魔石獣
魔石獣はスタンピードの原因にもなった、危険生物だ。一時期、貴族の間で飼育がブームとなっていたが、今は取り引きが禁止されている。
魔石獣の危険性は、それだけではない。成長するにつれて獰猛になり、飼い主に噛みつくこともあるのだ。
捨てられて野生化した魔石獣に襲われ、怪我を負ったという話はいくつも報告が上がっていた。
「うさちゃんだ! わー、かわいい!」
「サクラ様、なりません!!」
魔石獣に触れようとしたサクラの手を、叩き落とす。
瞬時に、ディートヘルムが叫んだ。
「無礼者!! サクラに何をするのだ!!」
レオノーレも負けじと叫んだ。
「愛らしい見た目をしておりますが、魔石獣はスタンピードの原因にもなった危険生物ですわ! 犬や猫のように、気軽に触れるべき生き物ではありません!」
「これは、〝安全〟だという個体を、手に入れてきたのだ」
「魔石獣に安全なんてものはありませんわ」
レオノーレとディートヘルムが言い合いをしているうちに、サクラは魔石獣を鳥かごから出してしまった。
「サクラ様!!」
魔石獣の瞳は赤く光り、サクラに牙を剥く。
「きゃーーーー!!!!」
魔石獣はサクラの手の甲に、がぶりと噛みついていた。
すぐさまレオノーレは駆け寄って、魔石獣の額の魔石を拳で叩く。
魔石獣にとって、魔石は剥き出しとなった心臓のようなもの。弱点なのだ。
耳を握ってサクラから引き剥がす。そして、鳥かごの中へ戻した。
血を流すサクラへは、回復魔法を施してあげた。
「――祝福よ、不調の因果を癒やしませ」
傷はきれいさっぱり塞がった。ホッと胸をなで下ろす。
レオノーレはゆったりと、ディートヘルムを振り返った。
まさか、サクラに噛みつくとは想像もしていなかったのだろう。顔色は青ざめていた。
「これで、魔石獣の危険性が理解できたでしょう?」
「凶暴な、個体だったのかもしれん。わ、私は、悪くない……!」
間違いを認めず、サクラを心配する様子もなく。保身の言葉を口にしたディートヘルムに対し、ため息が零れる。
サクラは怯えきっているようだったので、バールケ伯爵夫人に私室へ連れて行くように命じた。
ディートヘルムとふたりきりとなった部屋で、さてどうしようかと考える。
「お、おい」
「なんでしょう?」
「その魔石獣を、処分しろ」
「なぜ、わたくしが?」
「魔石獣に、詳しいのだろう? 自慢げに語っていたではないか」
返す言葉もなく、深く長いため息だけが零れた。どこをどう捉えたら、そういうことになるのか。
呆れるくらい、ディートヘルムは頭の働きが鈍い。レオノーレはしみじみ思ってしまう。
このままディートヘルムが国王となれば、国は絶対に凋落する。
かといって、母親が異国の姫君だった王弟バルドゥルが、即位するわけにもいかないだろう。
もっともいいのは、ディートハルトが国王となること。気まぐれではあるものの、レオノーレが操縦すればいいのだ。
理想的な国王も、演技でどうにかなるだろう。それらは、輝かしい未来のように思えてならない。実現は不可能であるが。
と、現実逃避している場合ではなかった。
「魔石獣については、専門の研究機関がございます。そちらに、処分を命じてくださいませ」
「断る」
「なんですって?」
「だから、断ると言っている」
あとは任せた。ディートヘルムはそう言って、部屋から去っていった。
レオノーレと魔石獣だけが、取り残される。
「なんて面倒な事態に……」
ぼやきつつ、レオノーレは魔石獣が入った鳥かごを掴み、研究機関に持って行くこととなった。
◇◇◇
魔石獣研究局――それは、最近新設された研究機関であった。
スタンピードの原因となった魔石獣を捕獲し、処分するのも担っている。
レオノーレがやってくると、顔見知りの研究員が小走りでやってきた。
「お久しぶりです、レオノーレさん」
「エルマーも、元気そうですわね」
「おかげさまで」
エルマーは御年七十一歳になる、新人研究員である。もともと個人的に幻獣の研究をしていたようだが、スタンピードの騒動をきっかけに研究員となった人物だ。
「どうかなさったのですか?」
「魔石獣の処分をお願いしたくて」
「な、なんと!」
事情をかいつまんで話す。エルマーは目を丸くしていた。
「あの、それでこちらが、ディートヘルム殿下が用意した魔石獣なのですが」
鳥かごに被せていた布を、取り払う。
魔石獣を目の当たりにしたエルマーは、ギョッとした。
「どうかなさいましたの?」
「こ、こちらは、人工的に作られた魔石獣ではございません。本物の幻獣、魔石獣でございます!」
「な、なんですって!?」
魔石獣は絶滅したと言われている。それなのに、存在したのだ。
「どうして、こちらが本物の魔石獣だとわかりましたの?」
「額の魔石の輝きと薄紅色の美しい毛並みから、本物だと判断しました」
人工の魔石獣は、茶色か黒、白の毛並みしかいなかった。この魔石獣のように、なめらかな薄紅色の毛色を見るのはレオノーレも初めてである。
額の魔石も、これまで見かけたものはくすんだ色合いばかりだった。このように、澄んだ輝きを持つ魔石を見るのは初めてである。
エルマーの言う通り、本物の魔石獣なのだろう。
「この魔石獣が本物であるというのは、理解できましたわ。ひとまず、保護をお願いいたします」
「申し訳ありませんがレオノーレ様。こちらでお預かりはできかねます」
「それは、なぜ?」
「ここで保護しても、研究の素材として扱われます。それはあまりにも可哀想だと思いませんか?」
「でも、この魔石獣はどうしたらいいのでしょう」
「野性に返しても、長くは生きられないでしょう」
「ええ」
ここで、エルマーがとんでもない提案をした。
「いっそのこと、レオノーレ様が引き取るのはいかがかなと」
「わたくしが、魔石獣を?」
「はい。他に、適任者はいないと思います」
「いや、それは、どうでしょう……」
「それに、レオノーレ様に引き取られたほうが、その魔石獣も幸せでしょう。懐いているようですし」
「懐い――え!?」
鳥かごの中の魔石獣が、うっとりした表情でレオノーレに寄り添っていた。先ほど、乱暴な手つきで扱ったにもかかわらず、この態度は何なのか。謎である。
「レオノーレ様、幻獣との契約は、ご存じですか?」
「一度、本で読んだばかりですが……」
幻獣との契約は、三種類ある。
もっとも手っ取り早いのは、〝名付け〟だ。
その名前を幻獣側が受け入れたら、そのまま契約は結ばれる。もっとも平和な方法である。
ふたつめは、〝血の契約〟である。
血を差し出し、幻獣がそれを任意で口に含むことにより契約が結ばれる。
魔力を含む血を、大量に要求する幻獣もいるので、注意が必要だ。
みっつめは、〝血と命名の強制契約〟である。
無理矢理血を飲ませ、同時に名付けを行うことによって、強制的に契約を結ぶ方法である。これを行った幻獣の大半は、命令は聞くが、懐くことはないという。
「ひとまず、命名を行って、受け入れなかったら、相性のいい契約者を探す、という方向でよろしい?」
「はい! 幻獣にとっても、命名を受け入れる人と契約することが望ましいので」
鳥かごを目線の高さまで上げて、じっと魔石獣を見つめる。
先ほどサクラに向けていた、光る目を発動させる気配はない。耳を左右に動かし、うるんだ瞳でレオノーレを見つめていた。
「では、命名いたしますわ。あなたの名前は――〝イルメラ〟!」
魔石獣の名付けをした瞬間、魔法陣が浮かび上がる。それは、そのままレオノーレの手の甲に移ってきた。
「こ、これは――!」
「どうやら円満な契約が結ばれたようです」
「円満な、契約?」
「ええ。もう、かごから出しても、大丈夫でしょう」
エルマーがかごを持つ。レオノーレは恐る恐るといった様子で、かごを開いた。すると、魔石獣イルメラが飛び出してくる。
『ぐるるるるう!!』
「な、鳴き声が、凶暴……」
全力ですり寄ってくるので、のけぞりそうになっていた。
「大丈夫そうですね」
「そう、見えますの?」
「ええ」
ひとまずイルメラは鳥かごに戻し、布を被せて運ぶこととなった。
エルマーと別れ、ひとり廊下を歩く。今日はイルメラがいるので、早退させてもらおうか。
バールケ伯爵夫人に負担がかかることを考えると、それもどうなのかと思ってしまう。
「あら、レオノーレ様ではありませんか!」
大勢の貴族令嬢を引き連れてやってきた豪奢な美女は、アーレント侯爵夫人である。彼女の夫とレオノーレの父は、政敵であるのだ。
「アーレント侯爵夫人、たくさんの人を連れて、どうかなさったのですか?」
「わたくし、聖女サクラ様の筆頭侍女に選ばれましたの」
「ああ、そうだったのですね」
「あなたも、サクラ様の侍女の一員だとお聞きしておりますが」
「ええ、どうぞ、よろしくお願いいたします」
レオノーレの言葉に、アーレント侯爵夫人は返事をしない。よろしくするつもりは毛頭ないと示しているのだろう。
「そういえば、ディートヘルム殿下が、レオノーレ様をしばし謹慎とするとおっしゃっておりました」
「なんですって?」
そんな話など、聞いていない。なぜ、謹慎処分を行うのか。
レオノーレはアーレント侯爵夫人に会釈し、ディートヘルムに理由を聞きに行く。
「ちょっと、話はまだ、終わっていないわ!」
「また、今度お願いいたします」
アーレント侯爵夫人は勝ち誇ったような表情で、レオノーレの謹慎を口にしていた。
嘘を言っているのではないだろう。ディートヘルムが、勝手な判断を下したのだ。
それにしても、アーレント侯爵夫人が筆頭侍女に選ばれるとは。レオノーレは内心、やりにくいなと思う。
アーレント侯爵夫人はレオノーレと同じ十八歳。アーレント侯爵は後妻として、彼女を娶った。親と子ほども、年が離れた夫婦である。
アーレント侯爵夫人はディートヘルムに心酔しており、彼と婚約を結んだレオノーレを敵対視していた。
そうでなくても、両家の仲はすこぶるよくない。
なぜ、アーレント侯爵夫人を筆頭侍女としたのか。その理由も問いただしたい。
ディートヘルムの執務室に、レオノーレは乗り込んだ。
護衛騎士達がしつこく止めようとしたが、ジロリと睨んだらそれ以上何も言わなかった。
昼寝でもしているのか。問答無用で、レオノーレは声をかけた。
「ディートヘルム殿下! お話を、伺いたいのですが!」
返事がないので、扉をドンドンと叩く。こうなったらと、勝手に扉を開いた。
「なっ!?」
「きゃあ!!」
執務室にいたのは、ディートヘルムひとりではなかった。膝の上に、妙齢の女性を乗せていたのだ。
彼女はたしか、ルルフェット男爵夫人である。社交界の艶花として名高く、恋多き女としても有名だ。まさか、王太子であるディートヘルムとも関係があったとは。
ルルフェット男爵夫人は、着衣の乱れを慌てて直す。同時に、ディートヘルムは彼女の体を押し倒した。
「きゃあ!」
ルルフェット男爵夫人はディートヘルムの膝から転がり落ち、床に伏した状態となる。
サクラという女性がありながら、他の女性に手を出していたなんて。レオノーレは呆れかえる。
しかしこれも、身分のある男性の中ではよくあることだ。
レオノーレの父も愛人を連れ込み、自慢げに話していた。毎日チョコレートを食べ続けると、飽きてしまうだろうと。他にも、食べてみたくなる。それが、男の性質なのだと。
心底気持ち悪い考えだと言いたかったが、父のちっぽけな自尊心を傷つけてはいけないと、レオノーレは忖度して何も言わなかった。
そんな記憶を、ふと思い出す。
「こ、この女が、勝手に誘惑してきたんだ!」
「わたくしは別に、何も聞いておりませんが」
「う、うるさい! いったい、何の用事だ?」
「先ほど、アーレント侯爵夫人からわたくしに謹慎処分が下ったという話をお聞きしまして」
「そ、そうだ! お前の管理不足で、サクラに怪我をさせてしまった! 一ヶ月ほど、頭を冷やして反省するとよい!」
「はあ」
頭でもおかしくなったのか。そう問いかけたかったが、喉から出る寸前で飲み込んだ。
「それよりも、その中身を処分してこいと、命じていたはずだが」
「ああ、こちらですが、わたくしが引き取ることにしました」
「まさか、食すというのか?」
「いいえ。こちらは本物の――」
「いい、興味がない」
一応、あとから文句を言われた大変だ。魔石獣の取り引きに使った契約書を渡すように要求する。
ディートヘルムは渋々、といった感じで魔石獣の契約書をレオノーレに渡した。
これについても、調査しなければならないだろう。
王都のどこかで、魔石獣を売りさばいている奴がいる。まずは、ディートハルトに相談しなければならない。
「そういえば、なぜ、アーレント侯爵夫人が筆頭侍女に?」
「理由など、どうでもいいだろう」
「献金を受け取ったのですか?」
「う、うるさい!! 金の話をするのは、下品だぞ!!」
その罵倒は、金を受け取りましたと言っているようなものであった。
どうやらアーレント侯爵夫人は、金で筆頭侍女の座を得たようだ。
何もかもが、バカらしい。レオノーレは本日何度目かもわからないため息をつく。
「もう、いいだろう? ここから出て行け!」
「いえ、もう一件だけよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「バールケ伯爵夫人も一緒に謹慎してもよいでしょうか?」
「なぜだ? 彼女は、アーレント侯爵夫人に仕事の引き継ぎをさせる」
アーレント侯爵夫人とバールケ伯爵夫人の相性はいいとは思えない。いじめられないか、心配であった。
「ではわたくし、サクラ様にルルフェット男爵夫人とディートヘルムが仲良くしていらした話を、お話ししようと思います」
「や、やめろ!! わかった、バールケ伯爵夫人の謹慎も、許可する!!」
「ありがとうございます」
そんなわけで、レオノーレは魔石獣と一ヶ月の謹慎、バールケ伯爵夫人を土産に、離宮へ帰ることとなった。




