プロローグ
「おまえ、今夜って時間あんの?」
営業担当の上司が言う。
こりゃ、飲みの誘いかな、とオレは期待した。
上司は大柄で、恰幅がよく、頭はパンチパーマで、メガネにも紫色が入っている。
あまりにもそれらしい姿格好の人物なのだが、彼の振る舞いもまさしく想像を裏切らない期待通りのもので、ケータイが鳴ったと思えば、瞬時にしゃっちょこ張っていずこともしれぬ場所へと頭を下げたり、怒鳴り声で喚き立てたり、まれに勢い余って備品を腕力のおもむくまま粉砕したり、と会社の中に嵐を発生させる危険人物なのである。
だがしかし、そういった彼が知っている店は、とてつもなく凄い。
何が凄いかというと、天国である、と表現せざるを得ない、驚愕のサービスが繰り広げられるということだ。普段から様々な人々に、様々な接待を繰り出す達人であるところの上司は、常人に知りえない’HEAVEN’を知っているのである。
だから、オレは、内心で大盛上がりとなった期待感をひた隠しにしつつ、さりげなさを装って返した。
「大丈夫っすよ」
「じゃあ、ちょっと用事頼むわ」
えっ!
そうじゃないでしょ。正解は「久しぶりにいいトコ連れてってやろうか?」だろ!
せっかく隠していた期待感であったが、あまりにの予想外ぶりにビックリして、つい上司の顔をマジマジと見返してしまった。
「なんだ?大丈夫じゃないのか?」
いや、大丈夫なんですけど、、、ちょっと想定外っていうか。。。
「頼まれてくれたら、今までよりグチャグチャドロドロの濃厚なところへ連れて行ってやろうかと思ったんだが…」
「ああ、全然大丈夫っすから。なんでも言ってくださいよ。オレと○△◇さんの仲じゃないですか」
なるほど、それほどの場所に連れて行かれるのなら、交換条件もやむをえまい。そうならそうと速く言って欲しいです。
「そうか。悪いなぁ。別に難しい話じゃないんだけどよ」
そういった上司は、黒いボストンパックをオレに投げてよこす。
中には、何か紙片がたくさん入っているらしく、ガサガサと音を立てながら、結構重い。
「それをどこでもいいから、河原に捨ててきてくれ」
「不法投棄っすか?」
「お前、エロ本捨てに行ったことぐらい有るだろ」
「そりゃ当然ありますけどね。これエロ本なんすか?エロ本なら回収箱でも燃えるゴミでも、どうにでもなるでしょうに」
「いいんだよ。お前はこっちの趣味なんて把握しなくていいから、バッグを捨ててきてくれりゃいいんだ。そしたら、明日にでもいいとこ連れてってやるんだからさ」
そう言われたら、断る理由などないのだ。
不法投棄?それがなんだっていうの?みんな立ちションベンするんだろ?
あれも立派な不法投棄だよね。ハハハ。
善は急げと考えて、仕事が終わってからすぐに車で河原まで行く。
不法投棄など朝飯前というか、今は夕飯前なわけだけど、世間様におかれましては違法行為ってことになっているらしいし、目撃者がいるとこっちも困るので慎重に。
すでに薄暗くなった中、土手道を通る車が途切れた隙に、バッグを振りかぶる。どうせなら、遠くに投げてやんぜと気合が入ったせいか、勢いがつきすぎてバッグの口に隙間ができた。
これじゃ、投げる前に河岸に上司の極秘コレクションがぶちまけられちまう、と思ってチャックに手を伸ばして気がついた。
隙間から中が見える。
見えた中身はエロ本じゃない。ゼロが四つある、オフダだ。
そのオフダには魔力があって、人を興奮させられるし、物が欲しければ手に入るし、差し出せば人に言うことを聞かせられる、超レア、超大人気の…
「い、一万円札!!!!!」
そう。諭吉である。オフダはオフダでも、お札のオフダ。
その諭吉が、大勢、ぎっしり、タップリ、とたたずんでおられた。
なんで、なんで、あのバカ上司は、こんな嬉し恥ずかしいものを、捨てろなんて。
もったいなくね?
いや、もったいないよ。
これがあったら、凄いところにも行き放題じゃん。なんで捨てなくちゃいけないの?
アフリカの偉人も言ってるよ。
モッタイナイ、って。
だからオレは、自分の良心に素直に従って、無駄なことはしないと決めた。
捨てるはずのそれを、有効活用したい。
先輩がいらないってんなら、オレがもらう。そして、消費行動に費やして世のためになる。
例えば、車。外車とか乗り回したい。あとは、お酒。いつも飲めないような高っかいやつ、試してみたい。あとあと、ギャンブルも、競馬とかで札束を増やしたりして、それに、女も色々と。ムフフ。
遠大かつ有意義な計画を脳裏に浮かばせてから、もう一回、バッグを見る。
するとやっぱり、オレの諭吉がたくさん笑ってた。彼らはみんな友達だ。
オレも笑顔。
【それじゃあ、最後の人質を解放しなさい】
拡声器によって告げられた警察の声に、オレは素直に従った。
背後からオッパイをがっちりホールドしていた女子を解放する。すると、女子は何も言わずに全力ダッシュで銀行の外へと飛び出していく。
【よ~し。あとは君が危険物を置いて、出てくるだけだぞ】
そうだな。
そうしたら、オレは銀行強盗として捕まって、刑務所の臭い飯を食って、何年かお務めしたら、無職の前科者として解放されて。
もうダメじゃん。詰んでる。オレの人生終わった。
すべてはあのお金が悪い。いや、お金を渡した上司が悪い。
あれから、すぐさま豪遊を始めたオレは、何日も会社を休んで、酒池肉林の日々を送っていた。
だから、遠からず上司にバレるものとわかっていたんだけど、ちょっぴり怒られるかなと思っていたのが、とんでもない勘違いだった。
血相を変えてオレを捕まえた上司がいうには、あの諭吉は後ろ暗い出どころの悪い諭吉で、表立って使うことが良くない、世を忍ぶ諭吉であったらしい。だもんで、上司は川に捨てろとオレに頼んだらしいんだけど、オレが調子に乗って使いまくっちゃったせいで、税務署とか警察が色々と調べ始めていたらしい。
そんじゃあ、どうすりゃ許してもらえんの?って聞いたら、上司は言った。
「うちの会社がどんなところかわかってんだろ!もう遅えんだよ。お前は上の人達に殺される。それが嫌なら、使った金に色付けて返すしかねぇんだ」
この時点で、オレはもう四桁万円も使ってしまっていたから、マジで途方に暮れた。
四桁万円を都合できるほどの男なら、お金で浮かれないし、豪遊とかあり得ない。
でも殺されたくなかったし、うちの会社が危ない筋の関係だってことはわかっていたから、マジで殺られるかもって感じもした。上司からして、辛うじてカタギってだけだしね。
借金したくても、オレがそういう会社に勤めてて、そういう問題を持ってることは、五十キロ四方の金融関係者には広まっちゃってるし、借りてどうにかできるもんでもない。
そして、切羽詰まり過ぎてパニクった結果、工事現場からダイナマイトをかっぱらって腹に巻き、銀行へと押し入って今に至っている。
当然、無計画だった一発逆転大作戦も完全に失敗した。
ああ、もうダメだ。こりゃ、死んじまうしかねぇな。
もう色々と言葉に尽くせないこと、何もかもを諦め、手に持ったチャッカマンを点火する。
最後に思うのは、もっと楽しい人生を送りたかったな、というものだ。
導火線とチャッカマンの火を両手に持ち、にらめっこしていると、外からまた声がかかった。
聞き覚えのある声は、すぐにわかった。
母ちゃんの声だ。
【あんた。なに馬鹿なことやってるんだい?とにかくいいから、外に出てきておくれ】
母ちゃんの声は怒鳴り気味だったのが、次第に懇願調の涙声に変わる。
【ねえ、竜次。あんた、根っからの悪人じゃないって母ちゃんは知ってるよ。頼むから、出てきて顔を見せておくれよ。あんたがどんなことになったって、あたしはあんたの母ちゃんなんだ。刑務所に入ったって出てくるまで待ってるよ。どんなところで、どんなバカをしたって、あたしはあんたの母ちゃんなんだからね。だから、母ちゃんの言うことを聞いて、外に出てきなって】
オレはなんだか知らないけど無性に泣けた。
そんでもって、オレがどうしようもないバカだってこともわかった。
だから、今ぐらいは母ちゃんの言うことを聞こうと思って、大急ぎで外へ出た。
母ちゃん!
オレが扉から出ると、拡声器で増幅された母ちゃんの悲鳴が聞こえる。
【ギャアアアアアアアア!、あ、あんた、なんて格好してるんだい】
そこへ殺気じみた緊迫感を漂わせる警官の声が投げかけられた。
「あぶない、自暴自棄になってるぞっ」
「今にも点火しそうだ」
「射殺許可!」
物騒な言葉が飛んだのと銃声はほぼ同時だ。
ズドン。
オレは死んだ。即死じゃないけど、頭が撃たれたことはわかった。
なるほど、死ぬってことは、こんな感じか。正しくは、死にかけの状態なんだけど。
のちに新しい人生を得てから、振り返ってみてわかったことだが、この時、オレの手には導火線と、火のついたチャッカマンが握られていた。
はたから見たら、自爆テロ犯みたいなものだった。
そりゃ、射殺もされようというものだ。
とにかく、オレはこの時、決して償えない罪を背負った。
母ちゃんの前で射殺されたっていう、これ以上考えつかないほど最悪の親不孝。




