第九十六話 国王エンデュミオン
戦場が見えなくなったところで街道に合流し、道に沿って南へと進む。レムリアの末端までよく整備されていた街道と比べるとこの街道は荒れ果てていて、造られてからろくに整備をされていないであろう事が窺えた。
「もし補給部隊が道を通ったら、ついでに倒しておくか。物資に興味はないが、敵の補給線を断っておくのは戦の常套手段だ」
道の先を眺め、人影がない事を確認しながらクラウスが言う。確かに、それで僕らの為に戦っているラナさん達が楽になるならそうした方がいいと思った。
「とりあえず俺らの身分は、今まで以上の大きな戦争の話を聞いて故郷のサルトルートが心配になり、ずっと入国審査を受けてたけどやっと国境を越える許可が出て国内に入れた前国王の時代に国を出た孤児の一団……でいいんすよね?」
「ああ、そして俺とクラウスはお前達の境遇に同情して格安で護衛を引き受けた冒険者。俺はエルフだし、クラウスも孤児を名乗るには身に付けているものが高価すぎるからな」
ランドの確認の言葉に、サークさんが肯定の頷きを返す。グランドラでは前国王の時代貧富の差が激しく、貧しい人々が生活の為にやむを得ず国を出る事が多かったらしい。
これから向かうロウエルの町はノーブルランドだけでなく、ノーブルランドの西に位置する国ソルエッタの国境とも繋がっている町らしい。僕らはそのソルエッタからの旅人を名乗る予定だった。
「グランドラの国教は天空神ウルガルを祭るウルガル教。アロア、貴様にもその信者の振りをして貰う事になるが……」
「大丈夫。人々を守る為だもの、きっとアンジェラ様もお許しになって下さるわ。……ウルガル様は最高の武神としても名高い神様。戦争に重きを置く今のグランドラにとっては、まさに守り神様ね」
「昔は己の身の保身しか考えないグランドラには、ウルガルは勿体無い主神だと影では言われていたがな。……現国王、エンデュミオンの邁進はまさに腐敗したグランドラを正すべく神に啓示を受けたようなもの、か」
「でも、いくらウルガル様が武神だと言っても人間同士の無益な争いを望んではいない筈だわ。それを王様にも解って貰わなくちゃ!」
どこか複雑そうに溜息を吐くクラウスと、真っ直ぐに自分の意見を述べるアロア。そんな二人を見ながら、僕はグランドラという国に思いを馳せる。
国王が代替わりしてから軍事国家に姿を変え、近隣の小国を飲み込み併合して今はレムリアにその牙を伸ばすレムリアの敵。僕がグランドラについて持っている知識と言えば、そのぐらいだ。
今僕は、そのグランドラの地にいる。ここに住む人々は果たして何を思い、生活しているのだろう……。
「あっ! あっちから何か走ってくるぞ!」
いつまでも続くかと思った思考は、エルナータのその声に中断させられた。見れば街道の向こうから、一台の馬車を伴った馬に乗った集団が向かってくる。
恐らくは、前線に物資を運ぶ補給部隊だろう。ならば、僕らのやる事は一つだ。
「先手必勝だな。クラウス、この距離だがいけるか?」
「誰にものを言っている。勿論造作もない。『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」
集団の正面に直撃した雷の爆音を合図に、僕らは補給部隊へと向かっていった。
僕らの奇襲を受けた補給部隊はすぐに瓦解し、あっという間に全滅した。相手が非戦闘要員ばかりの構成で、戦闘慣れしていなかったのも幸いした。
一方的な蹂躙となった戦いに、ちくりと胸が痛む。それは皆も同じだったようで、勝ったにも関わらず一様に暗い顔を浮かべていた。
「……やるせねえな。戦争ってのは」
物言わぬ骸となった兵士達を見ながら、ランドがそう呟く。……戦争が止まらない限り、皆がこんな悲しい思いをする事になるんだ。
「行こう。この兵士達を弔ってやりたいが、今はそれに時間を費やしている暇はない」
サークさんの言葉に、全員が頷く。そして念の為物資を燃やすと再びロウエルの町を目指し、南へ出発した。
ロウエルに辿り着いたのは、その日の深夜の事だった。幸い宿は空いていて、僕らは束の間の休息を取る事が出来た。
「エルナータお腹ペコペコだぞ……早くご飯食べたい!」
「静かに、エルナータ。もうすぐ食事が来るから……」
「あはは、元気なお嬢ちゃんじゃないか。ほらよ、うちの名物、地鶏のステーキだ」
遅い夕食を作って貰える事になった僕らは、与えられた部屋に荷物を置くと食堂に集まった。足をバタバタさせ料理を待つエルナータを宥めていると、恰幅のいい宿の女主人が分厚くいい香りのする肉の塊を三つ、テーブルに置いてくれた。
「凄い! 肉、でかい!」
「同じグランドラ出身のお客さんだからね。普段はこんな時間にゃ出さないんだが特別さ!」
「あの……すみません。わざわざこんないいものを……」
料理のボリュームに目を輝かせるエルナータを尻目に、嘘を吐いている罪悪感に苛まれながら頭を下げると女主人は「いいさ」と快活に笑った。そして僕らの座るテーブルの空いている席に着き、興味深げに僕らを眺める。
「どうだい、久々のグランドラは。小さい頃に離れたっきりだったんだろう?」
「あの、それが私達、小さすぎてグランドラの事あまり覚えていなくて……出来れば色々と、話を聞かせて欲しいんですけど」
アロアが少し遠慮がちに聞くと、女主人は快く頷いてくれた。そして真面目な顔になって、ぽつりぽつりと語り始める。
「……昔のグランドラはね、そりゃあ酷いもんだったよ。生活に必要な物は皆貴族連中が持ってっちまって、あたしらみたいな末端の町の人間は飢えに飢え、一番豊かな筈の王都ですらも貧民街に人が溢れる有り様だった。あんたらの保護者みたいに生活が出来なくなって、国を出た人も大勢いた。……でもね、エンデュミオン様のお陰でこの国は変わったんだ」
エンデュミオンの名を口にした途端、女主人の顔は明るくなる。それは今の国王を、心から信頼している顔だった。
「エンデュミオン様は前国王のたった一人のお世継ぎだったけど、幼い頃に母親である王妃様と引き離されたり決して幸せな暮らしはしていなかったそうだよ。その為か前国王とは違って民の声によく耳をお傾けになられる方に成長なされて、遂には貧民街で虐げられていた民達を率いてクーデターを起こし父親である前国王を打ち倒したのさ。それからこの国の暮らしはすっかり良くなった。貴族達に独占されていた物資も国中に行き渡るようになり、仕事のない者にもお国の兵士という働き口まで用意して下さって……」
「でも……兵士って事は戦わなきゃいけないんじゃ……」
そのアロアの疑問に、女主人はまた少しだけ表情を暗くする。けれどすぐに明るい表情に戻り、こう続けた。
「……それでもね! そうしなきゃ食っていけない国民がいたのも事実だからね! ……そりゃあたしも、戦争はいけない事だって思うさ。けど、国民の生活をどうにかするにはそれしか道はなかった。きっとエンデュミオン様も苦渋の選択だったろうさ……だからあたしは、あのお方を恨まない。徴兵で男達の多くは兵に取られちまったけど、きっと皆ちゃあんと帰ってくる。それぐらい強いからね、うちの国は!」
自信たっぷりに言い切った女主人に、僕らは何も言葉を返す事が出来なかった。……少なくともこの国には、こうして今の戦争を肯定している人もいる。
僕らは、本当に戦争を止められるだろうか? 止められたとして、その後この国がどうなるかまで責任を負えるのだろうか……?
「おっと、つい話し込んじまった。さあさ冷めないうちに食べとくれ、あんたらが無事に王都へ帰れるようあたしも祈ってるよ!」
女主人の気のいい言葉を聞きながら考えてみたけど、生まれた疑問に明確な結論が出る事はなかった。




