豊かさはそういった戦争の上で成り立っています。
だから私達はそういった戦争の原因の一つです。
普通に暮らしているだけなのにそれが罪なのか?
そうは思うでしょう
けれど大人ならば認めなくてはならないとも思います。
私はかつての大戦時には子供で戦争の被害者だと感じ
冷戦時代には大人で、騙しあい奪いあい殺しあう戦争のルールを認めた無自覚な加害者の一人になったと感じました。
愛しい人達を護りたいと思って亡くなった人達が悪いわけでも
少しでも豊かな生活がしたいと望むことが悪いわけでもありません。
けれど損得第一に考えて
越えてはいけない一線があり
それを越えた人間、それを越えた組織、それを越えた国
そんなものを見過ごしてしまったときに
どこかで不幸が誰かの人生に訪れます。
できれば
その一線を間違えず、見過ごさず
自分の手にあまるのなら他人の手を借りてでも何かをする
そんな人間でありたいとは思いませんか?
民主主義の国というのは
最低でもそういうことができる大人であることが求められます。
それが義務で
その義務を果たすために
権利を行使できるということになっています。
奴隷のように国や組織や誰かに依存して生きるのは楽な話です。
このサイトでも主人公に買われて幸福になる奴隷の話が多く見られます。
自分さえ心地好ければいいのなら
どこかで誰かが不幸になっても
そんな見もしないドラマなど知るものかと開き直って生きるほうが楽でしょう。
そして、その不幸が自分に降りかかったなら
時代のせいだ、国のせいだ、誰かのせいだ、
そう思い込み生きるほうが楽でしょう。
そういった怠け心や、諦めや、心の切捨ては誰にでもあります
誰かがそれを責めてもそれは消えません。
それを自覚して消せるのは自分だけです。
それが自分の事しか考えないのではない本当の意味での自助努力で
「情けは人の為ならず」という
共存というものなしには生きられない人としての努力なのでしょう。
だからこそ、そういった自覚をうながすことは無駄ではないし
理不尽を理不尽と声をあげ
多くの人達がそれを行うようになれば世の中は変わっていきます。
世の中というのは、私達と私達と私達と私達で、できているからです。
遠くの私達を、私達が、貴方達として、彼等達として、誰か達としてしか感じられなくて
多くの人生をドラマとしてしか感じられなくても
みんな私達です。
私達の下の世代の私達に
私達が体感した戦争で起こった不幸が訪れないように
自分達さえ好いのなら良いのだと考える事で、私達を私達と考えさせない詐術に惑わされず
私達がこれ以上罪を犯さずにすむ世界を創ろうと努力する私達が報われるように
今日はそう考えずにはいられない日です。
これ以上は愚痴になるのでこのへんで




