第十九話 主役は遅れてやってくる……?!
「――くっ……!?」
ベントーが神殿の中庭に叩きつけられた衝撃で、グラグラと地面が揺れる。
私の首筋に刃先を当てていたヒルダが、その衝撃で手元を狂わせないように、咄嗟にナイフを持った手を首筋から三十センチほど離した。
ここで武術の心得がある人間なら、この好機にその手を取って捻るなりして反撃するか、脱兎のごとく逃げ出すところだろうけれど、生憎と前世のシルヴァーナは基本的に圧倒的な力で相手をねじ伏せるだけで、徒手空拳で戦う術を習得していなかったし、平凡なリーマンだった過去世の自分も同様である。
これがマンガかアニメの話なら、ここから逆転となるのだろうけれど、現実問題、相変わらず左肩を掴まれ、若干離れたとはいえナイフを目の前に脅されたら、果敢に立ち向かおうとは欠片も思えない。
そもそも九歳児が成人女性に勝てるわけがないだろう。
フェザー級の選手にヘビー級の相手をしろというようなものだ。土台無理な話である。
で、イリスは相変わらずボケーと突っ立っているだけだし(多分、私がいま危機に面しているという認識すらないだろう)、ファニタはいまだに白目を剥いて突っ伏してるし、ユリウスたちは『囚われのお姫様』を遠巻きに見て、歯噛みしているだけだし……。
と、大の字になって地面に墜落したベントーが、
『ぶもおおおおおおおおっ! ぶおっ!!』
そこら辺に生えていた樹木を片っ端から引っこ抜いて、モリモリと貪り食い始めた。
それに合わせて全身の傷がたちどころに塞がって、即座に全身へ活力が戻っていく。
「ちっ……さすがは守護獣。この程度ではトドメにならないか……」
さもありなんという表情で、(偽)《蜃朧杖》片手に、上空で舌打ちする〈鋼鉄のデューク〉。
いやいや、あれは閉鎖空間での食料なので、ちょっとやそっと食われたくらいでは死なないように、燃費と再生能力が他よりも高く調整されているだけなの。
別に大した能力じゃないの。食われる前提なの――と言いたいけれど、空前の強敵に対峙しているという表情の〈鋼鉄のデューク〉に水を差すのも野暮なので黙っている(そもそも信じないだろうし)。
さすがに翼の被膜の再生といった細かな部分までは手が回らないのか、程なく体の方の再生を終えたベントーが、手持ちのフォークを杖がわりに立ち上がると、爛爛と燃えるような血走った目で〈鋼鉄のデューク〉を見定め、
『ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!』
翼の再生を待たずに、両の蹄で地面を蹴って、遥か頭上にいた〈鋼鉄のデューク〉へと、砲弾のように垂直飛びで飛び掛かっていった。
「――なっ!?!」
これは完全に予想外だったのか、度肝を抜かされた〈鋼鉄のデューク〉は回避する間もなく、慌てて(偽)《蜃朧杖》を前面に押し立て、光の防御壁を幾重にも張り巡らせ対抗する。
そこへベントーが勢いよく突っ込み、安物の硝子を砕くように防御壁を次々と粉砕しながら、〈鋼鉄のデューク〉の鼻先まで迫るのだった。
「くおおおおおおおおおおおおっ!!」
『ぶもおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』
そうして最後の一枚――とりわけ重厚で巨大な防御壁――で、どうにか突進が止まったベントーだけれど、『ぶもーっ!』とその間に翼の再生も終わっていたのか、渾身の叫びとともにジャンプの勢いに上乗せして、さらに翼を広げた揚力でもって、その姿勢からさらに〈鋼鉄のデューク〉へとジリジリと迫る。
そのパワーと質量を前に、明かに押されていく最後の防御壁。
まさに鼻息が掛かる距離で、ベントーに詰め寄られた〈鋼鉄のデューク〉は、必死の面持ちで魔力を解放し、
「――くっ! 《蜃朧杖》よ。お前の力はこんなものではないだろう! 全力を出せっ!!」
鍔迫り合いの体勢から、(偽)《蜃朧杖》を叱責するのだった。
「……いやぁ、モップにしては頑張ってる方だと思うけど……」
明らかにモップの限界を越えて、頑張ってると思うんだけどな。
そう私が呟いたところで、膠着状態に焦れたのか、ベントーが防御壁越しに大きく口を開き、嫌な予感に顔を引き攣らせる〈鋼鉄のデューク〉目掛けて、
『ぶおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!』
巨大な炎の塊を発射したのだった。
「な――なんだと……おおおおおおおおお!?!」
その炎弾に防御壁が耐えられたのも一瞬で、炎の塊に飲み込まれた〈鋼鉄のデューク〉が、遥か……聖都の外までボロクズのように吹き飛ばされていく。
ついでにこれが最期のトドメになったのか、(偽)《蜃朧杖》の偽装も解けて、炎の中でモップが燃え尽きた――のを確認できたのは、多分、この場では私だけだろう。
「きゃああああああああああああああああああっ、デューク様!?」
この惨劇を前に、身も世もない悲鳴を上げるヒルダ。
この時ばかりは私から完全に注意が逸れた――と思われた瞬間、近くにあった茂みの中から一人の青年が回転するように飛び出してきて、その勢いのまま私を片手で抱えて、さらに後方転回を決めてヒルダから距離を取り、
「――しまった!」
慌てて追いすがろうとするヒルダ目掛けて、スローイングナイフを数本投げて牽制する。
思わず立ち止まって手にしたナイフでスローイングナイフを捌いたヒルダだけれど、その隙に彼は私を抱えてユリウスのところまで素早く後退したのでした。
薄暗い中庭から、煌々と明かりの点った神殿の傍に退避できたことで、私は私を助けてくれた恩人の顔を、改めて確認することができました。そして、それはユリウスも同じだったようで、
「お前――ベルクか!? いつの間に……いや、助かった。さすがだよベルク! 大金星だ」
大きく目を見開いたかと思うと、ついで気安い態度で彼の肩をバンバンと叩いて誉めそやします。
「ふふふふっ、『騙まし討ちアンドレー』の面目躍如といったところだろう?」
称賛された彼――ベルトラン・ロベルト・アンドレー――は、満面の笑みを浮かべて、ユリウスにそう答えました。
神殿で治癒を受けたのか、全身に巻いていた包帯はなくなっているけれど、その丸々とした体形は忘れようもありません。
ユリウスの親友にして、途中までは勇者一行の仲間として行動をともにしていたものの、不慮の死でユリウスが『太陽神の戦士』として覚醒するきっかけになった『騎士』ベルトランです。
昼間のありさまがあまりにも悲惨だったものなので、腕っぷしの方はイマイチなのかなぁ……と思っていたのだけれど、この一連の行動を見るに、なるほどさすがに勇者一行に加えられるだけのことはあると思えるものであった。
と、同時に、「軽快なデブってなんか気持ち悪いなぁ」とも思うのだった。
そんな私のもの言いたげな視線を感じたのか、ベルクは慌てた様子で私を床に下ろすと、
「失礼の段、誠に申し訳ございません。危急の場合であったため、皇女殿下の玉体に触れる不敬をいたしました」
その場に這いつくばって謝罪するのでした。
「いえ、とんでもありません。悪漢から私を守るべく、身を挺して救って下ったベルトラン様の衷心、そこに一片の邪心がないことは、この場にいる全員が、そしてなにより私が一番よくわかっています」
三文芝居のようだけれど、いちおうこういう様式美を経ないと、あることないこと言う連中がいるので、きちんと釈明を聞いてそれを受け入れ、感謝するというパフォーマンスを周囲に見せつけます。
「とはいえ、私のために無茶はなさらないでください。私のためにベルトラン様のお命が危険にさらされるなど、想像するだけでもこの身が張り裂けそうです」
お前が死んだらユリウスが覚醒して、私の死亡フラグが確定するんだからさ!
「死なないでください! 絶対に命を粗末になさらないでください!!」
そう必死に呼びかける私の心からの訴えに、
「皇女殿下……なんとありがたい」
「さすがはセラ様だ。ベルク、これがセラ様なんだ!」
「おおっ、なんと健気な……」
「あの年齢にして、なんと心優しく穢れない、誠に王女の中の王女、皇女と呼ばれるにふさわしい」
なにやらベルクやユリウス、神殿関係者が目を潤ませ、中には滂沱と涙を流している巫女とかもいました。
「――ん? なんすか、なんかうるさいっすねー?」
この騒ぎで目を覚ましたらしいファニタが、目をこすりながら起き上がる気配がしたので、思い出してそちらの方を見れば、いつの間にやらヒルダ(あとついでに黒猫のタマも)は姿を消しています。
「しまった! 逃げられたか!?」
臍を噛むユリウスですが、さすがに神殿の騎士は見逃さなかったようで、
「あの女が身を翻して、ついでに例の黒猫を抱えて逃げたのを確認しましたので、現在、手の空いている者が追跡中です。とはいえ――」
『ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』
神殿騎士の言葉を遮って、ベントーが声高らかに勝鬨を上げています。
「……先にアレをなんとかしないと、そっちまで手は広げられないか」
聖都の上空を我が物顔で飛び回っているベントーを見上げながら、ユリウスが苦々しい顔で後の台詞を引き受けるのでした。