置かれた透明な石
ルミアはゆっくりと目を開けた。ぼんやりと霞む視界とともに、頭の奥がズシリと重い。
「……ん……?」
瞼を擦り、ゆっくりと体を起こす。見慣れた温室の天幕内のベッドの上。
「……エデン?…ノックス?ノア?」
声を出した瞬間、胸の奥がざわついた。いつもなら枕元に白ウサギが、腹の上に黒猫の重みが、ベッドの端にいるノアがいない。
(いない…うそ…あれは…夢じゃ…)
ルミアはベッドから立ち上がる。すると、天幕の入口から侍女のカナンが顔を出した。驚いて、ルミアに丸くした目を向けた。
「まぁ、お嬢様。お早いお目覚めですね」
まるで何もおかしなことがないような、いつもの声。ルミアは答えず、ふと、ベッド脇の机に、目が止まった。
「………なに、これ」
そこには透明な石が置かれていた。朝の光を受けて、七色に反射する石の断片。
ゆっくりと、その石に顔を近づけ、凝視する。そして鑑定を行う。
「え…見えない…?」
ルミアは魔法が使えないのかと、手に水球を作った。魔力は問題なく使えることに、少し安堵するも、ではなぜ女神の神眼で鑑定が使えないのか、思考を働かせる。昨日のことが紐づいて、思い出される。
(どうゆうこと…鑑定の文字がへんな記号になってたのは——)
「あ……」
そして昨夜の出来事を鮮明に、思い出す。あの不審な男の顔が脳裏をよぎった。彼女ははっきりとあの男の姿と顔を思い出し、ルミアの胸に言いようのない焦燥感が広がった。
翡翠の瞳、漆黒の髪、面長で、長身、心臓に響くような、低い声。
ルミアは身震いし、天幕を勢いよく飛び出した。
「お嬢様、まだお着替えが——」
ルミアには何も聞こえていない。彼女は急いでエデンたちを探しに、精霊たちがよくクッキーを食べるお茶机に視線を向けた。
そして——
「あら、着替えてないじゃないの」
「ははは、静かにしてたつもりなんだが、起こしてしまったか」
母エミリスが朝食を摂りながら、半目でルミアを見た。隣に座る父ボルトは気持ちよく笑いながらパンを片手にルミアを見た。
「え?」
仕事前の両親が温室の机で、食事を摂っていた。その同じ机で、精霊たちが当たり前のように少食を食べていた。
ノックスが肉にかぶりつき。
エデンは優雅にもぐもぐと。
ノアは足を組んで果物を口に運んでいた。
『はやいな、ルミア』
ノックスが手を挙げてルミアに合図するも、また肉に集中していた。
ルミアはぽかんと立ち尽くし、着替えるため、スッと天幕へと戻った。
(どうゆうこと…あれは夢だったの?…いや…そんなはず…)
ルミアが着替えて天幕を出ると、両親は先に仕事へと向かう、と娘に言って、母はルミアを抱きしめ、学園では振る舞いに気をつけなさいね、と小声で伝えた。父もルミアを抱きしめ、名残惜しそうに娘の頭を無言で撫でた。
(父様も母様も…いつも通り…確かめなきゃ)
両親がいなくなったところで、ノックスは椅子から降りて手をぺろぺろと舐めていた。ノアは鳥の姿に戻り、いつもの場所、ルミアの肩に止まった。エデンはそのまま優雅にお茶を飲んでいた。
「ねぇ、昨日の夜、どこ行ってたの?」
皆、首を傾げる。
『昨日?ここにいたぜ?普通に寝てた。朝にルミアの親が来て、飯をくれたんだ』
ノックスはいつの間にか黒猫姿になって毛繕いしながら答えた。肩にいるノアがルミアの耳元でボソッと呟いた。
『主…側にいた。眠った。飯、美味かった』
「ほんと!?だって…変な人、入ってきて…男の人……背が高くて…神眼が使えなくて…エデン!何か知ってたら教えてよ!」
精霊たちはルミアが何を言っているのかわからなかった。また変な夢でも見たのか、とノアが人型に変わり、ルミアを慰めようと後ろから包み込むように抱きしめた。
『ルミア、落ち着きなさい。またあの女神の影響じゃないの?私たちはいつも通り、ベッドで寝たわよ?』
「じゃ、じゃぁ……あの石は?あんなのなかったし、見たことない!それに神眼が使えないの!」
エデンはふわり、と宙に浮かび、ひどく怯える少女をそっと抱きしめた。顔を合わせ、体調が悪いのかと頬に触れる。
『体調が悪いわけじゃないみたいね』
「エデン!ほんとに変な人が入ってきてたの!知らない男だった…夢じゃない…王女の残穢でもなかった」
(だって…口に感触が…)
ルミアは体をぶるぶると震わせ、エデンにしがみついた。エデンは目を閉じてルミアの過去を覗こうと、少女の胸に手を当てた。
『ちょっと、見るわよ?』
「うん、見て!エデンたちもいなかったの…」
『うーん…見えないわ。ルミア、やっぱりそれは夢よ』
エデンは首を傾げて困った顔をルミアに向ける。ルミアは学園の制服の上着のボタンを外し、エデンに向けてシャツ姿を見せつけた。
「もっとしっかり見て!!夢だったら石なんて勝手に増えないよ!」
『もう…誘ってるの?』
「違う!!変なこと考えてないでよく見て」
エデンは自分の両腕で自分を抱きしめて、身悶え始めた。頬を赤く染めて目を閉じて恥ずかしそうに。真剣な主は必死に訴えているというのに、通常通りの精霊だった。
「もう!エデン!神眼が使えないんだよ!?エデンを見た時のような…文字が…いっぱいで…」
スッとエデンは無表情に変わり、ルミアに冷たく言い放つ。
『よかったじゃない。女神の加護なんて要らないのよ』
ルミアはむっと頬を膨らませて、女神嫌いの闇の精霊に向かって睨んだ。
「もう…いい!」
(知らない!)
ルミアは制服を着直すと、白銀の髪を灰色に染めることなく、早々に学園に向かった。カナンの声も聞かず、隠密メガネも付けず、屋敷を通って馬車に乗り込んだ。
温室では、残された精霊たちが優雅にお菓子を食べていた。カナンは精霊たちの優雅な茶会の世話に忙しい。
『なぁ、姉さん。ルミア、大丈夫か?』
『人間の女性は月の周期で気分が変わるのよ。特にルミアは成長がマナに影響されるでしょ?』
『え?どうゆうこと?』
黒猫は机の上にあぐらをかいてクッキーを口に一口。ノアは主のいなくなった温室の入口を見張りながらチョンチョンと、小さな嘴でクッキーを突く。エデンは優雅にお茶を飲みながら一息ついて、子供達にわかるように、わかりやすく話した。
『ルミアはね、今、進化前の精霊と同じよ。けど、人間はゆっくり成長して変わっていくの。私たちの体が痒くなったり、ソワソワしたりする感覚がルミアにずっと起きてるの』
『ルミア、進化するのか?何になるんだ!?』
『精霊みたいに大きな変化はないわ。ただゆっくり、植物が育つみたいに、美しく大きくなるのよ』
『なんだ、ルミアの親みたいに大きくなるだけか』
黒猫はクッキーをまた一口。ノアは机の上の粉々にしたクッキーを啄み、エデンはクッキーに手を伸ばした。
『女神なんて、いなくなればいいのよ…』
エデンはサクッと音を立てて、マッシュ・ノウベルの新作クッキーを口にした。カナンはルミアの髪を染めなかったことで、何か起きるんじゃないかと不安に感じながら、小さくため息をつくだけだった。
髪も染めず、メガネもしていない。ルミアは完全に——何者かに調子を狂わされていた。




