後編.ショタコン、異世界で戦う
「なるほど、な」
「うん」
「そう言うわけなので、悪いことをする気もありませんから、帰れるまで保護していただければ大人しくしてます」
説明を聞き終えたシヴァさんは、心底面倒くさいとでも言いたげな顔で溜め息を吐いて腕を組む。
私は右も左も分からない異世界で放り出されてはまずいので「ワタシ、アブナクナイ、デス」と必死にアピールした。
「……保護するか決めるのは女王だ。ま、あの人なら許してくれるだろうよ」
「そうですか……」
取り敢えず、安全獲得の一歩目かな。
「僕はとにかくアイリーンを帰す方法を探すよ。普通の召喚魔法と違って、念じても帰ってくれないんだ」
「俺は手伝わないぞ……ああ、そう言えばジジが呼んでたぞ」
二人が何やら言葉を交わす傍らで、私は故郷のジゼット村を囲む森を思い出す緑の木々を眺めていた。
何だか分からないけれど、ふわふわとほのかに光るものが木々の合間を飛び交っている。
魔眼を発動してみれば、それらが純粋な魔力でできていることが分かった。どれもドン引きなレベルで純粋な魔力を宿している。
本当に何だろうあれ。
「――アイリーン、聞いてる?」
「へぁっ?!」
いきなり肩を優しく叩かれて、思わずビクッと跳ねてしまった。
見上げれば、ウル君が身を屈めて私の顔を覗き込んでいて、その奥で立ったままのシヴァさんが呆れたような顔をしている。
「ごめん、聞いてなかった……」
「そうみたいだね。ええと、僕はこれから魔導士の友達のジジって子のところへ行くんだけど、君を一人にしてはおけないから一緒に来てほしい、と思って」
「分かった。あの、ウル君、一つ訊いても良い?」
何、と首を傾げるウル君。本当に綺麗な銀の瞳をしている。あ、耳の先が尖っていることに今気づいた。
「あのふわふわしているの、何か知っている?」
森を指差しながら訊ねる。私の指が差す先を追って森に目を向けたウル君は「ふわふわ……?」と不思議そうに呟いた。
「飛んでるよね?」
そう言いながら森に視線を戻したら……
あれっ、いないじゃん!!
どこ行っちゃったの? もしや幻?!
「……ウル、もしかして地霊のことじゃないか」
「ああ! なるほど」
シヴァさんが言った言葉にウル君は頷いて「ふわふわしているのはね、地霊って言うんだよ」と教えててくれる。
……ウル君が「ふわふわ」って言うの、最高に可愛いな(真顔)。
「でもおかしいな……アイリーンが気になったってことは直前まであそこにいたってことだよね? 地霊が姿を消すって……」
私が嫌われてるとかですか。だったら悲しいです!! と私が顔をしょもっと萎ませている横で、何やら深刻な表情の顔を見合わせるウル君とシヴァさん。
「危険が迫ってるとき、だよな」
「でも、魔物とかの気配はしないけど――――」
パリィィンッ!!
直後響き渡るガラスの割れる音。ハッと三人揃って見上げれば、近くにあった煉瓦造りの建物の二階の窓が激しく割れてガラスが降り注いでくるところだった。
「危ない!!」
私は慌てて手を伸ばし、魔力を展開して防御壁を張る。
ほぼ同時に、ウル君が空気の中から長いファンタジックな杖を取り出して振った。見たことのない防御魔法陣が描かれて、私の防御壁と重なってガラスの破片を防ぐ。
ぱらぱらと私たちを避けて周囲に滑り落ちていくガラス片たちを見つめて、呆然と顔を見合わせる私とウル君。
その、すごくファンタジーを感じる長い杖、あとで見せてくれないかな……私のところは魔法に杖使わないから……
「……アイリーン、君、魔法使えるんだ」
「言ってなかったっけ……使えるよ」
そう言って、しばらく沈黙した私たちはやがてクスクスと笑い始めた。
「びっくりしたぁ」
「ね。何なんだろう、部屋の中の人は平気かな?」
「確かに、いきなり割れるなんて変だ」
「爆発でもしたのかなぁ……」
二人で首を傾げていると、厳しい目をして一人でじっと窓を見上げていたシヴァさんが「……おい、来るぞ」と言った。
何が、と問う暇も無く、割れた窓から何か黒い大きなものが飛び出してきた。青い光の尾を引いて、こちらへ勢いよく降下してくる。
踏み潰されそうな予感がしたので立ち上がって後退。同時に、私たちが先程までいた場所にその黒い大きなものが着地した。
『シャアァァァッ!!!』
赤い彗星っ、と思わず口から飛び出しかけた単語を飲み込んで、私はその黒い大きなものを観察する。
どうやら四足獣らしい。大きさは軽自動車ほどで、常にざわざわと蠢く黒い体毛のようなものに全身を覆われていた。
体毛と断言できないのは、それが時折炎の端の様にゆらゆらと揺らめいているからだ。
角や耳の無い大きな頭、目も無いようだけれど口ばかりがグワッと大きい。ここから先程の威嚇の様な鳴き声を出したのだろう。
全身にバチバチと跳ね回る青白い雷を纏っていて、足下の芝生が焼け焦げていた。
「尻尾も無いとか可愛げゼロ!!」
思わず叫んだ私を、左右に立っていたウル君とシヴァさんが信じられないものを見るような目で見た。
「お前、最初に言うことがそれか……」
「怖い、何あれ、とかじゃないんだね」
「えっ、だって……」
『シャアァァァッ!!!』
純粋に可愛くないから、と言おうとしたら獣が吠えた。ウル君が構えた長杖の飾りがシャンッと涼やかな音を奏でる。
「取り敢えず、良いもんじゃなさそうだから倒すか」
「そうだね。理性ある使い魔じゃなさそうだし」
シヴァさんはいつの間にか抜いていた剣を握り、バチバチと激しく電流を走らせる獣に向けていた。
二人とも随分と判断が早い。どんな修羅の道を生きてきたんだ……と想像して一人悲しくなる。特にウル君、君、そんなに可愛いのに……
「……ッシャア、やってやる」
美ショタの不遇を想像したらやる気が満ちてきた。パシッと右拳を左手に当てて、自分の周りに魔力を展開する。
「アイリーン、大丈夫?」
「うん。これでも、色々、変態とか誘拐犯とか変態とかを撃退してきた実績あるからね」
「それもそれで大丈夫なのか……」
何を言うシヴァさん。確かに、貴方たちが歩んできた修羅の道と比べたらぬるま湯の様な道かもしれないけれどね?
乙女ゲームのヒロイン舐めんな。伊達に常日頃から邪神ファンに心臓狙われてねぇんですよ。
「自分の身くらい、自分で守るよ」
「……ならいい」
私の言葉に、シヴァさんがそう言ってにやりと不敵に笑った。色気が凄い。私は生粋のショタコンだから微塵も心に響かないけれど、一般女子だったら「み゜」とか鳴いて倒れてるよね、これ。
「来るよ」
ウル君が静かな声で言う。
『シャアァァァッ!!!』
咆哮、そして獣は地を蹴った。
―――――………
青白い雷を纏いながら突進してきた黒い獣を、盾のように構えた防御魔法陣で迎え撃ちながら、ウルは獣の正体について思考を巡らせていた。
(学園の中から出てきたよね? こんなのが常日頃からいるわけ……いそうな気もするけど)
変人の多い魔法学園なので、こういった正体の分からない危険なものを研究のためと称してこっそり持ち込む者がいないとは言い切れなかった。
ウルの防御魔法陣に激しく体当たりをして『グルルッ』と唸った獣に、シヴァが向かっていく。陽光に鈍く光る黒剣の刃。獣がそちらに頭を巡らせた。
「食らえ!!」
言葉に乗ってぶわりと溢れた魔力が刃の上に流れる青い青い電流に変じた。剣はそのまま、防御の術を持たない獣の頭へ振り下ろされる。
(……青い雷。シヴァのものに良く似ている気が)
ウルがそう考えた直後、剣を振り下ろしきったシヴァが「っ」と顔を顰めて地面を蹴り、後退した。
「剣がすり抜ける」
「実体じゃないの?!」
その時、後方から鮮やかな水流が押し寄せてきて黒い獣を呑み込んだ。驚いて振り返った二人に、その魔法を放ったアイリーンが「あのっ」と声を上げる。
「言いにくいんですけど、あの獣、シヴァさんの親戚か何かじゃないですか?!」
「「はっ?!」」
何、訳の分からないことを、と思いっきり顔を顰めるシヴァに、申し訳なさそうな顔をしたアイリーンは「だ、だってあの雷の気配……」と自信無さげに言う。
(……なんだか、アイリーンの目が)
獣はアイリーンの水流に巻かれて動きを止めていた。青々とした水の塊にピリピリと電流が走るが、破壊には至らないようである。
アイリーンの言葉の真意を探ろうとしていたウルは、彼女の双眸が琥珀色から燦然と煌めく黄金色に変わっていることに気づいた。
「っ、もしかして!」
はたと思い当たったウルは獣に視線を戻した。両目に魔力を込めて、その正体を根源から探ってみる。
そしてハッとした。アイリーンが何を言いたかったのかも分かる。ついでに、この獣がどんな経緯でここに来たのかも推測できた。
「シヴァ、あれの力の根源は確かに君の魔力だよ」
「は? 何を言って……」
「君の魔法の残滓が、あれの核だ」
魔法には詳しくないシヴァは怪訝な表情をしているが、後方で聞いていたアイリーンは目を瞬いて「なるほどね!」と言っている。
彼女が加えて「可愛い上に賢いとか最の高! かっこかわいいぞ! 美ショタイエーーイッ!!」と騒いでいるのは聞かなかったこととする。
「多分核にしか攻撃が通らないから……」
ウルはそう呟いて霊杖の先を空中に向けると召喚魔法陣を描いた。
「おいで……霊弓テンペスタ!!」
召喚は成功。現れたのはシヴァの霊具である霊弓テンペスタ。旅の末に精霊の国に残されたこれは、久々の主人の気配に嬉しそうに青い電光を散らした。
「動物と同じ位置、心臓みたいにして核があるから」
そう言ってウルはテンペスタを差し出した。きらりと装飾を煌めかせるその弓をシヴァは懐かしむように見る。
「……ふっ、腕が鳴るぜ」
艶っぽく笑って彼は弓を手に取った。
「あっ、水、そろそろ限界!!」
「大丈夫だ」
アイリーンの慌てた声にシヴァが短く答える。キリキリと引き絞る弓弦に、魔力でできた青雷の矢がつがえられた。
『シャアァァァッ!!!』
バシャッと水流の塊を破壊した獣が、濡れた身体を揺すって着地する。アイリーンとウルが気をそらすために細々とした魔法攻撃を放つ間に、シヴァは獣の心臓の辺りへ狙いを定めた。
「今だ!!」
水晶を割る様な澄んだ弦音、矢が弦を離れて真っ直ぐに獣の心臓――核を射抜く。
『グ、ガァァァッ!!』
獣は叫び、後ろ足で立ち上がって藻掻く様に前足で宙を掻いた。そうする内に黒い身体を取り巻いていた青白い電流が消え、叫び声が小さくなっていく。
やがてその声も途切れ、獣は音も無くふわりと布が落ちる様な静かさで地面に倒れ伏し、空気に溶ける様にして姿を消した。
「た、倒した……?」
そろそろとウルの隣へやって来たアイリーンが獣の消えた辺りを窺う。
「多分、ね」
そう答えたウルに、弓を下ろしたシヴァが「やっただろうな」と呟く。
射た彼がそう言うのだから間違いなさそうだと、アイリーンは「ほへぇー、いきなりあんなのと戦うことになるなんてびっくり」と気の抜けた声を出した。
「ウル、お前はもうあいつの正体に気づいてるんだろ? 何なんだ」
「確かに気になる」
「ええとね……何て言ったらいいか……予想だから真実かも分からないし」
ウルはそう言って困ったように頭をぽりぽりと軽く掻いた。
―――――………
はーーっ、びっくりした。
外面では落ち着いて見せているけれど内心バリバリ動揺してるからね?
異世界召喚からのいきなりの戦闘とかどこのラノベ主人公だよーー!!
いきなりの異世界で、自分の魔法がきちんと使えることは窓ガラスの時の防御壁で分かっていたから良かったけど、通用して良かった。
あの獣(推定)実体が無さそうに見えたからためしに魔眼を発動してみたら、何とまぁ驚くべきことに、獣(推定)を構成する魔力がシヴァさんの体内にある魔力とそっくりなことが分かっちゃった。
そのことに驚いたのと、急な戦闘に慌てたせいでつい「親戚か何か」とか失礼なことを口走ってしまったのである。
でもウル君がすぐに獣(推定)をじっと見つめて同じようなことを言い出したから安心したし、ついでに話をしていた先程とはうって変わってキリッとしていたから最高に「かっこかわいい!」と思っちゃったんだよねぇ。
それが口からまろび出てしまってシヴァさんに微妙な顔で見られたけど。
敵を倒した今では、ウル君の表情も穏やかでほわほわしたものに戻っていて、でも少し緊張が残っているのか、周囲に魔力の端っこみたいな薄紫の光の粒子が漂っている。
たいそう神秘的で眼福な光景ですありがとうございます。異世界でも、ショタはショタであり私の癒しなのである。
そんなウル君から獣(推定)の正体が語られるらしい。ちょっと見ただけで分かるものなのか……て言うかウル君も魔眼持ってるの? なんか勝手に親近感。
「恐らくだけどあれは……っ!!」
「ん?」
話し始めたウル君が私を見て目を見開いて固まった。えっ、もしやニヤニヤとかしてた? いや、私の表情筋はリオを愛でながら生活する過程においてかなり鍛えられているからそんなはずは……
「お前、身体が透けてるぞ。帰るんじゃないか、これ」
何ですとっ?!
シヴァさんの言葉に自分の両手を見下ろしてみて驚愕した。
「ぬわぁっ?! ほんとだ透けてる!!」
手を透かして向こうの芝が見える!
「こんないきなり……っ、アイリーン、ちゃんと帰れるはずだけど、念のためにしっかり帰る場所を思い描いて!!」
ウル君が慌てたようにそう言った。
その言葉に思わず最愛のリオがほわりと微笑んで「おかえり!」と言ってくれる実家を思い出しちゃったけど……うひひ、可愛い尊い……ごほん、待て待てまだ夏休みは先だ。
このままでは邪な気持ちと共に実家に転送されかねないので、私は必死に学園の自室を頭に思い浮かべる。
「僕の魔法で補助するから! 少しの時間だったけど君と話せて楽しかったよ!」
「ウルの失敗に巻き込んで悪かったな」
「私も! いきなり戦いとかになってびっくりしたけど、話したのは楽しかった! 間違い召喚は気にしなくていいからね! さよなら!!」
そして、来た時と同じように私は真っ白な光に包まれた。
ハッと目を開けると、そこはすでに寮の自室だった。手は透けていないし、何かが変わった気もしない。無事に帰ってきたんだ。
「はぁぁぁ……」
安心した。次に、さようならの間際のウル君の「話せて楽しかったよ!」という言葉と柔らかい笑顔を思い出す。
「美ショタだったなぁ……」
人外すげぇ……そんなことを思いながら、私は再び出掛ける気が起きなかったのでそのままベッドに横になった。
故郷の森の夢を見たけど、出てきたのはリオじゃなくて師匠だった。残念。
あっ! 気になってたのに、あの獣(推定)の正体、聞きそびれた!!
―――――………
ドタバタののちに、ふわりと光に包まれて消えたアイリーン。彼女がいたことすら夢だったのではないだろうかと思ってしまうほどに束の間であった。
「無事に戻れたかな……」
「大丈夫だろ」
行方を追うように空を見上げたウルの呟きに答えたシヴァは「で?」と話の続きを促した。
「ええと、恐らくだけどあれは、君の魔法を食らった生徒の誰かが作ったんだと思うんだ」
「あれか……」
「うん。確かそういう魔法があったと思うんだよね。対象の魔法の欠片だけで、相手を追い続けるものを作る魔法」
無駄に巧妙な罠に引っ掛かって生徒たちに潰されたことを思い出したのか、その魔法の内容が不快だったのか、シヴァがその美貌を盛大に顰めた。
「うん……あ、噂をすれば」
そう言ったウルが苦笑してシヴァの背後を指差す。振り返れば、ジジが縄でぐるぐる巻きにした何かを浮かべてこちらに走ってきているのが見えた。
……ぐるぐる巻きにしすぎて中身が見えない。動いているから多分、生き物だ。
「二人、とも、無事、か」
「うん、じゃあそれは」
「あの魔法、やった、生徒」
縄の塊にすら見えるぐるぐる巻きをジジが地面に転がす。杖を一振り、縄がするすると解けた。
「ひっ、ジジさん、許し……あっ」
ぐるぐる巻きの中身は生徒で、見下ろすシヴァの顔を見るなりビシッと固まる。シヴァはその美貌に微かすぎる笑みを浮かべて生徒を見下ろしていた。
「何か言うことは?」
「すみませんでしたっ! 出来心だったんです、あれで貴方を捕獲できたら独り占めして研究できるかと……」
「よし黙れ」
シヴァの微笑みが深くなった。妖しげな艶を帯びて、威圧感を増していくその表情をジジはじっと見ていたが、やがて杖の先に拳大の魔力の塊を生成する。
「ん」
「がっ」
そしてジジはおもむろに魔力の塊をくっつけた杖を振り下ろした。それなりの衝撃を額に食らった生徒は白目をむいて気絶する。
「これで、許し、て、あげ、て。悪気、無い、ジジ、分かる」
「厳重注意はしといてくれ。ここに来る度に罠に掛けられてちゃ困る」
「ん」
ジジはそう答えて、生徒を浮かせると去っていった。
それを見送り、シヴァは溜め息を吐く。
「僕らも帰ろうか。女王陛下が部屋を用意してくれたって」
「そうだな……色々と疲れた」
「ふふ。旅の話、聞かせてくれる?」
「ああいいぜ」
二人は穏やかにそう話しながら女王の館へ歩いていった。
静けさを取り戻した森には、ふわふわと光る地霊たちが楽しげに飛び交っていた。
あったかもしれない不思議な話。
時間軸的には「ショタコン:学園生活中」「銀星:完結後」です。
これを機に、読者様が読んだことのない方へ手を出してくださったら嬉しいなぁと思います!
何はともあれ、ショタコン、感想100件ありがとうございました!!!