第七十二話 死者に眠りを
「僕達を襲ってきたのは、恐らく悪魔ゴゼによってこの世に繋ぎ止められた死者達だ」
集落の外を目指して路地を駆け抜けながら、クラウスが口を開く。行きに通った表通りは既に集落の住人達で溢れていて、僕らはいつかのように路地に身を隠しながら進んでいく事を余儀なくされた。
「その名前なら、俺も少しなら聞いた事があるぜ。確か、かつて英雄リトが倒した最も強力な三匹の悪魔のうちの一匹だったか」
「そうだ。悪魔ゴゼは自ら殺した人間の死体に呪いをかけて操り、操られた死体に殺された者もそこから呪いが伝染しまたゴゼに死体を操られる。そうやって、どんどん被害が拡大していくという寸法だ」
サークさんの言葉にクラウスが頷き、説明を続ける。けれど夕方に会った宿の女主人は顔色が悪いだけで普通に会話が出来たし、他の建物からも話し声が聞こえていた。
同じ事を、ランドも考えていたらしい。僕が口にしようと思っていた疑問を、先に口にした。
「でもよ、ここに到着したばかりの時のあのおばさんはどう見ても普通の人間だったぜ?」
「日中はゴゼの呪いの力が薄れ、犠牲者も人の心を取り戻すらしい。もっとも他人に自分の事を警告するなど、ゴゼに不利益な行動を取る事は出来んようだが」
「そんな……」
犠牲者達へのあまりの仕打ちに、隣を走っていたアロアの顔が悲しげに歪んだ。僕も犠牲者達の心情を思うと、胸がとても苦しくなる。
夜が来る度理性を失い、生きている人間を襲う自分。そんな自分に近付くなと、注意を促す事も出来ない。
罪悪感に狂いたくても、狂ってしまえばそれだけ獲物に怪しまれるからそれすらも許されない。逃げ場の全くない、ゴゼの望み通り仲間を増やし続けるだけの地獄のような日々……。
「……操られた人達を、救う事は出来ないの?」
僅かな救いを求めて、僕はクラウスに問い掛ける。けれど返って来たのは、予想通りの言葉だった。
「奴らは既に死んでいる。死体を破壊するかターンアンデッドでゴゼの呪縛を解く、そうでなければ呪いの元であるゴゼを滅ぼすしかない。……どのみち、もう一度蘇らせる事など出来はしない」
……つまり僕らには、あの人達を安らかに眠らせてあげる以外に出来る事はない。解っていた事ではあったけど……自分の無力さが、辛い。
「畜生……許せねえ! ただ人間を殺すだけじゃなく、死んだ後までもいいように弄ぶなんて!」
「エルナータもだ! そいつ、絶対にやっつけよう!」
「クラウス、呪いの有効範囲は解るか? それ次第では、ゴゼはもうこの辺りから去ってる可能性もある」
憤慨するランドとエルナータを尻目に、努めて冷静にサークさんが問う。けれどサークさんもまたこの状況に怒りを感じているのは本人も無意識なのだろう、血の色を失うほど固く握り締められた拳がはっきりと表していた。
「正確な範囲は文献には記されてはいなかったが、無限ではない筈だ。恐らくは今も、この辺りに潜伏している可能性が高い」
「この辺りで潜伏に適してる場所っつうと……やっぱり、湖の遺跡か」
「だろうな」
クラウスとサークさんが、互いの意見に頷き合う。このディアッカの集落の遺跡は湖に面した古城の姿をしているらしい事は、ここに来る前に話に聞いていた。
「行き先は決まったな。じゃあさっさとここを出て、湖の遺跡に向かおうぜ!」
「皆、待って!」
気合いを入れるランドを遮るように、アロアが突然足を止める。何事かと同じくその場に足を止めた僕らは、すぐにその理由を知る事になる。
僕らの前方から、集落の住人の集団が歩いて来ていた。それだけじゃない。後ろを振り返ると、そちらからも集落の住人の集団が迫ってきている。
「囲まれた……!?」
「くそ……もしかしたら奴らには、生者の位置をある程度感じ取る能力があるのかもしれん」
苦々しげにクラウスが呟き、いつでも雷を放てるように杖を構える。僕らも以前狼と戦った時のように、アロアを守るように固まり戦闘態勢を取った。
「アロア、ターンアンデッドはいけるか?」
「はい! ……でも、一人で使うのは初めてだからあの時みたいに上手く出来るかどうか……」
「少しくらい時間がかかってもいい、やってくれ。ここを切り抜けられるかどうかは、君の力にかかっている」
「解りました……やってみます!」
「よし、じゃあ俺達は少しでも多くの住人達を浄化出来るようになるべく相手を引き付けるんだ!」
強い決意を秘めた瞳で頷いたアロアに満足したように口元だけで小さく笑うと、サークさんが僕らを見回し指示を出した。僕らはそれに頷き返し、集落の住人達が近付いてくるのを待つ。
改めて見ると、そこには様々な人がいた。おじさんやおばさん、お年寄りに若者、ランドの弟達ぐらいの小さな子まで。こんなにも多くの人達がゴゼの犠牲になったのかと思うと、頭の中を怒りが支配しそうになる。
けれどその怒りは、ゴゼと対峙する時まで取っておくべきだ。今は……哀れなこの犠牲者達を安らかな眠りに就かせる事だけを考えるんだ!
「クラウス、またさっきみたいにあいつらの首を切り飛ばせばいいんだな?」
「そうだ、チビ。首を切り落とすのは実体を持つアンデッドを相手にする時の常套手段だが、幸いゴゼの犠牲者にもこの法則が当て嵌まってくれているようだ。僕も雷で出来る限り奴らの肉体を焼き払い、貴様達の手助けをする」
「チビじゃない、エルナータだ! なら間違ってもエルナータには当てるなよ!」
「ふん、巻き込まれたくなければ僕の視界をうろちょろしない事だな!」
こんな時まで憎まれ口を叩き合いながら、エルナータとクラウスが互いの動きを確認し合う。この二人、反りが合わないように見えて実は意外と気が合うんじゃないだろうか……と、最近ではちょっぴりそんな事を考えたりもする。
集落の住人達は、もうすぐ目の前まで来ている。僕は死闘の開始を告げるように、両手を前に構え叫んだ。
「切り裂け、斧よ!」
そして僕らは、迫り来る赤い光の群れをその場で迎え撃った。
もう何人の首をこの手で切り飛ばしたか、すっかり解らなくなっている。集落の住人達は首を失い動かなくなった仲間を踏み越え、なおも僕らに迫ってきていた。
「『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」
クラウスの放った雷が闇を切り裂き、直線上にいる集落の住人達を消し炭にしていくのが見える。けれどそれで空間が空くのもほんの僅かな間で、すぐに後から来た仲間達が誰もいない空間を埋め尽くしていく。
「うわっ! は、放してくれっ!」
悲鳴に振り向くと、ランドの腕に小さな女の子がしがみついていた。肩まで伸びた金髪の癖毛が、カルナバ村で出会ったティーアを思い起こさせる。
ランドは腕を必死に振り回すけど、女の子の力は見た目よりも強く離れる様子はない。女の子はそのまま、ランドの腕に大きく噛み付こうとする。
「危ない!」
僕は急いでランドに近付き、女の子の首目掛けて勢い良く斧を振るった。切断された女の子の首が高く舞い上がって地面に転がり、力を失った胴体はランドの腕からずるりと抜け落ちた。
「ランド、怪我はない!?」
「……ぁ……」
ランドは目を見開き、首を失った女の子の死体を見つめたまま微動だにしない。僕はそんなランドに更に近付き、強く肩を揺さぶった。
「ランド! しっかりして!」
「り……リト。……ああ……」
「ランドはアロアと一緒にいて。ここは僕が!」
「……わ、解った……」
未だ心ここに在らずといった感じのランドを背後に押しやると、僕はまた大きく斧を振るって目の前に迫っていた二人の首を一気に切り落とす。体力の消耗もそうだけど……いくら操られた死体とは言え人間を傷付け続ける行為に、何より精神が大きくすり減っていた。
「皆、待たせてごめんなさい! アンジェラ様、死者達に安らかなる眠りを……!」
その時背後からアロアの声がして、いつかも感じた温かな光が僕の全身を包み周囲に広がっていくのが解った。それまで歩みを止めなかった集落の住人達の動きが、光を浴びた途端に硬直したように止まっていく。
徐々に光に飲み込まれていく視界の中で、集落の住人達が血の涙を流すのが微かに見えた。それはゴゼの傀儡として存在するだけの日々から解放される事による、安堵の涙だったのだろうか。
やがてそれすらも完全に光に飲まれ、何も見えなくなっていく。そして、漸く光が収まった時――そこには、見渡す限りの範囲で折り重なるようにして倒れる人々の死体の山があるだけだった。
「……やるせないな。これだけの人間達が、たった一匹の悪魔により殺されたのだと思うと」
珍しく、内心の感傷を隠さない様子でクラウスが言う。僕らも胸を締め付けられるような思いで、やっと安らかな眠りを得る事が出来た死者達を見つめる。
この人達が、もう二度と眠りを妨げられその体を利用されない為にも……ゴゼは、必ず討たなきゃならない!
「行こう、皆。……湖の遺跡へ!」
僕らは互いに頷き合うと、再び集落の外を目指して走り出した。




