第三十九話 蟲に支配された町
地面を強く蹴り、デュマの町へと続く道をひた走る。疲れだけではない激しい動悸が、胸の奧で鳴り響いて止まなかった。
あんなに動揺したクラウスの姿は、見た事がない。以前亡霊のさ迷う村を訪れた時だって、少なくとも表面上は冷静さを保っていたのに。
やがて、遠目に町の姿が目に入ってくる。町との距離がぐんぐん近付くにつれ、僕はある違和感に気付く。
――今はまだ日が高い頃だというのに、通りに人の姿が全く見当たらない。それだけじゃなく、どんなに町に近付いても物音が何も聞こえない――。
間もなく僕らは、町の入口に辿り着く。町はやはりしんと静まり返って、まるでゴーストタウンのようだった。
「クラウス、これって……」
「しっ!」
口を開きかけた僕を、クラウスが人差し指を口に当てて制する。その声に耳をよく澄ませてみると、あちらこちらの建物の陰から微かな息遣いが聞こえてきた。
盗賊の仲間だと疑われている? それにしてはどこかおかしい。この隠れ方は身を守る為のものではなく、まるで……。
「!!」
そう思っていると、建物の陰からゆっくりと町の人達が姿を現し始めた。それぞれの手には包丁やノミなどが握られており、一目で尋常でない様子だという事が解る。
何よりも僕を警戒させたのは、町の人達の目だった。僕らに近付いてくる町の人達の目は皆、あの盗賊達のように虚ろで焦点が定まっていなかった。それを見たクラウスが、苦々しげに舌打ちをする。
「ちっ、遅かったか……!」
「獲物……獲物、きた……」
包丁を持ち、ほっかむりをしたおばさんがぽつりと呟く。それを皮切りに、他の町の人達もぼそぼそと何かを呟き始める。
呟き声はだんだんと大きくなり、はっきりと聞き取れるようになってくる。「死ね」「殺す」という怨嗟の声が、一つの呪文のように辺りに渦巻いていく。
「……リト、合図をしたら通りの向こうにあるあの二階建ての建物まで走るぞ」
「解った」
クラウスの言葉に、振り返らず小さく頷く。ここまでずっと走ってきた為に足は軽く疲れて震えていたけど、その事で泣き言を言っている余裕はなさそうだった。
町の人達が、ゆっくりと手にした凶器を振りかざす。僕らはその動きから目を離さないようにしながら、じっとタイミングを図る。
「死ね……死ね死ね死ね死死死死死死死死!!」
「今だ、走れ!」
そして町の人達が一斉に襲い掛かってくるのと同時に、僕らはその隙間を縫うようにして走り始めた。
降り下ろされる凶器の嵐を掻い潜り、何とか二人、目的の建物へと逃げ込む。急いで扉を閉め鍵をかけると、直後、扉や壁に何かがぶつかる大きな音が断続的に外から聞こえ始めた。
「これで少しは時間が稼げるだろうが……あまり長くはもたんかもしれんな」
「うん……」
外の気配を窺いながら、僕とクラウスは揃って厳しい顔付きになる。町の人達が僕らを諦める様子はなく、それどころかどんどん数が増えていっているようだ。
「クラウス、一体何が起こってるの? そろそろ教えてくれてもいいと思うんだけど」
「……」
僕の質問に、クラウスは一瞬躊躇いを見せた。けれどそれは僕を信用していないという風ではなく、逆に自分自身その考えに確かな自信がないというような感じに思えた。
「……あれは……恐らく伝承に伝わる悪魔パヴァーの眷属の蟲だ」
「悪魔?」
耳慣れない言葉に、僕は反射的にそう聞き返す。クラウスはそれに小さく頷き、更に話を進める。
「悪魔というのは魔物の中でも知性が高く、力も強いものを言う。昔読んだ本に書いてあった。かつて存在した悪魔パヴァーは眷属の蟲を使って人間を狂わせ殺人鬼に仕立てあげ、殺人鬼にした人間とそうでない人間の殺し合いを見て楽しんでいたと。正直ずっとおとぎ話だと思っていたが、盗賊共の口から出てきたあの蟲の姿は本に記された眷属の特徴そのものだった……」
あまりの話に、僕は思わず息を飲む。そんな凶悪な魔物が、本当に存在しているなんて……。
「そんな……何かないの!? 狂わされた人達を元に戻す方法は!?」
「一度人間に寄生した蟲を殺すには、宿主ごと命を絶つか、主人である悪魔パヴァーを滅するしかない。僕の読んだ本の内容が正しければ、だが」
僕らの間に、沈黙が訪れる。そんな、どこにいるのか解らない悪魔を、襲ってくる町の人達を傷付けないようにしながら探さないといけないなんて……。
「……パヴァーの居場所の予測が、全く立てられない訳ではない」
そんな僕の考えを察したのか、クラウスが再び口を開く。その間も、扉や壁を叩く音はどんどん激しさを増している。
「さっきも言ったように、悪魔パヴァーは人々の殺し合いを見て楽しむ傾向にある。ならば今も、どこか見晴らしの良い場所でこの状況を眺めている可能性がある。あくまで、本が正しければの話だが」
「じゃあ、この町の高い建物を重点的に探せば……」
「ああ。恐らくは」
そこまで話したところで、背後の扉がみしり、と音を立てた。どうやら、扉の限界がそろそろ近いらしい。
「……迷ってる暇はなさそうだね」
「ああ。急いで裏口から外に出て、町で一番高い建物を探すぞ」
「うん!」
僕らは互いに頷き合うと、すぐに建物の裏口を探し始めた。




