第18話 癒やしの跡
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「山科さん?」
時輪は目を開けた。彼女はクリニックの椅子に座っていた。理沙が心配そうな顔で彼女を見つめていた。
「ごめんなさい」時輪は微笑んだ。「少し考え事をしていました」
「あの…」理沙は不思議そうな表情で言った。「不思議なことを思い出したんです」
「どんなこと?」
「小学校の時、父が私の画材を捨てようとした日のことです」理沙はゆっくりと言った。
「いつもなら怒る父が、急に態度を変えて、私の絵を褒めてくれたんです!まるで別人のように…」
時輪は穏やかな表情を保ちながら聞いていた。
「そして、その日にガールスカウトを勧められたんです」理沙は続けた。
時輪は静かに頷いた。「それはどうでしたか?」
「実は…それが私の人生を大きく変えたんです」理沙の目が輝いた。
「ガールスカウトでキャンプに行って、初めて本物の森や湖、星空を見たんです。それまで私の絵は想像の産物だったけど、実際の自然の美しさを知って、絵が変わりました」
「どう変わったんですか?」
「より…生き生きとしたものになったと思います。先生たちも驚いて、私の絵が市の展覧会に出展されることになりました」
「そして…あれがなければ、私は孤独なままだったかもしれない。というのは、スカウトでたくさんの友達ができて、色んな事に仲間でチャレンジすること、助け合うことを学びました。ひとりじゃないと言うか…絵だけが人生じゃない。と言うか…それにしても、父がなぜあの日だけあんなだったのか?、、今でも不思議です」
時輪は静かに微笑んだ。
小さな介入が、理沙の人生に影響を与えていたことに感慨を覚えた。
「でも、その後も変わらず厳しい父でしたけど…」理沙は続けた。
「あの日だけは違いました。まるで別人のようでした」
「人は時々、自分でも理解できない導きを受けるものかもしれませんね」時輪は小さく微笑んだ。
「そうかもしれません」理沙も微笑んだ。
「あの日から、私自身も少しずつ変わりました。」
「それは素晴らしいことですね」理沙は頷いた。
時輪は理沙の言葉に耳を傾けながら、あの日の介入が彼女の人生にもたらした変化を思った。
それは病気を治したわけではなかったが、少なくとも彼女に友情と表現の場を与えたのだ。
小さなことが、時に大きな違いを生む。
窓の外では、雨が上がり、遠くに虹が見えていた。
不完全な形だが、それでも確かにそこに存在していた。
人の心の癒しも、そんな風に少しずつ形作られていくのかもしれない、と時輪は思った。
「では、次回も続きを聞かせてください」時輪は静かに言った。
「はい、お願いします」彼女の瞳に、かすかな光が宿っていた。
それは癒しの兆しなのか、時輪にはわからなかった。
ただ、理沙が一歩ずつ前に進んでいることだけは確かだった。




