聖女サクラの訪問
サクラはレオノーレとディートハルトが乗る馬車のほうへと駆けてくる。
「あいつ、なんの用事なの?」
「わかりませんわ」
ディートヘルムと仲良く旅行に出かけていたのに、なぜサクラだけ戻ってきたのか。
本人に事情を聞かない限り、わからないだろう。
レオノーレが馬車の扉へ手を伸ばしたら、ディートハルトが制止する。
「ねえ、なんであいつのところに行くの?」
「だって、あなたは応対できないでしょう?」
ディートハルトの存在を、サクラは知らない。このまま出て行ったら、余計に話がこじれるだろう。
レオノーレが出て行き、事情を聞くのが最善なのだ。
だが、このままサクラのもとにいったら、ディートハルトは不機嫌になる。
しばしサクラには待ってもらうとして、レオノーレはディートハルトのほうを見て訴える。
「ディートハルト、サクラは異世界から強制的に召喚した客人。召喚して呼び寄せるという行為は、サクラから見れば誘拐されたようなもの。それは、理解できますね」
ディートハルトはこっくりと頷く。
サクラは望んでこの国にいるわけではない。だから、最大限の敬意を持って接しないといけないのだ。
だから、サクラを「あいつ」なんて呼んではいけない。
助けを求めているようだったら、手を差し伸べる必要がある。
「そもそも、なんで聖女はここにきたの?」
「おそらくですが、彼女はきっと、わたくしがここに滞在していると聞いて、やってきたのでしょう」
「なんで?」
「さあ、それは本人に聞いてみないとわからないのですが」
そう返すと、ディートハルトは途端に眉間に皺を寄せる。
「ディートハルトは、わたくしがいない世界に無理矢理連れてこられて、いいように利用されていたとしたら、どう思いますか?」
「腹が立つ」
「でしょう? サクラは今、そのような状況なのです。だから、わたくし達は可能な限り、彼女を助けなければなりません」
そして今、応対できるのはレオノーレだけ。だからしばし、サクラのほうを優先する。それでいいだろうかと、ディートハルトに尋ねた。
「……わかった。でも、すぐに戻ってきてよ」
「もちろんです」
理解してくれたので、ひとまず胸をなで下ろす。
だが、ディートハルトは心の奥底では納得していないのだろう。レオノーレをジロリと睨みつけるように見つめていた。
「顔を見られないように、頭巾を被っていてくださいね」
そう言って、ディートハルトの外套の頭巾を被せた。
そして、接近ついでに頬にキスをする。
思いがけない行動だったのだろう。ディートハルトは目を丸くしていた。
軽いスキンシップのつもりであったが、たいそう驚かれてしまったのだ。
だんだんと、レオノーレまで恥ずかしくなる。
「ここで、大人しくしていてください」
小さな子に言い聞かせるような言葉だったが、羞恥を押し隠すために早口になってしまった。
馬車から下りると、外で待っていたサクラと目が合う。
この寒空の下、異世界から着てきた制服姿で彼女はいた。短いスカートに、生足が覗く。とても寒そうだった。
「レオノーレ!!」
駆けてきたサクラは、レオノーレに抱きついた。
これまでこのような接触をした覚えがないので、戸惑ってしまう。
「何か、あったのですか?」
「ディートヘルムが、ディートヘルムが――!」
まさか、旅先で何かトラブルに巻き込まれたのか。
ふたりだけの旅を楽しみたいと言って、護衛は必要最低限だったという。
国の王太子が倒れるというのは、あってはならないことだ。
「落ち着いてくださいませ」
「だって、だってえ、ディートヘルムったら、部屋に女の人を連れ込んでえっちなことをしていたんだもん!!」
「えっちなこと、ですか?」
「そう! 許せなくって、喧嘩して、帰ってきたの!」
〝えっちなこと〟とはいったいどんな行為なのか。レオノーレは明後日の方向を向き、しばし考える。
サクラの咎めるような言葉と、女性を連れ込んでいたという点から察するに、えっちなことというのは、いかがわしい行為を示すのだろう。
さすがのレオノーレも、動揺してしまう。
「えーっと、その、ディートヘルム殿下は、旅行先の部屋に、春を売る女性を招いたと?」
「春を売る? 何それ?」
レオノーレは眉間に皺を寄せ、こめかみを揉む。
サクラはこの世界に召喚されたさい、言語がこの国の言葉に翻訳する祝福を得ていた。しかしながら、そのすべてが正確に翻訳されるわけではない。
サクラが言うえっちも、レオノーレが言う春を売るも、互いにわかりやすいように翻訳してくれたらいいのにと思う。
「春を売るというのは、性交を商売とすることでして」
「あー、そう、それ! 私、無理なの。商売でも、他の女の人とえっちをするのは」
「そ、そうだったのですね」
サクラの世界では、春を売る女を買うことも浮気に相当するらしい。許される行為ではないと。
「サクラ様の世界では、夫婦や恋人は愛を重んじ、伴侶に対して一途であることをよしとしているのですね」
「この世界は違うの?」
「はい」
身分があればあるほど、結婚には政治的な要素が濃くなる。そこに、愛はない。
跡取りである子どもができたら、二度と夜を共にしない夫婦もいるくらいだ。
「ですので、この国の身分ある人々は、ごくごく当たり前に春を買います」
「え……なんか、そういうの、嫌だ」
レオノーレはこれまで、ディートヘルムのために春を売る女性をあてがっていた。最初は本人が望んでいたし、気まぐれに手を出されてはかなわないと思っていたからだ。
だから、今回の話を聞いても何も思わなかった。
しかし、サクラにとっては絶対に許せない行為であったようだ。
「もしかして、これから先、ディートヘルムが他の女の人を連れ込んでいるのを、黙認しないといけないの?」
「それは、そうですね」
「そんな……!」
サクラの瞳から、ポタリ、ポタリと涙が零れる。
気の毒な娘だと、レオノーレは同情した。
「最近、ディートヘルムが、よく、わからないの。甘い顔をしていたかと思えば厳しくなったり、何もしなくてもいいと言っていたのに、未来の王太子妃であるという自覚はあるのかと怒り出したり」
サクラの言葉を聞いたレオノーレは、眉間の皺をよりいっそう深くする。
おそらく、甘い顔をしていたのはディートヘルムで、厳しい態度を示していたのはディートハルトなのだろう。
言動や行動をなるべくディートヘルムに合わせるように言っていたが、相手は気まぐれなディートハルトである。機嫌が悪かったら、自分勝手な態度を取ってしまう。
特に、サクラに対しては慎重な態度でいなければいけないのに、ディートヘルムを演じ切れていなかったみたいだ。
「もう、ディートヘルムの傍に居続けるのは無理だから、レオノーレのところに行こうと思って」
「それは、なぜ?」
これまで、サクラに優しくしたり、味方につくような発言をしたりと、気に入られる行動や言動は取っていなかった。それなのに、サクラはレオノーレのもとへやってきた。
「だって、お城の人達は、ディートヘルムがいないと、冷たくなるの。最初から、信じていなかったんだ」
ディートヘルムの前ではサクラを聖女様ともてはやしていたが、いなくなった途端に態度を変える者がいたという。
「新しい侍女の、アーレントだってそう。私を、心の中ではバカにしているように見ていた。でも、レオノーレ、あなたは、ディートヘルムがいようがいまいが、態度は同じだったの。それにあなたならば、私の気持ちをわかってくれると思って」
同じディートヘルムに虐げられた者同士、仲良くしろと言いたいのか。
レオノーレは呆れきってしまう。
何か言い返そうか。そう思った瞬間、馬車の扉が音を立てて開く。
蝶番が外れ、扉は弧を描いて飛んで行った。
何事かと思い、背後にある馬車を振り返った。
頭巾を深く被ったディートハルトが、馬車から下りてくる。
「あんた、何バカなこと言ってんの?」
「だ、誰!?」
「俺はディー」
「彼は、ハルよ!! ハル・ディー!!」
レオノーレは咄嗟に思いついた偽名を叫ぶ。
ディートハルトは「何を言っているんだ」という視線をレオノーレに向けていた。同じように、「何をしているんだ」という視線を返した。
「彼は、わたくしと、契約していますの。ちょっと乱暴者だけれど、いい子ですわ」
「そ、そうなんだ」
サクラに気づかれないように、ディートハルトの背中を撫でて落ち着かせる。
気分は猛獣使いであった。
「ここは寒いので、中で話しましょう」
サクラを誘おうとしたが、ディートハルトは不服そうにしていた。
このまま離宮にサクラを連れて行ったら、不満が爆発するだろう。
レオノーレはディートハルトの耳元で、そっと囁く。
「お気に召さないのであれば、わたくしはサクラと別の場所に行きますので」
「は? なんでそんなこと言うの?」
「だって、サクラを離宮にお招きするのは嫌なのでしょう?」
「嫌だけど、レオノーレが出て行くのはもっと嫌だ」
「でしたら、サクラ様をご案内しますね」
「好きにしたら」
許可が下りたので、レオノーレはサクラを離宮に案内した。
サクラはキョロキョロと、離宮の庭を眺めていた。冬であるが、美しい花々が咲き誇っている。
「この離宮は、レオノーレに与えられたものなの?」
「いいえ、わたくしはここの主ではありません」
「だったら、誰の物なの?」
「それは――秘密です」
「そっか」
サクラはそれ以上追求せず、再び景色を楽しんでいるようだった。
そんな彼女を、狐獣人の使用人ヴィリが迎える。
「お帰りなさいま――」
「わー、狐耳だ! 尻尾もある!」
獣人が珍しいのだろう。サクラははしゃいでいた。
「触ってみますか?」
「え、いいの?」
「どうぞ」
年若い娘に触れられて、ヴィリは嬉しそうだった。
レオノーレは呆れつつも、サクラにヴィリ以外の獣人にはしないようにと諫めておく。
ディートハルトはサクラに聞こえないように、ボソリと呟いた。
「俺、あいつ、大嫌いなのに」
「ディートハルト、しばし我慢してくださいませ」
「我慢するから、さっきみたいに、ハルって呼んで」
どうやら、レオノーレが咄嗟に思いついた名を気に入ったらしい。改めて求められると、恥ずかしくなってしまう。
「あいつがいるの、我慢するから」
「わ、わかりました」
レオノーレは恥ずかしい気持ちに耐えながら、「ハル」と呼びかけた。
珍しく、ディートハルトは嬉しそうに微笑む。
それを見たレオノーレは、きゅんとときめいてしまった。
これではいけない。
頬をパチンと叩き、気分を入れ替えてからサクラのもとへと向かった。




