EP4 召喚
EP4 召喚
町は炎に包まれていた。
轟々と燃える灼熱の焔に抱かれ、赤々と燃える深紅の業火に包まれ、暴力的な熱を伴って町は燃えていた。
建物にも、街路樹にも、標識にも、アスファルトにも、車にも、町の全てに対して炎は平等に、分け隔てることなく降り注ぐ。それは悪夢の体現であり、地獄そのものだった。
しかし、その地獄は現実のものだ。
私はその燃え盛る町をただ一人で歩いていた。
全身が高温に焼かれ、激痛とともに皮膚が焦がされる。いや、すでに痛みなど私の体は感じていない。それほどに私の痛覚は麻痺していた。
吸い込んだ熱気は喉を燻り、肺を焼く。
思わず咳き込んだ。
喉が強烈に渇く。全身が水分を求めるが、この炎の中にそんなものが存在するはずなどない。
空と大地と、目に移るすべてのものが赤に染まっていく。熱と焔と煙に包まれた世界が紅に塗り固められていく。
誰の声も聞こえない。
誰の姿も見えない。
皆どこに行ってしまったのだろうか。
父さんは、母さんは、友人達は、町の人々は、いったいどこへ行ってしまったんだろう。
誰もいない。
私しかいない、この炎の町を私はただ一人歩き続ける。
何故歩く。
私は何故歩くのだろうか。ここには誰も居ない。居なくなってしまった。
木の燃える臭い、草の燃える臭い、石油の燃える臭い、鉄の燃える臭い、命の燃える臭い。
私しかいない空間、私しかいない世界、私しかいない炎の町。
みんなは、いったいどこに行ってしまったんだろうか。
声を上げようとするが口がうまく動かない。喉まで出かかった言葉はその先まで行くことはなかった。
私の周囲にはただ一面に広がる火、灯、炎、焔、赤、朱、紅、赫…………。
叫び声。
苦痛に満ちた悲鳴、助けを求める声、嘆き、慟哭、涙、……違う、そんなはずはない。
聞こえない。
私には、少なくとも今も私にはそんなものなど聞こえる筈がない。
聞いていない。
聞いてなど、いないはずだ。
此処に居るのは、この場所に存在するのは私だけだ。私しかいないはずだ。私だけなのだ。
だから見える筈もない。誰も見えない。誰かを見つけることなど出来る筈がない。此処に居るのは私だけだ。私だけの筈だ。探し出すことなど出来る筈がない。助けを求める手も、救いを求める目も、全て幻覚でしか在り得ない、全て幻想に過ぎない。
そう、私は、何故ならばあの時私は……。
違う、そうじゃない。これは夢、悪夢なのだ。
喉の渇きも、炎の熱も、足にしがみ付いてくる何かも、全ては空想の産物に過ぎない。そう、そんなことがあるはずないと、私が一番よく知っているはずだ。あの時、あの時の私は……。
大地が揺れ、炎が爆ぜ、空が割れ、そして空間が歪む。火柱と共に悍ましき影が揺らめき、神経を苛む音が響き渡る。焔が浮かび上がり、無数の名状し難い影が冒涜的な巨人へと変貌する。星辰が揺れ動き、太陽が瞬き、月が禍々しい光彩を放つとともに、赤々と輝く〝死〟が歓喜の雄叫びを上げた。
そんなはずはない。
こんな現実など存在するはずがない。
――いや、そうではないということを私は今、誰よりも知っているはずだ。
しかし私は認めない。
あの腕が、あの瞳が、あの咆哮が、あの牙が、あの赤く揺らめいた〝絶望〟が現実であることなど認めない。
これが、今この瞬間に私を覆っている恐怖が、全身の震えが、喉の渇きが、現実だとは認めない。
決して、認める筈がない。
私は聞いてなどいない見てなどいない誰かが私に助けを求める響き渡る悲鳴焼け爛れた肌燃える大地泣きわめく苦しみの声乾く水が欲しい誰かが手を伸ばすもう終わるこれは夢だ瞬く星これは夢だ煌めく月夢だ燃え盛る太陽夢なのだ蠢き夢悶え夢微笑む獣の声夢悪魔の影夢魔人の咆哮夢爪と牙と紋章と鱗と炎と炎と炎と炎と炎と炎と炎と炎と炎と炎と炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎………………
×××
…………――――――。
「――っ!!!!」
私はベッドの上から跳ね起き、周囲を見渡した。
見慣れた部屋。
最低限の家具が置かれ、綺麗に片付いているWFの局員寮の自室だ。
机の上に放置されたネームプレートには、確かに久藤真理という自分の名前が書かれている。
……いや、そんなことを改めて確認する必要なんてないんだけど、それでも、目覚めたその瞬間は自分がどこにいるのか、何者なのかすらもわからなくなってしまうような、そんな強烈さを持った夢だった。
壁に掛けられた時計が指し示しているのは四時四五分。外はうっすらと白んでいる。
「ハァ、ハァ、ハァ――――ッ」
動悸が激しく、息が荒くなっている。
喉が渇き、手が震え、全身から嫌な汗が噴き出している。
「スゥ――、ハァ――、スゥ――、ハァ――……」
一度目を強く閉じた後、何回か深呼吸した。
肺の中の空気が何度か入れ替わるのと同時に、徐々に頭が覚醒し自分が冷静になっていくのを感じる。
「……夢……、また、あの夢、か……」
私は、そう呟きながらもう一度ベッドに倒れこんだ。
シーツとパジャマが寝汗を吸って湿っぽくなっている。
季節は夏だがこの汗は空調が効いていないからじゃない。
最近になって、また見るようになった昔の夢、昔の記憶が作り出した〝悪夢〟のせいだ。
「……今になっても、まだこんなことを……、弱いな、私は……」
そんなことを口にしながら、まだ鳴っていない目覚ましのアラームをオフにすると、再び体を起こしベッドから降りた。
「……最悪の目覚めね、少しは強くなれたと思っていたけど……」
頭がまだ起ききっていないせいか、〝悪夢〟の残像が視界の中にチラつく。
身に着けているパジャマと肌着を脱ぐと、ふらふらとした足取りで備え付けのバスルームへと向かう。
そして水栓に手をかけるとを思いっきり捻った。
シャワーから勢いよく水が出てくる。
「――っ!」
冷水をかけられた瞬間体が硬直し、それと同時に脳が覚醒していくのがわかる。
多分体に悪い方法だろうけど、悪い夢から覚めた後はこうやって無理やりにでも目を覚まさせ、すぐにそれを忘れさせるのは習慣と言ってもいいものになっていた。
火照っていた体が冷やされていく。
「――――――……」
寝汗と共に夢の不快感が洗い流されていくような気がした。
数分後、シャワーを止め、タオルを取ると顔を拭き、バスルームの鏡の中に映る自分の姿を見つめた。
そこには、黒い髪を肩まで伸ばし、どこか冷めた様な目をした、色白で小柄な、いつも通りの見慣れた自分の姿があった。
鏡に映った自分の姿を見ながら、私は言った。
他の誰でもない、私自身に言い聞かせるために。
「――私は、あの時の私とはもう違う。無力で、何も出来なくて、誰一人救えずに、ただ助けを待つことしか出来なかったあの時の私とは違う」
一度だけ深呼吸する。
そして鏡に映る自分の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「今の私には力がある。一緒に戦ってくれる仲間もいる。だから、もう二度と、あんな事件は繰り返させない」
×××
現在WFでは現在二四時間体制で研究と調査が行われていた。
この約一か月の間に現れたCCDは四種類十体。
しかもそのうち三種類は今まで確認されていない新型種だった。これほど大量のCCDが短期間のうちに現れるというのは過去にもあまり例のないことだった。
これらのCCDが〝たまたま偶然現れただけ〟というのであればまだいい。例えば、〝古代遺跡の発掘中に封印されていたCCDを間違って蘇らせてしまった〟とか、〝地下の工事中に偶然巣を掘り当ててしまった〟とか、〝偶然宇宙から降ってきてしまった〟などといった不可抗力によるものなら、そこまで問題にはならないのだ。
問題はこれらのCCDは〝何者かが悪意を持って呼び出している〟という可能性が非常に高いということだ。
最初に古堅陸が遭遇したCCD‐02通称〝クトゥルフの落とし子〟。
このCCDはWF結成以前から目撃例があり、現在でも、最も多く出現している種類だ。
その理由は単純で、このCCDは然るべき手順と方法で儀式を行えば、比較的簡単に呼び出すことが出来るのだ。
そのためCCD関連の〝事件〟となると、大抵は邪神崇拝を行う新興宗教がこういったCCDを呼び出そうとするものだ。
そこからは大抵二つのうちどちらかのパターンだ。
一つは、そもそも知識が足りずに召喚に失敗し何も呼び出せない。
二つ目は召喚したはいいが制御することが出来ず、呼び出したCCDが暴走し、関係者は全員CCDに殺されるか何らかの精神異常をきたして発狂してしまうというパターンだ。
WFの局員達の大半も今回CCD‐02が現れた当初は、後者であると思っていた。
しかし、調査を進めていくうちに、その可能性は否定された。CCDの召喚とその補助に素人とは到底思えないような複雑かつ精巧な魔術が用いられていた。
つまり、二パターンの内のどちらかではなく、〝計画的に呼び出し、何らかの目的のために使役している〟と言う可能性が非常に高いのだ。
こういったものを使いこなすことが出来るのは、相当な知識を有した魔術師か、何らかの教団や魔術組織のリーダーや幹部クラスの者に限られる。
この意見はあらゆる科学とオカルト分野の権威たちが集うWFでの共通見解となった。
×××
俺と久藤さんは、北辺博士の研究室にいた。
いつもは俺がCCDに関する研修を受けている時間だが、北辺博士が調査に追われて忙しそうにしていたところを俺が見かねて、「何か手伝えること、ありませんか」と言い出したのがきっかけで、研究室の資料の整理を手伝うことになった。たまたま手の空いていた久藤さんも声をかけられた。
そんなわけで朝から、夏の日差しが全く差し込まないかび臭い部屋に俺はいた。ついでに久藤さんも巻き込まれた。
「……古堅君、私は思うんだけど」
久藤さんは大量の本が無造作に詰め込まれている本棚を整理しながら話しかけてきた。
俺は、部屋中に散らばっている何に使うのか見当がつかない実験道具やら、正体不明の標本やらを片づけながらそれに応じる。
「ほう、なんでしょう」
「……そのお人よしな性格は何とかした方がいいと思う」
「いや、困っている人がいるのに何もしないでいるというのは人としてですね」
「……その言葉は前にも聞いた。別にそのことを悪く言うつもりはないわ。私が言いたいのは、もう少し考えてから行動してほしいってこと」
「……まあ、その点に関しては全力で同意するよ。今度からは気を付ける」
どこか疲れた様な口調でそんなやり取りをした後、俺達はほぼ同時に振り返りこの部屋の主に対して、一斉に抗議の声を上げた。
「北辺博士、少しは普段から片づけるようにしてください」
「北辺博士! これって別に今すぐ俺たちがやるべきことではないですよね、というかあなたがやるべきことですよね!?」
俺達の声を一斉に背中に向かって浴びせられたもの部屋の主、北辺響子は全く悪びれる様子もなくその言葉を受け流しながら答えた。
「そんなことないよー。片付いていれば資料がすぐ見つかるから探す手間が省けるし、私の言った資料をすぐに取ってきてもらえれば、わざわざ取りに行く手間が省けるからねー」
二台のPCを同時に操りながら、自身の左右に資料の山を築いている彼女は振り返ることもなくさらに続けた。
「それにさー、君たち達はこんなか弱い乙女にそんな重労働を強いるつもりなの?」
そんな北辺博士のセリフに対して俺は、重労働をさせているつもりはあったんだ、と、彼女が人並みの感性があったことに感謝しながら片付けをしつつ抗議を続ける。
「か弱い乙女なら俺の隣にもいますよ」
俺がそう言うと、今度は隣の方から俺に向けて冷たい視線が送られてきた。
「……でもそのか弱い乙女を巻き込んだ張本人は古堅君よ」
「それに関しては申し訳ないと思っている」
「……まあ別にいいんだけどね」
そんなやり取りを聞いていた北辺博士が俺の方を振り向くと言った。
「あ、陸君そこの本棚のその本、左から三番目にある、そう、その本取って」
「……えーと、ああこれですか」
そう言いながら俺は本棚の端の方に置かれていた本に手を伸ばす。その本は奇妙な質感の背表紙に『Cthaat Aquadingen』とかすれた様な文字が書かれていた。
見るからに古そうな本だけど、何かの動物の皮で装丁された表紙はつぎはぎで、お世辞にも綺麗な本とは言えない。
むしろ、どこか悍ましい雰囲気すら醸し出している。
と、その時、本の表紙にある異変が生じた。
「――うおぉっ!? なんだこれ!?」
本の表紙がいきなり湿り気を帯び始めた。
いや、感覚としては、“汗をかき始めた”と言った方が正確だ。
思わずその本から手を離した。
床に落ちた本は、普通の本ではありえない音、ベチョッという、ちょうど濡れた雑巾を床に落としたような、そんな音を立てた。
久藤さんは俺が床に落とした本を手に取ると、少し不快そうな顔をしながら言った。
「……博士、これもしかして『水神クタアト』ですか?」
「大当たり! よく知っているわね、真理ちゃん」
北辺博士はそう言うとキーボードから両手を離し、落ちそうになっていたメガネを直すと、久藤さんの方に片手を突き出した。
「まあ、噂には聞いていましたけどね」
そう言いながら北辺博士に本を手渡す。
「……ただ、実際に触ってみると、想像以上ですね。あまり気持がいいものではありません」
そして北辺博士が本を受け取ると久藤さんはすぐさま手を放し、ポケットからハンカチを取り出すと両手を拭いた。
そんな俺達の様子を見ると少し嬉しそうな声で言った。
「ふっふっふっふっふっ、外見や触り心地で驚いているようではまだまだね。この本が本当に悍ましいのはその中身、内容の方なんだから」
……――――。
「――ななななんなんですか、その本は!?」
我に返った俺は、本を指さしながら叫んだ。
北辺博士は「その言葉を待っていた!」と言わんばかりに、瞳をきらきらとさせながら誇らしげに語りだした。
「そう、それが普通の反応だよ! この本が一体何なのか? よくぞ聞いてくれたね! この本こそ人間の皮膚で装丁された、自ら汗をかくと言われる伝説の研究書『水神クタアト』の完全な複写本! 何と素材まで完全再現されているのだ!! 手に入れるのにものすごーく苦労したんだよ」
「に、人間の皮膚!?」
俺は予想外の言葉に思わず聞き返した。
それに対し、近くにあった本を何冊か抱えて、本棚に戻しに来た久藤さんが言った。
「……一応言っておくと人皮装丁本は古い本だとそこまで驚くものじゃないわ。……さすがに汗をかいたりはしないけど」
「へ、へぇーそうなんだ……」
……一応納得出来たことにしておこう。あるいは、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。とりあえず、調査の手伝いという名の研究室の片付けに再び専念することにした。
それから少し経ってから、不意に久藤さんが話しかけてきた。
「あと、一応言っておくけど、古堅君はこの部屋の本を無暗に開かない方がいいと思うわ」
「な、なんで?」
俺の疑問に対して、北辺博士が、先ほどの『水神クタアト』を開いて片手に持ち、もう片方の手で二つのキーボードを叩きながら答えた。
「耐性がないと発狂しちゃうからよー」
「――!? 発狂!? なんで!?」
何かの冗談なんだろうか。北辺博士はそんな俺の方を振り向きに、やにやと笑いながら答えた。
「読んでみればわかるわよー」
「いやですよ!」
即答する。
……多分、冗談じゃないんだろう。
北辺博士の答えをフォローするかのように、久藤さんが言った。
「……まあ、そういう本はほとんど日本語で書かれていないから大丈夫だとは思うけど」
それを聞いた北辺博士はもう一度俺達の方を振り返ると、自慢げな声で言った
「ふっ、甘いわね真理ちゃん。この部屋の本の半分は日本語訳版よ! そしてそのほとんどを書いたのは何を隠そうこの私!!」
久藤さんのフォローを台無しにするようなセリフだった。
「なんたってそれが私の研究の専門ですからね!!」
そう言い放った北辺博士に対して久藤さんが呟く。
「どうしてそんな余計なことを」
そんな久藤さんの小さな言葉を聞き漏らすことなく北辺博士が答える。
「だから、〝専門〟だって言ったでしょー。それが私の仕事なの」
そう言うと北辺博士は立ち上がり白衣をひるがえした。
そして、さっきよりも一回り大きな声で、あたかも穢れをしらぬ純粋な少女のような好奇心に満ち溢れた瞳、もしくは狂気に犯されたマッドサイエンティストのような鬼気迫るような瞳になり俺達へ語り始めた。
「そう、私の夢はこの世界に存在するすべての禁断の書物を日本語訳すること! それが失われた言語だろうが、ほかの星の言語だろうが、異世界の言語だろうが関係ない! そう、かつて七三〇年にかの有名な詩人にして賢者、狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードが『キタブ・アル・アジフ』に地球と宇宙の真実の歴史を書き記したように!! この世界、この宇宙、この次元に存在するそれらすべてを、日本人に理解できる言語に置き換えること! それこそが私の使命!! 私の運命!! 私のデスティニィィィー!!!!」
……少なくとも言っている内容はマッドサイエンティストだった。
北辺博士が研究室のど真ん中でひとしきり叫んだあと、肩で息をしているのを唖然としながら見ていた俺は、少し遠慮がちに声をかけた。
「あ、あのー、盛り上がっているところを申し訳ないんですが、そろそろ調査の方に戻った方がいいのでは……?」
続いて久藤さんも声をかける。
「……そうですよ、きちんと仕事してください。これじゃあせっかくの休息時間に博士の部屋を掃除している私が、まるで馬鹿みたいじゃないですか」
「ああ、それならもう大体の目星はついてるよー」
北辺博士はあっさりとそう言ってのけた。
俺達が驚愕と疑いの表情を向けるのに対して、北辺博士はそれを全く気にすることもなく続けた。
「今回の〝敵〟の正体も、それから本当の狙いもね」
「……本当?」
「本当ですか?」
俺達はほぼ同時に疑いの言葉を口にした。
それに対して北辺博士はどこか芝居がかった手つきでメガネを直しながら、自信に満ちた口調で言った。
「本当だよー、というかこんなところでわざわざ嘘をついても仕方がないでしょ」
「まあ、それはそうですけど……」
北辺博士は俺達のことを見つめながら何処となく楽しそうに、そしてどこまでも純粋な、どこか狂気すらも含むような声で言った。
「パイロット諸君、今回の〝敵〟はとてつもない強敵になるかもしれないよ」
×××
一時過ぎ、ちょうど多くの局員が昼食をとり終わった時間に、WF内の主要局員のほとんどがブリーフィングルームへと集められ作戦会議が始まった。
大量の資料を持った局員が大画面を操作しながら、集められた局員たちに説明を行っている。
「まず皆さんの入手した情報をまとめて、整理しました。今回私たちはこの一か月の間に現れた四種類のCCDが何らかの関連性があり、一連のCCD出現は、全て同一人物ないし同一グループによる犯行であると推定して動いていました。これに関しては、ほぼ確実なものとなりました」
スクリーンの映像が切り替わり、四種類のCCDの映像とそれらについての今までに分かっている情報が映し出される。
「この種類のCCDの扱いに長けている組織は限られています。さらに四種類のCCDが現れた場所の近辺で活動を行っている組織となるとさらに限られてきます」
映像が切り替わり、いくつかの組織の名称が映し出される。
「そして、その中でも最もこの事件の主犯である可能性が高いと思われるのが、〝ダゴン教団〟です」
俺は久藤さんと一緒に部屋の端の方で話を聞いていた。
そして、〝ダゴン教団〟の名前が出てきたときに久藤さんの顔が、一瞬だけ険しくなったのを見逃さなかった。
「その中でも最近できた派閥、深瀬亮をリーダーとした強硬派の犯行である可能性が非常に高いということになりました。この強硬派のメンバー、彼らの目撃例が監視カメラの解析と聞き込み調査のよって明らかになりました」
画面上に数十人の名前と顔写真、その他個人情報が記されたリストが表示される。
というか、誰がどこで手に入れたんだよ、こんなリスト。
「後は彼らの拠点を叩けばいい訳なのですが、問題がいくつかあります。まず一つ目に、彼らの拠点がそもそもどこにあるのかが分からないこと、二つ目に、そもそも〝現行犯〟でないと我々WFには〝人間〟に対して行動を起こすことが出来ないということです。そして三つ目に、そもそも彼らの目的が不明であるということです」
WFは国連直轄の組織で、この日本支部も例外ではない。
しかし、巨大な戦力を有しているとはいえ厳密な意味での軍隊ではなく、また警察でもないため逮捕や考査の権限はない。
基本的に〝現れたCCDを迎撃する〟ということに対して必要とされる行動だけに、超法的行動が許されているのだ。
だから、人間に対して何らかの行動が行えるのは、明らかに故意にCCDを呼び出したり、蘇らせようとしている最中や、CCDを操っているということが確実に明らかになっている場合だけなのだ。
そんな事情もあるのでCCD関連の〝事件〟の発生を未然に防ぐことは難しいく、そのことがWFの悩みの種だった。
「現れた四種類のCCDはいずれも中から大型のCCDですが、テロ行為や破壊活動にしては、お世辞にも効率のいい呼び出し方ではなく、またWFの基地と呼び出された場所があまりのも近すぎます。逆に、基地の壊滅を狙っているのなら、もっと別の方法を取ってもいいはずです」
局員がそこまで一通り話し終わったところでそれまで話を聞いていた一人の局員、北辺博士が立ち上がりマイクを取り、
「じゃーここから先は私が」
と言うとモニターを操作しながら話し始めた。
「彼らが拠点に使っていそうな場所は、行動の目的を理解すればすぐに特定出来るよ。邪神崇拝を行っている教団の、しかも強硬派ともなれば目的は一つ。巨大な力を持った〝邪神〟を呼び出すことだ。普通ならそういうCCDを呼び出すためには大がかりな儀式や、巨大な力が要求されるんだけど、そんな時にてっとり早く儀式を行うためによく使われるのが古代遺跡なんだよねー」
北辺博士はモニターを切り替えながら様々な映像を映しつつ、いつも通りの緩い口調で話を続ける。司令を含め、誰一人としてそのことに対して言及しないので、俺も特に気にしないことにした。
「四種類のCCDが出現した近辺の古代遺跡で、〝ダゴン教団〟の崇拝する神と何か関係がある遺跡はこのあたりだと一カ所だけ」
そう言いながら北辺博士は一枚の写真をモニターに写しだした。
「この〝魚神遺跡〟だよ」
映し出された写真と北辺博士が口にした遺跡の名前によってブリーフィングルームは騒然となった。
その遺跡は、以前にWFが調査に協力したことのある遺跡らしい。
現在は崩落の危険性と〝本物〟である可能性が高いことから立ち入り禁止となっているそうだ。
「彼らは多分この遺跡に、本当に〝邪神〟を呼び出すだけの力があるかどうか試していたんだろうね。そして、それと同時にこっちの戦力を測っていたんじゃないかな」
「ちょっと待ってください」
局員の一人が北辺博士の言葉を遮った。
「もしそうなら彼らがその遺跡に〝邪神〟を召喚する能力がないと判断すれば、作戦を中止する可能性もありますよね」
他の場所からもその発言に同意するような言葉が出てきた。しかし、北辺博士はそれをあっさりと否定した。
「いやー、それはありえないかな」
そう言いながら北辺博士はモニターにグラフのようなものを表示させた。
「これは、ちょうどCCD‐02の現れる少し前から、このへんで起こっている連続失踪事件のここ一ヵ月の認知件数なんだけどね」
北辺博士はさらにモニター上に、失踪者の住所や、捜査範囲、魚神遺跡の場所、CCDの出現範囲など様々なデータが記された地図を表示した。
「日が経つにつれてどんどんと増えてるんだけど、教団の動きに関係があると考えて間違いないんじゃないかな。きっとこのうちの半数は世捨て人となった教団のメンバー。そして残りの半分は、教団が生贄にするために連れさった人々だろうね。巨大な力、特に〝邪神〟クラスのそれを呼ぼうとしたら生贄を使うのがてっとりばやいしね。それに、この予想が思い過ごし終われば、それに越したことはないはずだよ。しかも、もしも本当に起こっちゃったら、とんでもない数の犠牲者を出すことになるんじゃないかな」
そんな北辺博士の言葉を聞いていた司令が口を開いた。
「確かにその通りだ。事態を軽視し甚大な被害を出すというのは、決してあってはならないことだ。五年前の事件を忘れた訳ではあるまい。あれを繰り返してはならない。そのためにも、我々は常に最悪の事態を想定して動くべきだ。しかしどう行動する? 我々にはその権限がない」
司令は何処か試すような口調で北辺博士に対して言った。
それに対して北辺博士はそれを想定していたかのように答えた。
「今あの遺跡は立ち入り禁止になってるからね。私たちが調査という名目で遺跡内に踏み込むのは出来るはずだよ。それに、過去の遺跡発掘のデータを使った遺跡内部の地図はもう完成してる」
そう言って北辺博士はスクリーンに遺跡内の見取り図を表示した。
それを見たほかの局員たちが言った。
「ずいぶんと準備がいいじゃないか」
北辺博士はそれを聞くと、少しばつが悪そうに答えた。
「いやー、それがねー……。今日緊急で会議を開いてもらったのには理由があって、星の並びなどから推測すると、彼らが儀式を行うのは、今日の夜である可能性が非常に高いんだよ。まあ、最悪の事態を想定した場合なんだけどね」
北辺博士がそう言うと、ブリーフィングルームがざわつく中、司令は尋ねた。
「……何か作戦はあるのか?」
「一応、パイロット二人とは事前に相談をしてあるよ」
そう言うと、部屋の端の方に居た古堅と久藤に対して軽く目配せした。
「……よし、わかった」
司令はそう呟くと全体に聞こえる声で、高らかに宣言した。
「事態は一刻を争うものとなった。これより〝ダゴン教団〟強硬派による〝邪神〟召喚の阻止および生贄の救出作戦を開始する。各員所定の配置へつけ。全力を持って作戦を遂行せよ」
×××
今回の作戦が決まった。
まず、遺跡内に儀式の阻止と、生贄のために囚われている人たちの救出、この二つを行うために二つのチームが突入する。
遺跡内の見取り図からどこに囚われているかは、おおよその見当がついているのでこれに関しては問題なく出来るだろう。
救出チームは囚われている人たちを安全なところまで保護した後は警察に連絡。儀式阻止チームは遺跡最深部に存在する祭壇を破壊し使用不能にする、というものだ。
これらは〝本来〟なら無人の遺跡を調査するだけの任務だが〝万が一〟の事態を想定して、〝護身用〟の最低限の装備を携帯していくことになった。
また、儀式が成功し〝邪神〟が復活してしまった時のために、パイロットは基地で待機する。
……はずだったのだが、
「私も突入部隊に加わって儀式阻止チームの指揮を行います」
北辺博士が発表を行う前に行った話し合いの中での久藤さんの意見で、彼女が儀式阻止チームのリーダーになった。
「いや、久藤さん、ちょっと待ってくれ。こういうのは適材適所というか、やはりそれぞれの分野のエキスパートがやるべきだろ」
俺はそう言って止めようとしたが、
「適材適所というならば、なおさら私が行くべきなの」
「どういう意味だ、それは」
「遺跡の破壊は物理的に行うよりも魔術的に行った方が効率はいいわ。それに遺跡内に彼らが張り巡らせているかもしれない魔術的なトラップや結界はそれ相応の知識と力がある人間でないと突破できない」
「魔術的って……、久藤さんそんなことできんのかよ」
「戦闘中に何回もみせているでしょ。それに、忘れたの? 対CCD用の人型装甲機を動かすためには、〝魔術的力の素養〟が必要だってことを」
「……ああ、そういえばそうだったな」
言われてみればその通りだ。
あまりにも当たり前にやっていることだから、それが魔術とか言う今でもよくわからないものだってことをすっかり忘れてた。
「……ん? ということは、別に久藤さんじゃなくて俺が行ってもいいわけだよな?」
「気遣いには感謝するわ。でも古堅君はその力を自力で使いこなすことが出来るの? それらに対してどんな知識を持っているの?」
「いや、それは……」
「なら私に任せておけばいい。心配はいらないわ。私はもう何年もこの組織で戦ってきた。こういうことにも慣れている。そのかわり……」
「ああ、安心しろ。いざって時は俺に任しとけ」
×××
緊急の作戦会議を終え、時計が午後の四時を回る頃、私達突入部隊は魚神遺跡の中の狭い通路を進んでいた。
魚神遺跡はもう何年も前から立ち入り禁止になっていて、入り口付近は鍵のかかった金網のフェンスで囲われている。
一見何の異常もないように見える。
しかし、よく見ると最近になって開けられた跡があった。
周囲には見張りはいなかったけれど、そのかわりCCD‐02の時に発見されたのと同じ人払いの術を表す模様が大量に記されていた。
特定の人間だけがそこを通ることが出来、それ以外の人間は入り口の場所を無意識のうちに認識から外され入り口を見つけることが出来ないようになっているのだ。
そういった術を一つずつ丁寧に、しかし迅速に解除すると私達一行は遺跡の中に入っていった。
同様に、遺跡の中にもそういった魔術によるトラップや結界などが仕掛けられていた。
私達はそういったものを無力化しながらなるべく音をたてないように、静かに、しかし素早く進んでいった。
最初は、予想が外れこの遺跡に居なかったらどうしよう、とか思ってたけど、こうもあからさまだと逆に安心だ。この奥には確実に〝何か〟がある。
仕掛けられた大量の罠や結界はここに誰かがいること、この奥に何かがあることを雄弁に物語っていた。
遺跡の内部は外に比べて非常に温度が低かった。
それは奥に進めば進むほど下へ下れば下るほど顕著になっていく。それと同時に、遺跡の奥から小さな水の音が聞こえるようになってきた。
過去の調査記録では、この遺跡には水なんてなかったはずなんだけど……。数年間の間に地殻の変化で地下水が湧き出したんだろうか。
……突然、遺跡の奥から異質な臭いを感じ取った。
地下の遺跡で嗅ぐにはあまりにも場違いな臭い。
「……これは、潮の匂い?」
微かにだが間違いない。
まるで近くに海があるかのような、そんな異質な気配があった
×××
久藤さんが突入部隊を率いて遺跡の中を進んでいた頃、俺は基地で待機していた。
自分だけ楽をしているような奇妙な罪悪感があったけど、今はそれ以上に気がかりなことがあった。
久藤さんの態度だ。
「自分が出る」と言った時の久藤さんはいつもの冷静で無口な彼女とは違い、どこか感情的なように感じた。
久藤さんが俺に言った自身が現場に行かなきゃいけない理由も、確かに正しいはずなのに、どこか言い訳じみているような気がした。
それに、〝ダゴン教団〟の名前を聞いたときの彼女の表情が必ずと言っていいほど、険しいものに変わっていた。
……そういえば、久藤さんは五年前の事件に巻き込まれて両親を失っているって言っていた。まさかあの事件を引き起こしたのは……。
「北辺博士一つ質問してもいいですか?」
俺と同じ基地待機組で、今のところ特にすることがなく暇そうにしていた北辺博士に質問した。
北出博士はそれに対していつも通りの緩い口調で返してきた。
「んー? 一つと言わずにどーぞー。どうせ今やることはほとんどないしねー。あっ、あれかな、私の年齢についてとかかな?」
それは、確かにものすごく気になる話だ。
何しろ北辺博士は、どう見ても中学生、いや、下手をすれば小学生ぐらいにすら見える。海外の大学を飛び級で卒業して、なんてことも考えられるけど、でも、父さんから聞いた北辺博士の経歴から考えるとそれはありえない。なぜなら彼女は、あの南極遺跡の発見に、アメリカの大学から派遣されたメンバーとして参加しているはずなのだ。
「確かにそのことも気になりはしますけど……」
「身体の成長速度を極端に遅行させることで脳の老化を抑制し、忘失を防ぎながら多くの魔術知識を蓄えつつ、その膨大な知識を繋ぎ合わせて思考してもなお精神的安定を常に保ちつ図けることが出来るように、遺伝子レベルから人為的に操作し先天的および後天的な調整を加えることによって、科学の粋を集めて創り出された人工的な天才とその量産を行うことで禁忌とすらも言われてきた領域の知識を収集し分析しそして手に入れるための計画」
「……なんですか、それ」
「私の秘密だよ。詳しく知りたいかな?」
「……やめておきます」
多分、あまり深くは追及しない方がいいような気がする。
「それよりも他に気になることがあって、……五年前のあの事件って、誰がやったのかもしかしてわかっているんですか?」
「おおよその見当はついているんだよねー。たぶん陸君が考えている通りだよ。犯人は恐らく当時の〝ダゴン教団〟の強硬派。ただ、決定的な証拠がない。何しろ実行犯は全員死んじゃってるからね」
北辺博士はあっさりとそう言ってのけた。
まあ、ここまでは大体予想通りだ。
「そもそも〝ダゴン教団〟は当時からとんでもない規模の宗教団体だったからね。仮にその構成員が何らかの罪を犯したとしても、それが果たして教団の罪なのかっていうのはとても難しいんだよね。それに当時の強硬派はその言動を危険視した司祭が破門していた、なんて話もあるくらいだからねー。しかも現在の強硬派のリーダー、深瀬亮について調べたら、彼もあの事件の生き残りなんだけれど、なんと当時彼は〝ダゴン教団〟には入信していなかったんだよ」
「……なるほど。そうだったんですか」
平静を装いつつも内心とても驚いていた。
記憶に残っているとはいえ、当時の俺にとっては〝非日常〟の側の出来事で、所詮はテレビや新聞で見聞きした程度のものだ。
しかし実際には五年前の事件がここまで複雑なことになっていた。
「多分、今の真理ちゃんが考えているのは復讐だと思うな。自分のかけがえのないものを奪った教団に対する復讐だね。真理ちゃんにはあの五年前の事件の犯人が〝ダゴン教団〟だっていう何かの確証があるんだと思う。当時あの場所であの光景を見た人間にしか得ることが出来ない確証がね」
どうやら俺の考えていたことは見透かされていたみたいだ。
「別に復讐のために戦うことが悪いとは言わないんだけどねー。ただ、今の真理ちゃんは冷静とは言えなかったからね。そんな状態じゃ冷静な判断が下せなくなるかもしれないな。もし何かあったら、その時は陸君に任せたよ」
×××
私達はトラップや結界を無効化しながら、慎重に、だが迅速に進んでいた。
トラップ等が全て魔術的なものだけで構成されてたのは幸運だった。
魔術に対する知識は一流の私達でも、一般的な軍事関連のそういった知識はこの私を含めた突入部隊の半分以上の人間が〝人並み以上〟程度だ。
洞窟内のトラップを簡単に攻略することが出来たのにはそれなりの理由がる。
それが、WFが所有する対CCD用の兵器の一つ、〝旧神の石〟だ。
〝旧神の石〟とは遥か古の時代に〝旧神〟と呼ばれる存在達が〝旧支配者〟と呼ばれている存在、つまり現在CCDと呼ばれているもの達の中でもかなりの上位に位置するもの達を封印するために使われた道具だ。
様々な古代遺跡から見つけられたそれを解析し人工的に作り出した複製品を、WFでは大量に所持しているのだ。
本物と比べればその力は微々たるものだけど、この程度のトラップや結界を無力化するためには十分すぎる力がある。
それらを使うことで侵入経路上のトラップや結界を全て破壊しながら私達は比較的安全に進むことが出来た。
突入部隊一行は足を止めて地図を確認した。
ここから先は儀式の阻止と捕えられた者達の救出の二手に分かれて行動することになっている。
本来ならば人数は五人、五人で分けるはずだったが、
「祭壇へは私一人で向かいます。皆さんは救出の方に」
「――!? 久藤、言ったに何を――」
「これは優先度と効率の問題です。祭壇の機能を破壊し儀式の実行を不可能にするだけならば、私一人で十分にやれます」
『確かに、今は人命を優先すべき時だ。久藤の指示に従って残りの九人は救出ルートへ向かえ』
通信でそれを聞いていた司令は、私の意見に同意し命令を下した。
「――了解」
そう答えた後突入部隊の一人が気遣うような口調で言った。
「真理、くれぐれも無茶はするなよ」
「わかっています」
そう答えると私は、独り別の方へと歩き始めた。
断続的に続くトラップと結界、そして時折現れる見回り達をうまくやり過ごしながら着実に前へと進んでいく。
……やっぱり、さっき感じた臭いは気のせいなんかじゃ無かった。進むたびに潮の匂いが強くなっていく。いったい、この奥に何があるんだろうか。
私がそんなことを考えた理由は、潮の匂いだけじゃない。
この自然の洞窟を改造して作られたと思われる古代遺跡、これ自体がある種のオーパーツのように見えてきた。
例えば壁面いっぱいに刻まれた彫刻。
それらからは、日本的な気配は全く感じられない。
元々日本では、それほど石を加工するという技術は発達していない。
少なくともこの遺跡が作られたと推測されている時代、弥生時代の前期頃には日本にはそんな技術はないはずだし、そもそもこの遺跡以外にここと同じ特徴を持った遺跡は日本では見つかっていない。
壁面に刻まれた彫刻は入り口の部分から続いているけれど、そこに表わされているのは好意的に解釈しても人類誕生からの歴史だ。
そこに記されていたのは恐竜たちがこの地球に生まれるよりもはるか以前に、この地球を支配していた種族たちの戦いの歴史だった。
……そうだ、思い出した。
この彫刻、前に写真で見た南極の古代遺跡に似ている。ということは、やっぱりここは〝本物〟なんだろう。
……だとすれば、もしかすると本当に…………。
儀式の阻止へと向かうためルートを進み始めてから二十分近くの時間がたった。
トラップ等の無力化に多少の時間がとられたけど、もうそろそろ目的地についてもいいはずだ。
ほかの場所よりも開けた神殿のような場所が見えた。
「……どうやらここのようね」
そう呟いたとき、救出に向かったチームからの連絡が入った。
『こちら救出部隊。現在、目標ポイントに到達。予定通り信者たちを拘束した後に生贄たちを救出します』
「……了解。こちらも今ついたところです。これより任務を遂行します」
そう答え、目的地と思われる神殿の方へと足早に向かった。
「――――!?」
地図に示されていた神殿。
そこにたどり着いたとき私は言葉を失った。
今までの洞窟に少し手を加えただけの通路とは違い、その空間だけはとても豪華なものになっていた。
そこは今までの狭い通路からは考えられないほどの広さのドームになっていた。
壁面や床には、複雑な幾何学模様と奇妙な文字が描かれている。
さらにところどころには、それが空想の産物であってほしいと願わずにはいられないほどに冒涜的かつ狂気的な、生き物のようなもののレリーフがあった。
壁面の内側には古代ローマの建造物を彷彿させるような柱が一定の間隔で円を描きながら合計で十二本建てられており、その中央に祭壇のようなものがある。
祭壇にはそこで行われていた冒涜的で残虐な儀式を正確に再現したレリーフによって飾られていて、その中央の目立つ場所にはここで祀られていた〝神〟を示す彫刻が掘り込まれていた。
その〝神〟はその彫刻に記された人間との比較が正確な大きさなら、十メートルは軽く超える巨体で、その外見は魚を極めてグロテスクに擬人化したようなものだった。
柱と壁面との距離は五メートルほどの幅がありその間は海水で満たされている。
柱の内側すなわち祭壇の周囲に当たる部分には溝がありそこに海水が引かれ、複雑な幾何学模様を作り出していた。
十二本の柱の外側にはそれぞれ松明が掛けられていて、その明かりが外壁のレリーフをゆらゆらと照らすことで、そこに掘り込まれた名状し難き者たちの影が、まるで生きているかのように揺らめいた。
祭壇へと行くための道は私が入ってきた入口から続く一本の道だけで、そこだけは海水には没していなかった。
そこをまっすぐ進めば柱の内側に入ったところから階段になっていて、それを登っていくと祭壇へと辿り着けるようになっていた。
壁面の方へ目を凝らし注意深く見ていると、ここに来るまでに聞こえた水音の正体がわかった。
壁面の何か所かには小さな穴が開いていて、そこから水が流れ落ちていた。多分何らかの方法で海水を引き込み、そこから流しているんだろう。
思わず見とれていると突然祭壇の方から声をかけられた。
「やあ初めまして、勇敢なる侵入者殿」
「――!?」
そこには、黒いローブを身に纏い手には赤々と燃える松明を持った人物がいた。
顔はフードを深く被っているためによく見えないけど、その声から男だと判断出来る。
「こんな遺跡にいったい何の用だね?」
男はそう言うと、手にしていた松明を芝居がかった手つきで私の近くまで放り投げた。
地面に落ちた松明の火が、一面に掘り込まれた溝の海水が入っていない部分に入れられていた油に引火し部屋全体に炎の絵を描いた。
炎の明かりに照らされて創り出された影が揺らめき、水面に反射した光が一層神秘的な空間が作り出される。
広がった炎が暗闇とフードに隠されていた男の顔を照らし出す。
それは出撃前にリストで確認した男の顔と一致していた。
「……深瀬亮、お前の計画を阻止するために来た。もう諦めなさい」
そう言いながら私は〝旧神の石〟を掲げた。
黒いローブの男、深瀬亮は笑い声を上げながらゆっくりと祭壇から降りてきた。
「はっはっはっはっは、何とも勇ましい御嬢さんだ。何とかここまで辿り着いたようだが、しかしここまでだ。今更何をしようと手遅れだ」
「……すでに私の仲間たちが生贄を救出しているとしても?」
「――まさか!? ……いや、下手な脅しだ」
「……後は、この遺跡を破壊すれば!」
その言葉と同時にが動いた。
「――!? させるかっ!!」
それを見た深瀬も一歩遅れて動く。
『旧き神の加護を受けし霊石よ 光の槍を放ち、我が眼前の――』
私は祭壇の方へと〝旧神の石〟を向け呪文を唱える。それに応じるかのように石へと光が収束していく。
「遅い!!」
祭壇を下る階段のほどにいた深瀬は、尋常ならざる脚力でその階段を蹴ると一直線に方へと飛び掛かってきた。
直線距離で約一五メートル。
その距離をたった一歩で詰めると、左手を横なぎに振るった。
「――!?」
いきなりの攻撃に反応することが出来なかった。
深瀬の左手が私の右手に持っていた旧神の石を弾き落とす。
「甘いのだよっ!」
そして深瀬はそのまま勢いを殺すことなく右手の拳が私に向けて放たれる。
防御も回避も不可能な私の、無防備な腹部へと深瀬の拳が炸裂した。
「――っ!!」
銃弾すら通さない特殊ボディーアーマーの上からでも、その威力は相当なものだった。
それと同時に数メートルの距離を吹き飛ばされ、石造りの床へと満足に受け身も取れないまま背中から叩きつけられた。
「――!!」
猛烈な痛みと共に、叩きつけられた衝撃で肺から強制的に空気を奪われ、一瞬だけ視界が暗転する。
――深瀬が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「――っ」
片手で私の首元を掴み、そのまま持ち上げた。
苦痛と酸素不足で視界がぼやける。
「〝旧神の石〟か。なかなかいい考えだな。だがしかし、詰めが甘い。所詮は〝人間〟などその程度だ」
それでも、意識だけは確実に保っていた。。
「……詰めが甘いのは、お前の方だ!」
そう叫び、スタンガンを取り出しスイッチを入れた。そして、深瀬の腹部に勢いよく押し当てた。
身に纏ったローブや衣服の上からであっても百二十万ボルトの電圧はそれをものともせず、深瀬の腹部を襲う。
「っ? ぐっ!?」
深瀬はの手が私から離れた。そして少しよろめくとそのまま白目を向き仰向けに倒れた。
――完全に気絶している。しばらくの間は起き上がることもなさそうだ。
私が使用したスタンガンは、通常のそれと比べて電圧も電流も桁違いに高い特注品だ。
何しろ、小型のCCDに対してもある程度の効果があり、人間に対して使えば殺傷能力のある代物だ。
……深瀬亮、化け物じみたやつだったけど、これで少なくとも数時間は動けない。
何とか深瀬から解放された私は、殴られた腹部をさすりながら体勢を整えると、先ほど落とした〝旧神の石〟を拾いに行こうとした。
いくらレプリカとはいえ数には当然限りがある。なるべく無駄にはしたくない。
「……後はあれを使って祭壇を――っ!?」
――私の目の前で起こった現象は、極めて不条理だった。
深瀬が、再び立ち上がった。
「――うそ!? どうして!?」
あれを受けて立ち上がれる人間などいるはずがない。
根性論や鍛えれば何とかなるなどといった次元の問題じゃない。
相手が人間である以上、医学的に、理論的に、物理的に不可能なのに。
しかし、深瀬は再び立ち上がった。
「今の攻撃はなかなか効いたぞ。だが所詮は此処まで。それが〝人間〟の限界だ。その程度で私は殺せんよ、殺すつもりがない攻撃ならなおさらだ」
私は、思わず後すさった。
深瀬の放つ得体のしれない気配に圧倒されたのだ。彼はその瞳に、どこか嗜虐的な光を宿しているように感じた。
「貴様らは今まで多くの化け物どもを殺してきたのだろ? なら今更驚くことではあるまい。自分たち、〝人間〟の無力さと非力さは十分に理解しているはずだと思うがね。それとも、『人類の英知はあらゆる害悪を打ち払うことが可能だ』などと言って自らの力を過信していたのかね?」
私は答えない。
無言のまま深瀬のことを睨みつけ、もう一度スタンガンを構え直した。深瀬はそんな私の様子に構うこともなく、さらに話し続ける。
「……ふむ。とはいえ、どうやら先ほどの貴様の発言は脅しではなかったようだな。確かに力の流れが変わっている」
「……どうして、どうして立ち上がれる?!」
叫んだ。
受け入れがたい現実が、それによって生じた焦燥が、私のことを叫ばせた。
それに対して深瀬はとても面白そうに笑った。
「ふっふっふ。ん? 種明かしが欲しのか? いいだろう、ならば特別に見せてやろう、この私の真の姿を!」
そう言うと深瀬は身に纏っていたローブを勢いよく脱ぎ捨てた。
ローブの下はズボン以外のものを身に着けておらず、深瀬の素顔と上半身が露わになった。
「なっ!?」
深瀬がフードを深く被って顔を隠していた理由は、一目で明らかになった。
彼の顔には火傷の痕があった。
その火傷は広範囲に及ぶのもで、彼の顔の右半分を覆っていた。
火傷の痕は顔だけではなく全身にあり、この男が『過去に火災に巻き込まれたことがあるのではないか』ということは簡単に想像できた。
でも、私が真っ先に目を奪われたのは火傷の痕じゃない。
そもそも深瀬の体は火傷以前に、人間とはとても思えないような特徴を兼ね備えていた。
肌の色は青みがかった緑、しかもそれは皮膚の色じゃない。全身をびっしりと覆う鱗の色だ。
腹部には鱗はなく、そこだけが不自然に白くなっている。
長い両手にはよく見ると水かきのようなものがあった。
「やはり強靭な生命力を手に入れたとしても、過去に負った傷まではそうそう簡単に消せるものでは無いな」
そう言いながら深瀬は自分の体の火傷の痕をなぞった。
……そうだ、思い出した。
深瀬のその姿が何を示すものなのか、その答えが私の知識の中にあった。
その存在は、前にあの呪われた書物『死霊秘法』を北辺博士が訳したものを読んだときに確かに目にしている。
それだけじゃない。
様々な書物や報告書などの中にも散見される邪悪な存在。
人類と敵対する海底人。
海中深くに眠れる邪神を崇拝する奉仕種族。
「……〝深きもの(ディープワン)〟か!?」
私は深瀬のことを睨みつけながら叫んだ。
深瀬の外見的特徴は、決定的な判断要素となった。
間違いない。
見間違うはずがない。
〝深きもの〟と呼ばれる伝説の種族、それが深瀬の正体だ。
深瀬は私の反応に対して、嬉しそうに嗤った。
「ふっふっふ、知っているのか。流石はWFの局員といったところか」
深瀬は己の絶対的な優位を誇示するかのような態度で語りかけてきた。
「貴様も知っているだろ? 今からおよそ五年前に起きた日本最大規模のCCD関連事件、町一つを崩壊させたあの大火災を」
「……誰よりもよく知っているわ。私は誰よりもあの事件について知っている! だからこそ私は許さない、あの事件を引き起こしたお前たちを!!」
私の言葉は次第に怒りを込めた叫びへと変わっていった。
私は自分のことを、それほど感情的な人間じゃないと思ってる。そんな私が自分でも想像していなかったような、感情を表に出しそれを隠そうともしない、そんな口調で。
それに対して深瀬は、どこか芝居がかったような大げさな口調と身振りで自らの驚愕と狂喜を表した。
「――! なんという偶然だ! そうか、君もなのか! 君もあの事件を生き残った人間、奇跡の目撃者なのか!」
私は深瀬のそんな言葉に訝しみ、そしてある考えに至った。
……たしかに〝それ〟はありえないことじゃない。
でも、もし“そんなこと”があるのなら、それはとても性質の悪い運命の悪戯だ。
「……『きみ〝も〟』? ――まさかその火傷、お前もあの事件の」
「その通りだ。あの事件の生き残りだ。しかし、勘違いをしないでもらいたいものだな。私は確かに当時あの場所に居たし、あの事件を引き起こしたのは、間違いなく〝ダゴン教団〟だ。君は恐らく自分の大切なものの多くを奪ったあの事件の犯人である〝ダゴン教団〟を恨んでいるのだと思うが、その怒りを私に向けるのは筋違いというものだ。私はあの事件が起こったときは〝ダゴン教団〟とは無関係な一人の被害者であるのだからな」
「……それでも、お前は奴らと同類だ。それに、何故そのことを知りながらお前は今〝ダゴン教団〟に所属している!? 奴らはお前にとっても憎むべき存在のはずよ!」
「確かに私はあの事件ですべてを失った。財産を、家を、友を、そして愛する家族を。だがしかし、それと引き換えに得たものがある。――それがこの力だ。人間の数十倍という圧倒的な身体能力、外的要因以外では決して死ぬことのない絶対的な生命力、そして超常的な魔導の力! ……あの時私は〝ダゴン教団〟の司祭殿に命を救われた。司祭殿はその時私に対して言ったのだ。『この事件は私の意図するところではない。しかし教団の人間が起こしたことである以上、指導者である私にも責任がある。君が私たちを恨むかもしれないということを承知の上で、私から一つ頼みがある。私は君を助けたい。どうか私に君を救わせてくれ』とな。そして司祭殿はさらにこう言った。『君には才能がある。今はまだ眠ったままだが、しかし私はその力を開花させることが出来る。君のその力を使って私と共に教団を、否、世界を正しい方向に導いていこう』とな。そうして私は〝ダゴン教団〟に入った。そして、その時に得たのがこの力なのだ!!」
両手を広げ、天を仰ぐ深瀬の影が、神殿中を包む炎に包まれながら幽鬼のように揺らめいた。
その眼には狂気的な光が宿る。
「私はあの時初めて知ったのだ! 人知を超えた大いなる力の存在を! 何物をも凌駕する超越的な〝神〟の存在を!! そして目覚めたのだ、己の中に流れる〝神〟の血に! そして理解したのだ。無力なる〝人間〟の時代は近いうちに破綻し終焉を迎える! 大いなるものは目覚めやがて〝神〟の時代が訪れるのだ! 我々はその瞬間が訪れるのを僅かでも早めなければならない! それが、それこそが! 命あるものに与えられし使命! 魂有る者の運命なのだ!!」
そこまで語った深瀬は、私に対してふと思い出したように問いかけた。
「そういえば君もあの場所に居たそうじゃないか。だというのに何も感じなかったのか? あれだけの力を目の当たりにして、それでもなおそこに留まり続けるというのか?! 嘆かわし、なんと嘆かわしいことか!! それが、その行いが、そんな生き方がどれほど無意味なことか、まだ理解できていないのか?!」
「…………理解できない。あの場所に居たお前がなぜそんな風に考えられるのか、私にはまったく理解できない。あれは〝神〟の力なんかじゃないわ、ただの理不尽な暴力よ。お前は、自分が受けたその苦しみと同等のものを多くの人に与えようとしているのよ! なぜそのことが分からないの?! 分かっているなら、なぜそんなことが出来るの?!」
……わかっている、今の自分が口にした言葉が、理論でもなければ理性でもない、ただ感情に任せた言葉だってことぐらいは。それでも、今の私はそれを言わなければならないと、そう感じたのだ。
「――私は、君が〝理不尽な暴力〟と呼んだものによって己の使命と力に気付くことが出来たのだ。苦しみは答へと到達するために必要な代償でしかない。ましてや〝人間〟にとっての苦しみなど今の私にはどうでもよいことだ」
深瀬は私の言葉をあっさりと切り捨てた。
そしてどこか呆れたような口調で問い詰めてきた。
「圧倒的な〝神〟の力の前に、人がいかに無力な存在であるか、〝神〟にとっては人間など取るに足らない無意味な存在であるか、そんなことがまだわからないのか?! まさか〝神〟が人間を愛しているなどという下らない幻想に取りつかれているのではあるまいな?!」
深瀬はそこまで言うと私に対して背を向け、祭壇の方へと向き直った。
「〝父なるダゴン〟の血を引く者、〝深きもの〟の末裔たる我々こそが、新たなる時代の支配者のための尖兵に相応しいのだ! ――さて、お喋りの時間は此処までだ」
そう言うと深瀬は祭壇の方へ歩き始めた。
「行かせない!」
私がその手に握りしめていたスタンガンのスイッチを入れ、深瀬の背中へと向かって走り出した。
深瀬が振り返る。
「――ふっ、愚かな。その程度の武器で私を止められると思っているのか! 思い上がるなよ!! 人間風情が!!」
そう言うと私へと向けて右の手のひらを向けた。
「――!?」
「二度も同じ手は通用しない!」
そう深瀬が言った瞬間彼の手のひらから目に見えない〝何か〟が発射された。
その何かが勢いよく命中し、私は後方へと弾き飛ばされた。
「言っただろ、魔導の力を手に入れたと!!」
いきなりのことに驚きながらも受け身を取りつつ起き上がる。
その時、小型無線機に通信が入った。
『真理、現在こちらは信者たちの捕縛、および捕えられていた者達の保護に成功した。これより全員を連れて脱出する。そちらは現在どうなっている? 必要ならば何人か増援を――』
私は仲間からの通信に手短に答える。
「現在リーダーと接触、交戦中。可能ならば何人かこちらに回してほしい」
『――! 了解。ただちにそちらに向かわせる』
そして、祭壇へ向かう深瀬の背中を睨みつけながら言った。
「……お前の作戦は失敗した。じきに応援もくる、諦めて大人しくしてもらうわよ」
深瀬は祭壇へと向かっていた足を止めると、余裕たっぷりの様子で静かに振り返った。
「――ふん、この期に及んでまだ強がりを。確かに当初の計画は失敗した。素直に貴様たちの力を認めよう。だが、しかし、その程度では足りない!! まだ計画は継続可能なのだよ! 神の血を引くこの私が、〝深きもの〟たるこの私が、ただ一人この場に居るという事実だけでな!! この体に未練はあるが、しかしいずれは神に還すべきもの。所詮肉体など入れ物に過ぎぬ」
そう言って深瀬はもう一度私の方へと右手のひらを向けた。深瀬の右手のひらへと空気中の魔力が収束していく。
「君の方こそ、そこで大人しく見ていたまえ、今一度この世に我らの神が降り立つ瞬間を」
深瀬がそう言った瞬間、右手のひらに収束していた魔力が今度は連続していくつも放たれた。
でも、今度は不意打ちじゃない。対策は出来る。
素早く左手で空中に五芒星を描きながら、早口で呪文を唱える。
『旧き神の印よ 絶対の盾となりて 邪悪なるものの手から我を守りたまえ!』
次の瞬間、呪文に応じるかのように私の前に黄金の光を放つ五芒星が現れ、深瀬が放った攻撃を受け止めた。
もっとも〝盾〟の強度が無限というわけじゃない。
連続して放たれる攻撃を受け止め続けた私の〝盾〟は、その強度が限界を迎え最後の一撃を受け止めると同時に爆散する。
「……やっぱり〝石〟が無いとこれぐらいが限界か」
そう呟きながら深瀬の方を再び見つめ直す。
深瀬はさっきの場所にはもういなかった。
攻撃を放つと同時に後方へと跳び、たった一歩の跳躍によって神殿の祭壇の上へと昇っていた。
そして私のことを見下ろしながら高らかに叫んだ。
「我が肉体を贄として捧げ、現れた神に我が精神を宿すことによって我こそが〝神〟となる。そこで見ているがいい! 新たなる〝神〟がこの世界に誕生する瞬間を!!」
その叫びと同時に、神殿中の炎が猛り狂い、今までよりも一層強く燃え盛った。
張り巡らせられた海水が、奇妙な光彩を放ち始める。
神殿中が振動を始め、祭壇の周囲にある十二本の柱から内側へ、外側へと光の筋を放ちながら奇妙な幾何学模様を描き始める。
そして、祭壇を中心として内側から外側へと、何かを押し出すような力を伴った光が発生し、私が近づくことを許さなかった。
神殿中のそんな変化に応じるかのように、祭壇の中央に立った深瀬が大声で、しかし怒鳴るようにでもなければ、叫ぶようにでもなく、おおよそ〝人間〟の発音器官からは発することが出来ないような奇妙で耳障りな、禁忌の祝詞を上げはじめた。
『我は願う 偉大なる神の帰還を 我は捧ぐ 我が全てを 我が記憶は大いなる母に 我が生命は大いなる父に 我が精神は大いなる神に捧げる 我が肉は泥 我が骨は岩 我が血は水 その全てを万象の原初たる大いなる海原の底に還そう 我は海 我は星 偉大なる父の欠片 偉大なる母の欠片 大いなる神の欠片 我に与えられし全てを 今日、この時、この瞬間に偉大なる父の下に還そう 偉大なるもの〝父なるダゴン〟よ 今こそ我が願いを聞き入れ、その姿を現世へと顕在させ給え イア! イア! ダゴン! イア! イア! ダゴン!!』
その最後の言葉が奏でられた瞬間、神殿中を覆う異変はさらに強くなった。
神殿中の炎がさらに大きくなり、海水から放たれる光はその強さを増していく。
振動はさらに激しくなり、今にもこの神殿が崩れてしまうんじゃないかという勢いになった。
祭壇から放たれる光はさらに反発力を増し、私は抵抗も虚しく入り口付近の壁へと吹き飛ばされ身動きが出来なくなる。
そんな混沌とした空間の中に深瀬の悲鳴とも、叫び声とも、笑い声ともつかない声だけが響き渡る。
私はふと自分の足元を見た。そこには、さきほど深瀬に弾き飛ばされた〝旧神の石〟が落ちていた。
……まだ、出来る筈だ。
これが、最後のチャンス。
力を振り絞り足元に落ちていた〝旧神の石〟を拾う。そして、
『旧き神の加護を受けし霊石よ その力を持って我が眼前の邪悪を打ち払いたまえ!!』
そう唱え、渾身の力で深瀬の起つ祭壇へと向かって投げつけた。
私の手から離れた〝旧神の石〟は急速に周囲の魔力を収束させながら、黄金に輝く〝光の槍〟へと変化した。そして、一直線に高速で飛ぶと深瀬の足元、彼が立つ祭壇へと突き刺さった。
次の瞬間、神殿中に起こっていた異変が収まり始めた。
「……よし、これで――――!?」
私は勝利を確信した。
――しかし、次の瞬間、神殿へと突き刺さっていた〝光の槍〟が粉々に砕け散った。
神殿を覆う異変がさらに激しくなっていく。
深瀬の声が響き渡る。
「最後の足掻きも無駄に終わったようだな。では、永遠のさよならだ、愚かなる人間よ!!」
深瀬が立っていた足元の祭壇が砕け、そこから眩い閃光が放たれると深瀬のことを一瞬にして包み込んだ。
祭壇を取り囲んでいた十二本の柱からも天井へ向けて眩い閃光が放たれる。
その神々しい光景に思わず目を奪われていると、私は自分の足元、遺跡の最下層に居る筈の自分よりも、さらに深いところから何か禍々しい気配が上がってくるのを感じた。
――!?
まさか、これは五年前の、あの時と同じ――――。
――その姿がこの世に現れたのは僅かに瞬きをする間のことだった。
しかしその姿を、その声を私は確かに聴いていた。
それは獣の声。
それは悪魔の影。
それは魔人の咆哮。
それの爪と、牙と、浮かび上がった禁断の紋章と、それの姿を象徴する輝く鱗。
そして次の瞬間に訪れた炎――。
「真理!」
突然後ろから声をかけられ、我に返った。
応援の部隊が到着したのだ。
しかし少し遅かった。
……いや、早く来てくれてもで結果は同じか。
「これは、いったい――」
そう言ったまま言葉を失った応援部隊のひとりに対して私は弁明の声をかけると、神殿の入り口から何とか這い出た。
どうやら神殿の外にはあの力は作用していないようだ。
「……すみません、儀式の阻止に失敗しました。詳しいことは後で話しますが今はここから脱出することが先です」
そして今度は小型無線機を取り出すと先ほどの攻防で壊れていないことを確認してから、指令室へとつないだ。
「指令室、こちらは突入部隊リーダー久藤真理。申し訳ありません、儀式の阻止に失敗しました。至急をこちらによこしてください。それから周辺住民の避難誘導と防御壁の展開を。奴は本気で〝邪神〟を呼ぶつもりです!」
×××
深瀬の足元から名状し難き光と共に無数の触手のようなものが現れた。
神殿の地下に繋がれた空間から現れた〝邪神〟の一部だ。
触手は深瀬の体に絡みつくと、次の瞬間彼のことを取り込んだ。
彼の体は神殿の地下から現れた無数の触手の中に消えてなくなった。
触手は猛烈な勢いでその数を増やしながら、神殿の天井を目指して伸びていく。祭壇のあった場所にあった穴から出現した触手はその数と大きさを瞬く間に、とてつもないものに変え、ついにその神殿を崩壊させた。
地下に物理的空間が存在する必要は無い。
必要なのは次元を繋ぐための角度と、祝福の唄、そして実体を保つための供物。
その三つの条件さえそろえば〝彼等〟は次元の彼方より、数多の時間と星々を超えこの次元に召喚される。
〝彼等〟に善悪は無い。
それは無知なる人間が〝超越的存在〟たる〝彼等〟を理解する為につけた記号に過ぎない。
〝彼等〟は地球の法則に従わない。
〝彼等〟は人が縛られている枷に囚われない。
〝彼等〟は〝彼等〟の法則に従って行動し、〝彼等〟の法則に従って殺戮し、〝彼等〟の法則に従って蹂躙し、〝彼等〟の法則にしたがって虐殺する。
〝彼等〟は遥かなる古の時代より畏れられ、崇められ、そしてそれ故に人類は、禁忌なる存在として〝彼等〟が実在するという証拠の一切を抹消しようとした。
〝彼等〟はかつてこの世界を支配した者であり、また後の世界でも支配するものであるとして、自らのことを〝旧支配者〟と呼ばせた。
しかし、人は知っている。
〝彼等〟の無慈悲さと、理解し難さを。
その力は人にとっては〝彼等〟の力の行使は〝支配〟ですらない。
ただひたすらに理不尽にして〝邪〟なる力。
いつしか人は、〝彼等〟を〝邪神〟と呼んだ。