第七十話 ディアッカの異変
カーソンの集落を出発して十日余りが過ぎ。僕らのノーブルランドの旅は、順調に進んでいた。
あれから訪れた幾つもの集落はアンジェラ教がグランドラによって貶められている事、マヌアの集落を始めとした他の集落も協力を約束してくれた事を伝えるとそれぞれ協力を承諾してくれた。快諾の度合いは集落によって差があったけど、皆レムリアが滅べば明日は我が身かもしれないという危機感を持ってくれたようだ。
そして僕らは明日、ノーブルランド最大の集落と言われるディアッカの集落に出発する事になっている。ディアッカの集落はマヌアの集落のように水源を有し、調査が終了した遺跡も近くにあるという人が集まりやすい環境に恵まれた土地にあるらしい。
「レジーナ支部長、レジーナ支部長。こちらノーブルランドのサーク。応答を願う」
一旦フェンデルにいるレジーナさん達にこれまでの経過を報告する為、僕らはクラウスとサークさんが泊まる部屋へと集まっていた。サークさんがレジーナさんから預かった不思議な形をした真っ黒な石に呼び掛けると、すぐに石から声が聞こえ始めた。
『サーク殿、無事で何よりだ。そちらの首尾はどうだ?』
「今のところは順調だ。今日までに七の共同体を味方に引き入れる事に成功した」
『思った以上に上手くいっているようだな。それだけ各共同体はグランドラを脅威と見なしたという事か』
「それもあるが、幾つかはの共同体は近隣に出た魔物を退治した事で恩を売れたのも大きいな。グランドラ側がこちらの動きを読んで、先に手を回してきたのが逆にこちらの利になった可能性もあるが」
『魔物……か。ふむ……』
そこまで報告を聞くと、一度何かを考え込むようにレジーナさんの言葉が途切れた。僕らが黙ってレジーナさんの次の言葉を待っていると、間もなく再びレジーナさんの声が聞こえてきた。
『……レムリアとグランドラの近隣の国々の話だが。この一月で、出現する魔物の数が急増しているらしい。各国の冒険者ギルドは、現在その対応に追われて必死なようだ』
「となるといよいよもって、ノーブルランド以外の国には頼れないという事だな」
『そうなる。それだけではない、今まで魔物の被害がなかったリベラ以外の大陸にも少しずつ魔物出現の報告例が上がってきている』
「何だと?」
レジーナさんからの報告に、俄かに場の空気が変わったのが解る。今まで僕らは、魔物の出現はグランドラの手引きによるものではないかと疑っていた。
けれど、わざわざ他の大陸にまでグランドラが手を回す理由は思い付かない。かと言って魔物の現れた場所に姿を見せた、グランドラの紋章を持っていたあのフードの人物が魔物と完全に無関係であるとも思えない……。
『……これは確たる証拠のない、ただの推測でしかないが。グランドラは確かに、ある程度魔物を操る事が出来る。でなければこのリベラ大陸、それもレムリアとその周辺国ばかりに魔物が集中する理由が解らん。しかしそれとは別に、魔物が自然発生し始めているのではないだろうか。……千年前、最古の英雄リトが生きた古の時代のように』
「け、けど何でそんな事になって……」
『解らん。だが……事はレムリアとグランドラの戦争を終わらせればいいという、そんな単純な問題ではなくなってきているのかもしれん』
ランドの疑問に答えたレジーナさんの言葉に、辺りに沈黙が下りる。……どんどん事態が、僕らの手には負えないような大きさになってきている気がする。
けど、だからって足をここで止めてしまうのか? それは出来ない、と僕は強く思う。
「……それでも、今は出来る事を一つずつやっていきましょう。それが無駄だったかどうかなんて、全部終わってみるまで解らないんですから」
思うままにそう口にすると、その場にいる全員の目が僕の方を見た。そして全員が、僕に同意するように決意を秘めた表情で小さく頷いてくれた。
「リト……そうだな。今はとにかくやってみるしかない、か。レジーナ支部長、前線の様子は解るか?」
『前線は膠着状態に陥ったままだ。レムリアの兵士達も、本格的な戦は初めてだというのによく持ち堪えてくれている。こちらもなるべく人手はよこしてやりたいが、そもそもの志願者数が少ないのと定期的に湧く魔物の処理をせねばならんのと両方の面から思うように人員を割けずにいる』
「そうか……こちらは協力を取り付けた共同体には、すぐにグランドラとの国境付近に集まって貰うようにしている。勿論グランドラを攻めるにはまだ人手が圧倒的に足りないが、いつでも動けるに越した事はないしもしノーブルランド同盟が国境に集っている事に気付かれたとしてもそうなればグランドラ側としては嫌でもこちらに戦力を割かざるを得なくなる。最低限の目的は、果たされるという訳だ」
『流石はサーク殿だ、こちらの意図をよく掴んでくれている。ノーブルランド同盟によりグランドラの牙城を切り崩せれば勿論それが一番だが、こちらもそこまで理想的に事が運ぶとは思っていない。何よりも大切なのは、グランドラ側の攻撃の手を少しでも緩める事。レムリアを集中して攻める事の出来ない状況を、作り上げる事だ』
「その為にもノーブルランド同盟の勢力を、無視ができないレベルまで膨れ上がらせる必要がある」
『その通りだ。諸君らは引き続き、各共同体の説得に当たってくれ』
皆で顔を見合わせ、その言葉に頷き合う。レムリアを侵略から救う為にも、僕らが頑張らないと!
『こちらからは以上だ。そちらからは何かあるか?』
「いや。次の連絡時も、そちらが息災である事を祈る」
『うむ。そちらも気を付けるように。もしこちらの動きをグランドラが察知しているなら、そろそろ本格的に何か仕掛けてきてもおかしくない頃合いだからな』
「ああ。また何かあれば連絡する。ではな」
それきり、石から声は聞こえなくなった。僕らは明日の出発に備え、すぐに寝る支度に取り掛かった。
途中何度か馬を休ませながら地図と方位磁石を頼りに進んでいくとやがて今まで訪れた集落とは比べ物にならない、一つの町と言ってもいい建物群が目に入ってきた。間違いない。あれが、ディアッカの集落だろう。
夕暮れが近いせいだろうか、通りには人の姿はなく早めに点けられた外のランプの灯りだけが集落の色を形作っている。建物内から話し声は聞こえるので、集落自体に人がいないという訳ではなさそうだ。
馬から降りて、宿を探す。他の集落と違い大きな建物が多かったからすぐには判別出来なかったけど、看板が出ていたお陰でそれほど苦もなく宿を見つける事が出来た。
「……いらっしゃい」
扉を開けると、カウンターの向こうから年配の女主人が僕らに声をかける。その肌は青白くて生気がなく、まるで何年も陽の光に当たっていないかのようだった。
「部屋はあるか? 二人用の部屋が三部屋、あると嬉しいんだが」
「ええ、空いてますよ。二人用の部屋を三部屋ですね」
サークさんが女主人と話をしている間、僕はぐるりと辺りを見回してみる。広い食堂内には、僕ら以外の客の姿はないようだった。
やがて話が終わったらしく、サークさんがこちらを振り返る。その手には、三部屋分の鍵が握られていた。
「俺達の部屋は二階の一番奥にある三部屋だそうだ。行こう」
先に立って歩くサークさんの後を、僕らは固まってついていく。けれど二階に上がり、廊下の行き止まりまで来たところでサークさんは厳しい顔で振り返った。
「……皆、用心しておけ。この集落は何かがおかしい」
「おかしいって……確かにこれだけ大きい集落にしちゃ人を全然見ないけど……」
「でも……確かにちょっと似てるかも。イーリャの村を訪れた時に……」
「イーリャ?」
アロアの口にした名前に、ランドとエルナータが首を傾げる。そういえばイーリャの村を訪れた時、ランドとエルナータとはまだ出会っていなかったんだった。
僕は簡単に、イーリャの村であった出来事を二人に説明した。するとランドは、途端に背筋を震え上がらせる。
「え、何? じゃあこの集落も、ゴーストの住処になっちまってるって事か?」
「解らん。とりあえずさっきの女は、顔色が悪いだけで生身の人間に見えたが……」
「でも、あの村に入るまでイーリャも生身の人間と変わりなかったし……私、手も繋いだのよ」
イーリャの手の感触を思い出しているのか、自分の掌を見つめながら悲しげにアロアが言う。僕らは互いに考えを巡らしたけれど、明確な答えは出て来なかった。
「……とにかく、部屋は取ったがいつものように二人ずつで分かれるのは危険な気がする。狭くなるが、今夜は全員一つの部屋に集まろう」
そのサークさんの言葉に、誰も異を唱える者はいなかった。




