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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第七十一話 逃走経路

 僕らは一番奥の部屋に皆で入り、内側から鍵をかけた。二人部屋に六人が入るのは流石に窮屈だったけど、誰もその事に文句を言わなかった。

 窓の向こうで日が沈み、夜のとばりが降りる。そして――予想通りそれ・・は来た。


「!」


 静かだった廊下の向こうから、複数のゆっくりとした足音が響いてくる。それを聞いた僕らの間に、緊張が走った。


「皆、静かに。足音を立てないように、扉側の壁際に移動するんだ。リトはあらかじめ武器を出して、いつでも動けるように備えてくれ」

「解りました。煌めけ、剣よ」


 曲刀を抜き放ちながら小声で指示を出すサークさんに従い、僕も腕輪を剣に変える。そして扉側の壁に背を着け、足音が近付いてくるのを待った。

 足音は僕らの部屋の近くまで来ると、通り道の部屋の鍵を開け中を確かめていく。……僕らが泊まる事になっていた部屋を。

 隣の部屋を見終わり、足音が遂に僕らのいる部屋の前で止まる。ガチャガチャと鍵を開ける音がし、間もなく、扉を開いて足音の主が姿を現した。

 それは、二人の男を引き連れた宿の女主人だった。それだけならまだ普通だったのかもしれないけど、普通じゃなかったのはその表情だった。

 三人の目は白目黒目の区別なく、真っ赤に染まって異様な輝きを放っている。それだけではなく、剥き出しの歯からはまるで獣のような鋭い牙が覗いていた。

 人の姿はしているけど、明らかに人のものではない顔。その異様さに僕が呆然としていると、サークさんが動き出し先頭の女主人の脇腹を深く切り裂いた。


「きゃあああっ!!」


 飛び散った血飛沫に、人間が傷付く事に免疫のない隣のアロアが悲鳴を上げる。その悲鳴に三人――今脇腹を切り裂かれた筈の女主人までもが、一斉にこちらを向いた。


「くっ!」


 それを見たら、もう迷っている暇などなかった。僕はアロアを庇うように立ち、一番近くにいたベストを着た男を斜めに斬りつけた。

 いつまでも慣れない血管や肉を断ち切る感触が掌に伝わり、ベストを着た男の体がぐらりと傾ぐ。けれどそれもほんの一瞬、ベストを着た男はすぐに体勢を立て直すと僕に向かって両手を伸ばしてきた。


「効いてない!?」


 驚きに、僕の反応が少し遅れた。その少しの遅れが致命的となり、僕は首を掴まれるとそのまま強い力で宙に持ち上げられてしまう。


「リト!」

「……か、はっ……」


 ギリギリと首を絞められ、呼吸が出来なくなる。意識が次第にぼやけていき、アロアの悲鳴もだんだんと遠くなっていく……。


「やらせない!」


 その時突然そんな声がして、目の前に閃光が走った。途端に喉の圧迫感がなくなり、僕の体は支えを失って床に転げ落ちる。


「ごほっ、ごほっ……」

「大丈夫か、リト!」


 咳き込みながら声のした方を振り返ると、銀色の髪の刃に血を滴らせたエルナータが立っていた。エルナータの目の前では、両腕を肘の付け根から失ったベストを着た男が消えた自分の腕を見つめているのが見える。

 どうやらエルナータがベストを着た男の腕を斬り飛ばしてくれたお陰で、僕は助かったらしい。その事に感謝しつつ、僕は剣を支えに立ち上がった。


「ありがとう、エルナータ。助かったよ」

「構わないぞ。それよりこいつら変だ。いくら切り刻んでも全然痛がらない」


 エルナータに並ぶように立ち、改めて現状を窺う。僕らの前には、両腕を失ったベストを着た男が一人。残りの二人は、ランドとクラウスを背に庇ったサークさんへと群がっている。

 サークさんが相手にしている二人もそれぞれ片腕を失うなどしていたけど、痛みを感じない相手と二対一は流石のサークさんも分が悪いらしくその表情は苦しげだった。僕はエルナータを振り返り、自分の考えを告げる。


「エルナータ、あの両腕のない奴を任せていいかい? 僕はサークさんを助けに行く」

「解った!」


 僕の言葉に頷くと、エルナータはすぐに髪の刃を振りかざしベストを着た男に突進していった。僕はエルナータの戦いに巻き込まれないよう少しだけ距離を取り、サークさんを襲う二人の背後へと向かう。


「サークさん達から……離れろおっ!」


 僕は右側にいた女主人の方に近付き、心臓目掛けてその背に剣を突き立てた。いくら何でも、これなら動きを止める筈……。

 けれど僕のその予想はあっさりと裏切られ、心臓を確かに貫かれた筈の女主人は何事もなかったかのように僕の方を振り返った。……そんな! まさか、この人たちは生きてないっていうのか!?


「サーク、リト、チビ! 首だ! 首を切り落とせ!」


 戸惑う僕の耳に、クラウスの叫ぶ声が聞こえる。こういう時、クラウスは判断を誤った事がない。ならば……賭けてみるしかない!

 僕は女主人をもう一人の男の方に蹴り飛ばしその反動で剣を抜くと、よろめく女主人の首に力一杯抜いた剣を叩きつけた。肉を断つ感触に加えて掌に伝わる、固い骨が砕ける感触。それにも負けず剣を思い切り振り抜くと、女主人の首が胴体から切り離され宙を舞った。

 それと前後するように、サークさんとエルナータもそれぞれ相手にしていた男達の首を切り飛ばす。合わせて三つの首が床に転がると残された胴体は力を失い、その場に倒れ込んだ。


「はあっ、はあっ……何だこいつらは……」


 顔の汗を拭い、動かなくなった三人を見下ろしながらサークさんが言う。顔を除けば、確かに動いていた筈の人間なのに……まるで、血と肉の詰まった人形でも相手にしているかのような感じだった……。


「クラウス、こういう時はお前の出番だろ!? 何か解んねえのかよ!」

「グール……だと日中の理性ある行動の理由がつかない。ヴァンパイア……はもっと思考が複雑で、人間的な筈だ。いや、待て。だとすると……まさか……」


 ランドの問いに、クラウスがぶつぶつと頭の中に巡らせた考えを口にする。けれどそれは、アロアの悲鳴によって中断させられる事となる。


「皆、他の人達がこっちに来る!」


 その声に僕らが一斉に廊下を見ると、廊下の奧からやはり目を赤く輝かせた恐らくは集落の住人達がぞろぞろとこちらに向かってくるのが見えた。その人数は、さっきの比ではない。


「おいやべえぞ……三人だって苦労したのに、あんなに人数がいちゃ逃げられねえ……!」

「エルナータがあいつらの首、皆切り落としてきてやろうか?」

「いや、ここは狭すぎる。いくらエルナータが強くても、この狭さじゃ十分な力は発揮出来ないだろう。……仕方ない。窓から飛び下りて逃げるしかなさそうだ」


 エルナータの提案に首を横に振り、サークさんが反対側の窓に目を遣る。その言葉に、ランドがぎょっとした顔を返した。


「ま、マジでやるんすか? 確かにここは二階だから、運が悪くても骨折程度で済むかもしんねえけど……」

「安心しろ、俺が一番最初に下りて風を操り落下速度を和らげる。怪我をする事はない筈だ」

「そ、それならまあ……」

「アロア、行けそう?」

「……うん。怖がってばかりいられないから」


 後ろのアロアを振り返ると、覚悟を秘めた表情でそう頷き返してきた。僕らはせめてもの時間稼ぎにと部屋の鍵を閉め直し、窓辺に集合する。


「よし……下にあいつらはいないな。俺が精霊を出したら飛び下りるんだ、いいな?」

「はい!」

「それじゃあ行くぞ……おらよっと!」


 サークさんが窓の縁に足をかけ、勢いをつけて飛び下りる。その体は上手く衝撃を殺す形で地面に着地し、体勢を整え立ち上がると傍らに例の碧色の女性が現れる。


「よし、いいぞ。なるべく静かにな」

「じゃあ次はエルナータが行くぞ!」


 エルナータが両足を窓の縁に乗せ、躊躇いなく飛び下りる。次にそんなエルナータに勇気付けられたアロアが、それからクラウスとランドが、次々と窓から下に飛び下りていく。


「リト、早く!」


 一人残った僕の方を見上げ、アロアが心配げに声をかける。背後では住人達の一団が到着したのか、扉が激しい音を立てて揺れ始める。


「今行くよ……えいっ!」


 勇気を出して、窓から思い切り良く飛び下りる。体が落下する感触を感じたのは一瞬の事で、後は風に包まれゆっくりと落ちていく体が苦もなく地面に降り立ったのだった。


「凄い……全然落ちてる感じがしなかった」

「な。こんなんなら高いとこから飛び下りるのも悪くねえかも」

「無駄話をしている場合か。さっさとここを離れるぞ、説明も行きながらする」


 クラウスが促すと同時、扉が壊れて侵入してきたのだろう住人達の腕が開いたままの窓から無数に突き出てきた。僕らはその光景に寒気を覚えながら、急いで宿の建物から離れる事に決めた。

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