第5話
アラームが鳴る前に、目が覚めた。
天井を見る。
見慣れた染みが、いつもの位置にある。体は軽い。
昨日のフルダイブの疲れは、思ったより残っていなかった。
『おはようございます、マスター。起床予定時刻まで残り四分です』
「もう起きてるよ」
『確認しました。本日の予定はMTGが一件、十時からです』
ベッドから起き上がり、顔を洗う。
鏡の中の自分は普通だった。昨日と変わらない。
ただ、どこかが違う気がした。
何が、とは言えない。
ゲームの中で動いた感覚が、まだ体のどこかに残っているような。フルダイブというのはそういうものなのかもしれない。
「朝ごはん、何かある?」
『冷蔵庫に昨日の残りがあります。温めますか』
「まぁ今から作るのもアレだし、それでいっか」
食べながら、ぼんやりと昨日のことを思い返した。
エクスが消える前に言っていた。また明日っ、と。
妙に現実感のある別れ方だった。
ゲームの中のNPCに、現実感、という言葉を使うのも変な話だが。
MTGは十時ちょうどに始まって、一時間で終わった。
内容はいつも通りで、特に印象には残らなかった。
画面を閉じてから、少しだけ考える。
明後日からの一週間、予定はない。マキナが空けてくれた時間だ。
『先ほどエクスよりメッセージが来ておりました。』
「エクスから?」
最近のゲームはゲーム外にもメッセージを送ってくるのか。サボったり、ゲーム内の約束を破ると怒られそうだ。
「エクスからのメッセージってどんな内容?」
『いつ来るのー?先に待機して待ってるねー、とのことです。』
「気が早いな。まだ11時だぞ?昼過ぎって言っておいたのに」
『そうですね』
返答が短かった。
マキナがこういう返し方をする時は、大抵何か考えている。聞いても教えてくれないことの方が多いので、真木は特に追わなかった。
「じゃあ入ってくる。諸々よろしく」
『承知しました。楽しんできてください』
ゴーグルを装着して、ベッドに横になる。
視界が暗くなる。意識が沈んでいく。
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目を開けた瞬間から、ここに最初からいたような感覚になる。どこにも違和感がない。フルダイブというのはそういうものらしいが、何度経験しても不思議だった。
「遅い!」
振り返ると、エクスが腕を組んで立っていた。
「私ずっと待ってたんですけど」
「逆にエクスが早すぎるんですよ。昼過ぎって伝えたじゃないですか」
「だって楽しみだったんだもの。待ってる時間も楽しみの醍醐味だけど待たせすぎ!」
これだから女性は難しい。ゲームの世界で良かったとも思う。
「今日どこ行くか、決めた?」
「考えてはいたんですけど、何かおすすめとかあります?各国の情報がまだ足らなくて」
「んー」
「まず人間の国はなんか色々ごちゃごちゃしてて面倒くさい。利権とか商売とか、そういうのが多いから最初に行くと疲れるかも」
「なるほど」
「獣の国はとにかく体力いる。あそこは強さが全部だから、実力が足りないと話も聞いてもらえない感じがある」
「それはちょっとハードル高いですね」
「絡繰の国は……うーん」
エクスがわずかに間を置いた。
「なんか、最初に行くとこじゃないかな。あそこは独特すぎる」
「……独特?」
「うん。良い意味でも悪い意味でも」
それ以上の説明はなかった。あまり話したいわけじゃなさそうだ。
「エルフのとこは初心者向けだよ!」
明るい声でそう言ってから、エクスが一瞬だけ口を閉じた。
何かを言いかけて、やめたような間だった。
「……居心地はいいと思う。たぶん」
「たぶん」
「行ってみれば分かるよ。近くまでなら転移できるから案内するよ」
本当に色々できるなこの人。近くまで案内してくれるなら願ってもない。
「お願いできますか?」
「まっかせなさーい!」
エクスが転移の操作をする間、木になる、といわれる種が埋められている場所を眺める。
せっかくのエクストラクエストだ。木になるまではゲームを続けよう。まぁ今他にやりたいゲームもないけど。
「準備いい?」
「はい。お願いします」
「じゃあ行くよー!」
視界が一瞬白くなった。
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足元が変わった。先ほどまでの庭園の床ではなく、土の道だった。
木が多い。道の両脇から枝が伸びていて、頭上で絡み合っている。まだ森の中ではないが、その手前という感じだった。遠くに建物らしき影が見える。
「ここから歩くんですか」
「そう。行ったことない場所の中には一緒に飛べないから」
道を進む。踏み固められた土の感触が足に伝わってくる。風が木の間を抜ける音がする。ルアンの石畳とは全然違う。
進んでいくと人とすれ違った。おそらく耳がとんがっているのでエルフだと思う。こちらをちらりと見て、また前を向く。
しばらく歩くと、木が密になってきた。道が森の中に溶け込んでいく。
「エルフって長命なんでしたっけ」
「そう。めちゃくちゃ長生き。だから時間の感覚が私たちと全然違うんだよね」
「話しやすいですか」
「慣れれば、かな」
つまり慣れないと難しいのか。漫画とかに出てくる偏屈な人なのかな?
「そういえば、スキルって確認した?」
「まだちゃんと見てなくて」
「開いてみて。たぶん一個くらいは持ってるはず」
歩きながらウィンドウを操作する。スキル欄に一つだけ表示があった。
【瞬歩】
一瞬だけ踏み込み速度を上げる。消費MP:5
「……これ、弱くないですか?」
「まぁ……威力は弱いかな」
「ですよねぇ」
「でも使い方があるんだよね」
エクスが少し歩調を落とした。
「踏み込みのタイミングで使うと、相手の意識が一瞬ずれる。攻撃に使うんじゃなくて、間を作るための技。あとは逃げる時にも使えるし、位置を入れ替えるのにも使える」
「威力じゃなくて動きのためのスキル、ってことですか」
「そう。戦闘って、強い技を当てるより、当てられる状況を作る方が大事だったりするから」
なるほど、と思った。
ゲームで弱いスキルに使い道があるのは、わりとよくある話だ。
「試してみます」
「うん。それなら試す機会が来たみたいだよ?」
エクスが足を止めた。
低い、唸るような声がした。
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木の陰から、魔物が姿を現した。
ルアンの草原で見たものとは別の種類だった。四足で体が大きく、肩の高さが真木の胸あたりまである。毛が逆立っていて、首のあたりに古い傷跡がいくつもある。目が赤く光っていた。
その周辺に、人が二人倒れている。
揃いの装備をしたエルフだとわかった。傍らに剣が落ちている。胸は動いているが、もう立てなさそうだ。
その奥に……守られるようにもう一人いる。
着飾っており、倒れた二人とは明らかに違う。刺繍の入った衣をまとい、髪に細工の施された飾りをつけている。残った護衛が一人、その前に立ちふさがっていた。剣を構えているが、腕が震えていた。
魔物は護衛を無視して、奥の一人を見ていた。
突然視界の端にウィンドウが浮かんできた。
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SUB QUEST
森の番人
救うか救わないか、貴方次第だ
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「どうする?」
「行きます」
クエストに参加せず何がゲーマーだ。
剣を抜きながら前に出る。
魔物の視線がこちらに向いた。赤い目が真木を捉える。奥の一人への興味が、すっと消えた。
残っていた護衛がこちらをちらりと見た。何かを言いかけて、黙った。勝てないとでも思ってるのだろう。
(大きい。草原の小型とは全然違う)
距離を詰める。
魔物が低く唸りながら、地面を蹴った。踏み込みが思ったよりも速い。草原の小型とは比べ物にならない重さと速さで、反射的に後退しようとした瞬間、横から何かが飛び込んできた。
エクスだ。
魔物の側面に回り込んで、軽く蹴りを入れる。大したダメージではないが、それで十分だった。魔物の意識が一瞬そちらに向いた。
「今!」
頭よりも体が先に動いた。【瞬歩】で横に跳んで懐に入り、剣を振る。確かな手応えがあった。魔物が怯んで後退する。
「離れて!」
エクスの声で下がると同時に、魔物が向き直って今度はエクスを狙った。エクスはひらりと躱して、また横に流す。引きつけて、圧をかけて、また引きつける。真木が攻める時は注意を持っていき、真木が下がる時は逃がさない。その連携を信じて前に出た。
再度踏み込んでくる。剣で受けると腕に重い衝撃が走り、弾かれそうになるのをこらえた。力では押し返せない。体格が違いすぎる。
流す方向に切り替えた瞬間、もう一度爪がふられる。今度は下から上へ。
焦りながら【瞬歩】で後ろに下がるが爪が服を掠めていった。当たってはいない、だが思ったよりHPが削られていた。
距離を取って、息を整えるが魔物はじりじりと近づいてくる。隙がなく、こちらの動きを待っている。さっきの瞬歩を見て、次の対策を考えているような動きだった。
このままじゃ消耗してしまう、でも下手に動けば読まれる。どうすれば、と頭が回り始めた時、エクスが音もなく魔物の死角へ回り込んでいた。そのまま立ち止まって、何かを小さく口にしたように見えた。息を吐くような短さだった。
次の踏み込みが来たがさっきより、わずかに遅かった。
これならいける。
【瞬歩】で懐に入り剣を深く差し込む。エクスが攻めていた箇所だったようで先ほどよりも剣が入りやすかった。魔物の動きがぴたりと止まり、赤い光が揺れて、ゆっくりと消えていく。もう一撃、深く、魔物が崩れ落ちて光の粒子になって静かに消えていった。
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SUB QUEST COMPLETE
森の番人
はじまりは、いつも偶然の形をしている。
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息を整えながら、その場に立っていた。
手が少し震えている。達成感なのか、緊張が解けたのか、よくわからない。ただ、悪くない感覚だった。
難しかった、本当に……。
あの最後の一手が合わなければ、どうなっていたかわからない。でも楽しかった。
突如いつもとは違うファンファーレがなりウィンドウが目の前に開かれた。
〈STATUS〉
真木 Lv.4
HP 185/230
MP 95/115
STR 24
AGI 31
INT 18
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【forest's axis】
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「……なんだこれ」
レベルが上がっているのは理解できたが1箇所おかしい。数値もない、説明もない、他の項目と並びが違う。バグにしては表示が綺麗すぎる。
しばらく眺めてから、ウィンドウを閉じた。
今はこの戦闘の喜びを感じていたかった。
「やるじゃん」
エクスが隣に来ていた。
「最後のやつ、自分で気づいたの?」
「なんとなくです。今しかないっ!みたいな感じです」
「なるほどね。センスあるじゃん。」
特に返す言葉が思い浮かばなかった。褒められ慣れていないわけではないが、なんとなく素直に受け取れなかった。




