(16)また今度
それからの数時間、僕はまるで生きた心地がしなかった。
どうしてリツが現れたのか。偶然であるはずがない。僕の心を読む彼女なら、今日のデートのことだって知っていたに決まっている。問題は、リツがいったいなにをしに来たのか……
僕の不安をよそに、山本は礼儀正しいリツとすぐに打ち解けた。
二人は仲のいい姉妹のように、僕に関する話題を肴にして笑いあう。
山本は屋敷で働く僕の様子をリツから聞き出そうとしているようだった。それに対してリツは物静かな様子で行儀良く、無難な答えを返している。
いまにもリツがとんでもないことを言い出すんじゃないかと僕は気が気でなかったのだけど……リツは一向にそんなそぶりは見せなかった。
僕には、彼女たちが何を考えているのかがまるでわからなかった。
だから僕はできるだけ何も考えないようにして、ただ二人のそばに付き従っていた。
「ちょっと、トイレ」
「あ、私も行きます」
ショッピングモールのフードコートで休んでいると、山本とリツが二人連れ立ってトイレに行ってしまった。
……僕の居ないところで、二人が何の話をするのか。僕は強い不安を覚えたが、しかし無理に引き離すことも出来なくて、ただ一人その場に残されてしまった。
もし、すべてがバレてしまったら、僕は……答えの出ない不安に苛まれながら、アイスコーヒーを少しずつ舐め続ける。
時間の流れがとてつもなく遅く感じられた。
……二人はなかなか戻ってこない。
そのうち、アイスコーヒーの氷もすっかり溶けきってしまった。
何度となく腕時計を確認する。
……あまりにも遅い。
山本の携帯に電話をかけようかと思い、携帯を手にするも決断できず……そんなことを何度か繰り返した頃、やっと二人が戻ってきた。
「お待たせ。ごめんね、トイレが混んでて」
「あ、そうなんだ」
山本が笑顔で言ってきたので、僕はほっと安堵しかけたが……彼女の表情に、明確な違和感を覚えた。笑顔が、どこかぎこちない。
いったい、なにがあったのか……早く山本と二人きりになってそれを確かめたいと思う僕に向かって、当の山本が予想外のことを言ってきた。
「じゃあ、今日はもう帰ろうか。ケン太は、黒川さんを送っていかないとならないし」
「え」
思わず声が出たが――そう、確かに。気がつけば日も落ちて、外は真っ暗になっている。中学生であるリツを、買い込んだ重たい食料品と共に一人で帰らせるには非常識な時間帯だった。そして僕自身、外泊を禁止されている。このまま僕がリツを家まで送るのは、ごく自然な流れのように思われた。
けど……山本はそれでいいのだろうか? 山本のうちに泊まるという話は……僕は山本の瞳を見つめたが、彼女は視線を逸らして僕と目を合わせなかった。
「では帰りましょうか、白井さん」
「あ……うん」
躊躇いつつも頷くと、リツが唐突に――そして当然のように、僕の手を握ってきた。
「っ!」
僕は咄嗟に腕自体をひねるようにしてその手をふりほどいた。
それからハッとして山本を見た。彼女は――
「…………」
彼女は黙ったまま、じっ……と、ひどく重々しい表情で僕の手元を見つめていた。
すぐに僕の視線に気づいた山本は、誤魔化すように、ぎこちない笑顔で言った。
「じゃあ……二人とも、気をつけてね」
「うん、山本も……また、今度ね」
……そう。僕はあのとき、自分が感じた違和感の正体について――山本とリツが話した内容について、きちんと確認しておくべきだったのだ。
たとえどんなことをしてでも……確認しておくべきだったのに。