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第16話 双極の萌芽 2

「拓人は建築学科の学生で、私の絵を見て話しかけてきました。『この構図は建築的だ』と。彼の目は澄んでいて、言葉は正確で…」

 理沙はコーヒーカップに手を伸ばしたが、既に空だった。時輪は立ち上がり、ポットから彼女のカップに注ぎ足した。


「ありがとうございます。」

 理沙は小さく頭を下げ、両手でカップを包み込むように持った。

「拓人との付き合いは、最初は夢のようでした。彼は私の絵を理解してくれる唯一の人のように思えました。でも…」


 彼女は言葉を探すように少し黙り、再び話し始めた。

「ある日、私は夜も眠れないほど制作に没頭していました。特にアイデアが次々と湧いてくる日は、筆が追いつかないほど。拓人は最初、感心していましたが、それが数日、1週間と続くと、『少し休んだら?』と言うようになりました。」

 彼女の声は少しずつ硬くなっていった。

「私は『今が一番調子がいいのに』と言うのですが、次第に『俺と絵と、どっちが大事なんだ?』って言う事を言われるようになって、、彼はしょっちゅう不満そうな顔で。それから徐々に、何もかもが崩れ始めたんです。」


 時輪は彼女の言葉の裏側に潜む感情を感じ取っていた。創作の高揚感から急降下する抑うつへの転落。それは彼女の病の本質だった。


「ある朝、目が覚めると、体が鉛のように重くて。キャンバスを見ても何も浮かばなくなって。拓人に電話しても、『今忙しい』と簡単に切られて…私が苦しい時に、支えてくれなかった」

 雨音が小さくなっていた。時輪はふと窓の外を見た。雨雲の合間から、細い光が差し込んでいた。

「それから3週間ほど、起き上がれなくてほとんど寝たきりでした。拓人は何度か訪ねてきてくれましたが、『なんで起きられないんだ?』『努力が足りないんじゃないか』と言って。最後には『お前は気まぐれすぎる』と言って去っていきました…私だって、普通の女の子の様に一緒に外に出て手を繋いで歩きたかった。でも、本当にしんどくて…」


 理沙の目に涙が浮かんでいた。しかし、それは流れ落ちなかった。まるで過去の涙が乾いて結晶化したかのように。


「それからの私は…壊れていました。拓人を取り戻そうと必死になって、彼の友人の康二に近づいたんです。康二が拓人に私のことを話してくれるかもしれないと思って。でも…」

 理沙は深く息を吸い、吐き出した。

「気がつくと、健太とも関係を持っていました。自分でも何をしているのかわからなくて。拓人に会った時も、健太に会った時も、私は別の人間のように振る舞っていた。嘘をつき続けて…」

 彼女の声は小さくなっていったが、次第に強さを取り戻していった。

「最終的に、大学での生活が崩壊しました。拓人には『理沙は二重人格者だ』、康二には『誰とでもヤル女だ』とクラス中に言いふらされ。皆な私を避けるようになって、親しかった女子の友人も失いました…」


 時輪は静かに彼女の言葉を受け止めた。そこには、混乱した若い女性の苦しみと、自分自身を理解できない恐怖が詰まっていた。それは彼女の病気の本質でもあった。


「その後、大学を卒業して就職しましたが、同じパターンの繰り返しでした。創造性が爆発する時期と、何もできなくなる時期。自分がコントロールできない。『この波が私の一生続くのだろうか』と思うと…怖くて仕方ありません。」

 時輪は理沙の目を見つめた。


「山科さん、私は…壊れているんでしょうか?」

 部屋に沈黙が広がった。雨は完全に止み、窓から差し込む光が強くなっていた。


「あなたは壊れていない。あなたは今、自分の物語を理解しようとしているところです。それは勇気のいることです。」時輪はゆっくりと答えた。


 理沙の目から、初めて涙が流れ落ちた。それは静かな雨のように、彼女の頬を伝った。


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