英傑
俺は意識を取り戻した翌日に出立すると決めた。
出立を急ぐ俺を見た母上様は、急がずしばらく養生したほうが良いのではないか、と言ってくれたが、俺のあとを継いで当主となった義弟がいくさ場に出ているのにひとりだけ寝て過ごすのは気が引ける。
また今日の出発は、意味もなく急いでいるわけでもない。今の俺が横井城に居座ってしまえば、最悪の場合、義弟の死を待つようにも見えかねないからだ。なにせ、羽柴方の尖兵として出陣した義弟が討ち死にしたなら、ふたたび俺のもとへ当主の座が戻ってくるかもしれないから。
腹黒く、面の皮も厚い者なら、これもまたひとつの選択肢に違いない。しかし、俺の代わりに出陣した義弟が死に、尾池の血を引かない俺が当主に返り咲いたのでは、一党の結束が乱れるのは疑う余地もない。
つまり、仮にも尾池一党の当主だったことに誇りを感じている俺としては、義弟が生き抜いてくれることを前提に城を離れなければならず、仏門に入ることも、帰農することも選べない以上、慌ただしくも出奔するほかなかった。
その結果として尾池一党の結束が盤石なら、ここに残る母上様の生活も安泰になろうというものだ。かつての主筋を尊重してくれる義父上が存命な限りのこと、だろうけど。
「玄蕃どの。くれぐれも、身体を壊さぬように」
城の前まで出てきた母上様は、涙をこらえながら言う。
俺は母上様の言う、玄蕃どの、という呼びかけに思うところがあった。
「母上様。それがしはもう、尾池玄蕃にはございませぬぞ。玄蕃允は当主の名でござる」
尾池一党は代々の当主が通称として、玄蕃を名乗っていた。義父の尾池光永も通称は尾池玄蕃であり、俺も尾池保衡という名だったが、つい昨日までは通称として尾池玄蕃を名乗っていた。あたり前のことだけど、俺が隠居して義弟が新しい当主に立ったなら、今の尾池玄蕃は義弟になる。
「それがしのことは、保衡とでも、以前の義辰とでも、お好きに呼んでくださいませ」
俺もかつては実父や叔父の諱から、義の通字をとって義辰と名乗っていた。だが、尾池一党になりきる覚悟を決めた時、義父上に名前をつけてもらっていた。
今のところ新しい名も決めていないし、保衡のままで通そうかと思っているけど、叔父上から許しが出たのなら、仕官先を探すに有利な義の通字に戻し、泊を付けるのもやぶさかではなかった。
俺の言葉が母上様の心に、何か触れたらしく、喉をつまらせて嗚咽する。
名残惜しくはあったが、できることなら今日中に備後に入ってしまいたい。瀬戸内の海を往来する船は、羽柴方が厳しく管理していることだろう。どれほど手間がかかるかもわからないので、このあたりで出立することにした。
「当面は備後の叔父上のもとで世話になるつもりゆえ、何かことあらば、母上様も文を送って下さいませ。さすれば、十日もかからずに飛んで帰ってまいりまする」
「用事がなくとも文は出しましょう。そなたも、身体には気をつけ、壮健であるのですよ」
「母上様もご自愛下さいますよう、お願い申し上げる。では、これにてさらば」
俺は後ろ髪引かれながらも、横井城をあとにした。
仕官して、出世して、屋敷を得て、迎えに来ればいいことなのだから。
横井城から高松のあたりまではさほど遠くない。
直線距離でおよそ三里弱。しかし、竜次の知るような舗装道路ではないし、道は曲がりくねっている。歩くのは正味二十キロメートル強、といったところだろう。
このように一事が万事、竜次の思い描く平成日本と、保衡の思い描く戦国日本で、異なることは数え切れないほどある。今もまた、人の歩く速さや距離について、不思議な感覚で受け止めているところだった。
平成日本と比べて、この時代の人々は歩く速さとスタミナが段違いなのだ。平成の日本で二十キロメートルを歩くといえば、ちょっとした強歩大会であり、日常的に行き来する距離ではない。毎日それだけ歩くなど、よほど特殊な目的があってのことであり、電車、バス、自転車、そして自家用車と、労力と時間を短縮する手段がいくらでも用意されていた。
ひるがえってこの時代には、それらの手段が格段に少ない。最も早い陸上交通は馬であるし、水上交通として船があるものの、道や天候によって条件が千差万別となり、とても便利とは言いかねるものだった。
ちなみに俺は今回の出立に馬を使わないことに決めた。理由は横井城にそもそも馬が少なかったこともあるが、貴重品の馬は盗まれでもすれば大損害であり、維持にかかる飼葉代も馬鹿にはならない。これからしばらくは浪人として慎ましくしなければならないのだから、馬など邪魔になるだけなのだ。
話を戻すと、俺は自分の歩く速さとスタミナに良い意味で驚いていた。保衡としての記憶があるから、この程度の体力があって当然とも思うが、ろくに運動もしていなかった竜次から見れば、アスリートの体力かとうれしくなる。
無論、戦国のもののふとしては、これでもまだ平均的なものとわかっているが、これからの長い徒歩移動が楽になるなら、諸手を上げて大歓迎である。
竜次と保衡の融合によって、かたや真面目、かたや不真面目と両極端な人間性が双方歩み寄った形になったようだった。生真面目な保衡の部分は、己が惰弱にならなければよいがと不安に思うも、怠け者な竜次の感覚でいえば、体力イコール出世というなら、ゴリラが天下統一しているだろうと主張する始末である。
偉大なことを成し遂げた人物が、ただ勤勉なだけでなく、時に奇矯、時に猟奇的な人物であることはよくある話だ。自分の変化もそれに近づいたのだろうか。
そう考えてしまうのもまた、竜次の影響だったかもしれない。
愚にもつかないことをつらつらと考えながら、足の運びはしっかりスタスタと地面を蹴る。
気づけば、二日前に訪れた仙石陣のあたりを歩いていた。すでに、仙石秀久率いる淡路勢の多くが移動して、残っているのは後詰か、輜重隊と思われた。
他国の陣法を垣間見ることも少ないことなので、キョロキョロと眺め回していると、騎馬武者と徒士の一組が俺の方へと向かってくる。二人を見た俺は、その顔に見覚えがあった。
「あれは…」
騎馬武者も、こちらの顔を認めて声を上げた。
「ああ、そなたは尾池玄蕃どの」
騎馬武者と徒士は、俺が仙石秀久のまえで卒倒した時に居合わせた男だった。騎馬武者は意外だといいたそうな表情で俺を見る。
「お身体は大事ありませぬのか?」
「はい。もうサッパリなんともございませぬ」
「なんと、あれほどのことがあったゆえ、命にも障りがあるかと思っておったら…」
「ご心配をおかけしたようで」
「いや、心配もなにも、そなたはあの騒ぎで隠居させられてしもうたらしいが、どうしてまたこのようなところにおるのだ?」
やはり、もう仙石秀久の周囲には、俺の卒倒と隠居の顛末が伝わってしまったらしい。
「はい、実は…」
俺は尾池一党の当主を退いたことは認めたが、隠居はせず、ついさきほど出奔してきた旨を伝えた。すると、騎馬武者は同情するように盛大なため息をついて言う。
「はぁぁぁ。そうであったか。なにやらそなたのことが他人に思われぬわ。手前、水野忠則と申す者だが、そなたと同じく出奔した身ゆえな」
水野忠則は何が面白いのか、ガハハと笑う。照れ隠しか?
俺よりもひとつふたつ年長らしい水野忠則は、気遣うように訊いてきた。
「それで出奔は良いとしても、これからなんぞあてはあるのか?」
貧乏は人を惨めにさせ、飢えるは死ぬよりつらいぞ。こぼした声には掛け値なしに本心からのものに聞こえる。
「縁者が備後にあり、まずはそちらを訪ねてみようかと考えておりますが」
俺の言葉を聞いて、水野忠則はいくども頷き、安堵を示す。
「そうだそうだ。そなたのようにしっかりと行き先を考えておるのなら良いのだ。手前など、いつも後先考えずに突っ走ってしまうので、いつも面倒ばかりよ。出奔したときも、実家から奉公構を出され、まともな仕官先など探しようがなかったわ」
奉公構とは、問題のある人物に出されるもので、この人物を雇うのなら、当家と事を構える覚悟をしろ、という宣言であった。
だがそれにしても、奉公構を出して、それなりに効果のある実家となれば、無名の地侍ではないということだ。思い切って訊いてみた。
「ところで、つかぬ事をうかがいまするが、水野どののお生まれはどちらで?」
「三河の刈谷だ。名乗っておいて隠してもしようがないゆえ、白状するのだがな」
三河刈谷の水野といえば、徳川家康とも縁浅からぬ一族である。まさかとは思ったが、こうも早く戦国の覇者に縁のある人物と知り合えるとは思わなかった。いずれ天下を得る大人物であるから、いつの日にか、縁を結びたいと思っていた相手である。
それにしても水野忠則に、刈谷の水野家から奉公構が出ているとすれば、生半可な家では突っぱねられないし、雇うにしても無名の侍とするほかないだろう。
しかし、なるほど、たしかにいくさの最前線でもなく、地味な輜重隊の護衛ならば、納得がいく。徳川や織田で最前線を戦い続けた水野の武将として遇されたなら、このようなところにいないはずだ。
「そなた、三河に何ぞ興味でもあったか?」
「三河といえば、あの徳川様でございますよ。水野どのは、海道一の弓取りと名高いその方にお目通りなさったことがお有りで?」
武功話は武士の嗜みである。今は亡き信長公の同盟者として、武田を破った長篠など、いくつものいくさが日本全国で語り草となっている。俺が徳川家康や水野一族を知っていたとて、変な目で見られることはなかった。
「ああ、三河の殿様ならば、幾度もな。手前の糞親父どのは水野忠重と申すのだが、その家康さまの母御と姉弟でな。手前はもったいなくも従兄弟にあたるというわけだ」
いくらかでも同じ血が流れておるというのに、月とスッポンよ。そう驚くほど快活に笑い飛ばす弁舌には、妙な魅力が備わっている。この水野忠則という男も、ひとかどの武将かもしれないが、あいにく竜次の記憶は戦国の人物について無知も甚だしい。竜次がもたらしたのは天下人の名と、馬より鉄砲が強い、というざっくりした印象。すでに終わってしまった本能寺の変と、これから起こる関が原の戦いぐらいである。また関が原も、豊臣方の大将が石田三成という男であり、徳川に負けた結末が関の山であった。水野忠則がどのような未来を描いていくのか、知るはずがない。
徳川家康の名を出されてから、俺が思案顔になったのに気づいた水野忠則は、兜の中に手を突っ込んで頭を掻きつつ、言葉を重ねた。
「そうか。そなたは仕官の先を探しておるのだな。すまぬが、三河の殿様相手に紹介することはかなわぬぞ。手前はほうぼうに迷惑をかけておるゆえ、偉そうに人を推薦できるほどの信がない。手前の口添えではかえって逆効果にしかなるまい。力になれず申し訳ないが」
「いやいや、ここで水野どのと知り合えただけで、有意義でござった。そのように言われずとも十分にて」
もしもこの男が家康から嫌われているのなら、下手に口添えなどされてはこれからの人生設計に大きな障害となるだろう。無理をいっても得はない。
「そうか。我らはともに出奔組。ならばできるかぎりの力添えをしたいところではあるのだが。なあ、又兵衛よ。そなたもそう思うであろう?」
水野忠則が話しかけたのは、馬の傍らに立つ徒士の男であった。雑兵の足軽と違って簡素な胴丸ではなく、家紋入りの具足をつけていた。それも、くたびれてはいたが、実用的かつ手入れが行き届いている。なお、家紋は下がり藤であるため、家名までは判然としなかった。
「水野様、拙者は出奔したわけではござりませぬ」
一緒くたに語られるのは納得出来ないとばかりに顔を背けた徒士の男、又兵衛は、俺や水野忠則よりも年上らしいが、まだ十分に青年の面差しであった。
「主家の没落で艱難辛苦しておったそのほうなら、寄る辺を失う哀れはわかろうが」
「それはわかりまするが、水野様は自業自得にございましょう?」
又兵衛は水野忠則を様付けで呼び、一応は立てているらしいが、二人の関係は主従というよりも同僚か朋輩といったところか。考えてみれば、奉公構を出された水野忠則が家来を同行させることなど経済的に不可能だろうし、又兵衛は仙石秀久につけてもらった仮の家来か。
又兵衛に突っ込まれた忠則は、言葉を失い、喉の奥でウググと呻く。
それが俺の中でどうにもツボにはまってしまい、こらえていた笑いを漏らして、二人から睨まれた。
ゴホンと咳払いして気を取り直した水野忠則は言った。
「いずれにせよ、そなたが備後にいくことは良かった。無思慮にさすらっておっては仕官のさきなど見つからぬからな。ついては高松より船を探しておるのであろう?」
「はい。顔見知りの漁師でも居れば、頼んでみようかと」
「なんとそのような暢気な考えであったか。今の瀬戸内は羽柴方の許しがなくば、対岸に渡ることなどできぬぞ。無理に押し通れば追っ手がかかるわ。又兵衛、そのほうが尾池どのについて船の手配をしてやってくれ」
「なぜ、拙者がそのようなことを…」
「手前は宇喜多に知り合いがいないのでしようがないではないか。そのほうなら、兵站のお役目で港に残った中にも一人二人は知人もおろうが」
なんで拙者が、などとぶつくさ言いつつ、不承不承の体を隠さなかった又兵衛だが、人が良いのか義理堅いのか、高松の港では親身になってくれ、知る顔を見ると船の都合ができそうな立場にある者を尋ね、昼前にはどうにか宇喜多の兵站を担う若侍に会うことができた。
若侍は俺と同じぐらいの年格好だが、万を超える軍勢のため、安全な物流を確保し、とくに本州との間を往来する船の差配を任されているという。
俺が名を明かして挨拶をすると、若侍も湯気が立つほどに温まった兜を脱いで、頭を下げる。
「明石景盛にござる。備後への船を探しているとか?」
同年代で活躍する明石景盛は、能力も人物も優秀なのだろうと考えた俺は、思い切ってこちらの事情を明かしてみることにした。卒倒して隠居させられたなど、惰弱の極みであり、もののふとしては恥であったが、今はこうしてピンピンしているのだし、たまたま運悪く最悪のタイミングでこういう巡り合わせとなることもある。竜次の生きた科学全盛の時代であるなら別だろうが、戦国の世は縁起や運、神の思し召しなどといったものがリアルに信じられている世界である。
案の定、明石景盛も同情したふうに言った。
「まさか、そのような運のないことがあるとは。見たところ、尾池どのはなんの病もなさそうに見える」
「それがし自身、身体に不調はないゆえ、どこか仕官先を探したいと思いましてござる」
「では備後などといわず、当家でも良いのではないか?城主として相応の務めを果たしてこられたのだろう?このたびのことで味噌がついたといっても、尾池どのの一党は健在なのだから、手腕もたしかといえよう。このように忙しい時ゆえ、猫の手も借りたいほどなのだ。備後におられる縁者の方はどのようなご身分なのか。そちらが期待できぬのなら、我らと共に働いてもらいたいほどだが」
思わぬ誘いに顔がほころびかけたが、すでに母上様から叔父上へ宛てた文を預っている。仕官先が決まるといえば、文など二の次で良いと母上様もお許し下さろうが、俺としてはせっかくなので叔父上の顔を見てみたい気もした。
「実は、縁者というのは叔父でござって、備後の津之郷に館を構えておりまする」
試しに、叔父の名がどれほど通るものか、告げてみることにした。
「何?津之郷の館とな。あそこにおわすのは公方様の一党ではないか。そなた、幕臣の中に縁者でもいるのか?」
明石景盛は足利将軍家譜代のものかと問いながらも、驚きから目をパチクリしている。
隣に立つ又兵衛も、意外そうな顔で俺を見た。
「それが、件の叔父というのが、公方様にござる」
そう伝えると、二人は息を呑んで半歩後退ってから、俺の父の名を訊いてきた。
彼らの目は期待に輝いており、俺としても期待に答えるべきだと思うから言ってみる。
いや、正直なところ、若干の自慢も入ってるんだけど。
「それがしの父は、先々代の公方様。今は亡き足利義輝にござる。あくまでも母や家臣に聞かされてきた話にございまするが、横井の城に残る母上様は、足利義輝の側室にして、烏丸小侍従と呼ばれた女人にございますゆえ、確かな話かと存じまする」
「「ま、真にござるか?」」
二人は、期待通りの反応を見せてくれたのである。
4月29日 読み返してみたら最初の一行がいきなり変だったので修正




