つまらない日常
「兄様は、俺が学園に行かない理由をご存知ですか?」
ヘラルドは16歳になったばかり。誕生日に望んだのは、兄弟3人での茶会。レオナルドはこの国の第一王子として毎日過密なスケジュールを過ごしている一方、弟のヘラルドは8歳の妹ジョアンナと共に王宮内から出ることがなかった。
「何か理由があったの?ジョアンナといつも一緒に宮殿にいるって聞いてるけど」
ヘラルドは自分の金色の柔らかい髪を掴んで、レオナルドに向かって示した。
「この髪、光にあたると光るそうです。瞳は兄様と違って神秘さが欠けるそうです」
弟は淡々と、ただ事実を述べた。それは学園の生徒に影で言われていた許しがたい悪口だった。兄と比べられて弟は不出来だ、と宮仕まで噂にすることがあった。不敬罪で処罰して以降、王宮内でヘラルドのことを口にするものはいなくなった。
もちろん、レオナルドはそのことについて、知っていた。だが、何も言わない。
「僕はヘラの髪、綺麗だと思うし、陛下に似た黒の瞳なんか凛々しいと思うよ」
「兄様はそうおっしゃいますが、周囲はそう捉えません。次期王は兄様で、俺には…」
レオナルドは表情を変えることなく、紅茶を飲んだ。向かいに座る8歳の妹は、人見知りで相変わらず俯いたまま。レオナルドの前ではいつも萎縮していた。レオは彼女に視線を向けるも、自分の膝を見るばかり。
(なぜ茶会なんて求めた?何が言いたい?)
「そう。だから学園には行かないし、護衛もいらないって陛下に言ったんだね。僕は別になんとも思わないよ。でも、僕は自分が王に相応しいなんて思ったことはない。周囲がなんと言おうと、ヘラルド、お前がなりたいと思うなら、お前が頑張ればいい」
冷淡に発せられたレオの言葉に、妹が疑いの目を向けた。そしてレオの顔を見て、怯えながら小さく訴えた。
「うそです…だって…お母様から聞きました。誰もが王妃として認める婚約者…がいらっしゃるではないですか」
レオは軽くため息をついて、立ち上がった。もう付き合っていられない、と言うように言葉を吐き捨てる。
「ルミアを見てどう思ったのか知らないけど、君たちと一緒にお茶は飲んだ。僕はやることがあるからこれで——」
「女神様なんでしょ!?ルミア様は…女神様の生まれ変わりなのよ!!」
「は?」
ジョアンナは立ち上がってレオナルドを引き止めようと、大きな声を出した。
——周囲の宮仕がざわつく。
王族の王女が、公爵令嬢に敬称をつけるなど、前代未聞の発言だった。レオはそれほどまでに妹は愚かなのか、と苛立ちを覚える。
「ルミア嬢と呼びなさい。それにジョアンナ、彼女が試合で見せた術はシドヴィスの技だ。それに女神様が生まれ変わるなんて、女神様への冒涜じゃないかい?簡単に口にしていいことじゃない」
ヘラルドも立ち上がり、ジョアンナの横に並んで妹を援護するように、兄の前に立ちはだかる。
「なら、どうしてあんなに強いのですか?それに、ジョアンナの目には彼女は光って見えたそうです。兄様は何を隠して——」
「いい加減にしてくれないか。ジョアンナ、僕たちは王族なんだ。発言に気をつけなさい。ヘラルド、お前もだ。王になりたいなら学業に専念して研鑽を積め。それから、ルミアは僕の婚約者だ。彼女に変な噂が立てば僕が迷惑し、彼女の家名にも傷をつける。お前たちにその覚悟はあるのか?」
ヘラルドもジョアンナも兄レオナルドに向かって睨み続けていた。そして、ヘラルドは手を挙げ、宮仕に下がるよう指示を出した。
その様子にレオは深いため息を吐いた。まだ、何かあるのか、と頭をかかえる。
「兄様、俺たちは兄様が次の王に相応しいと思ってます。けれど、彼女を初めて見たジョアンナが、ルミアのことを恐れているんです。術とか強さとかの問題じゃなくて、厄災をもたらすのではないか、と心配しています」
ヘラルドはレオに必死に懇願するように訴えた。ジョアンナも彼に続けて宮仕がいなくなったことで、レオに訴える。
「ルミア様を一眼見た時から悪寒が止まらないんです。兄様、私は嘘や出まかせを言ってるのではありません!きっとこの国に酷い災いを起こす——」
「何を言ってるんだ?お前たちはルミアの何を知ってるんだ?」
「ですが兄様、確かなんです!彼女の周りの空気が——」
「黙れ。僕はこれで失礼するよ。もうこれ以上戯言を聞きたくないからね」
「兄様!」
レオは憤り、部屋を飛び出した。ヘラルドとジョアンナは互いに手を繋ぎ、兄を心配して囁いた。
「兄様はわからないんだよ。ジョアンナ、ルミアが光ってたこと、母様に言ったんだろ?」
「…伝えたよ…でも…神々しいからだとか、女神の加護を持ってるからだとか、そんなことしか言わないの…」
「ちゃんと色まで伝えたのか?黒く光っていたって」
「言ったの…でもそれは光の影よって…レオ兄様は聞く耳すら持ってくれないわ…」
ヘラルドは妹の頭を撫で、抱きしめた。ルミアの姿を試合で見た時、ジョアンナはレオの自然に微笑む姿を初めて見ていた。まるで恋焦がれるようなその顔に、虫唾が走ったのだった。
それは妹としての嫉妬だったのか、本当にルミアを恐れてのことだったのか、レオにとってはどうでもいいことだった。
王宮には5つの建物がある。主に政治事を行う建物は、通常時、王が滞在する中央の宮と呼ばれる。
その宮の北に、三公爵や貴族との会談を行う建物があり、左にある宮殿には、女神を祀る大教会がある。右側には社交の場など、来賓用に作られた迎賓館がある。そして一番奥にあるのが王族専用の居住区域。
その周囲を囲むように護衛のための塔や建物が立ち並び、外から見えないように、大きな塀で囲まれていた。王族はやんごとなき種族。彼らの生活は、限られた者たちにしか見ることを許されない。
レオナルドはその塀に近づき、昼間の太陽を見上げた。胸ポケットから時計を取り出して、門番へ声を掛けた。
「まだかな?」
「…もう少しで整いますので、お部屋にてお待ちください」
「いや、ここで待たせてもらうよ。それに——ここは窮屈なんだ…」
「……」
門番はレオの声がうまく聞き取れなかったようで、首を傾げていた。なんとか弟と妹の茶会から抜け出せたレオは、ゼノヴィスから緊急招集を受け取っていた。暗号化されたその手紙は、学園で問題を起こした令嬢の家族が宮仕として持ってきた。彼らはジャベリンの使いとしてよく働く。
(ついに迷宮正常化は終わったけど、次は結界が緩み始めた。なんとか精霊王が枯れ果てる前までに、マナを集め、ルミアをここまで連れてこないといけない…)
(試合の翌日にアヴァロフ公に伝えるなんて…ルミア、大丈夫かな…)
17歳の少年は、婚約者の家へと行く馬車の用意に、焦る気持ちで、門の前まで歩いて待っていた。王宮の見張りに見守られながら、馬車が来るのをひたすら待っている。
(きっと、まだ泣いてる…マナのせいもあるし、僕が力になれれば…)
レオは彼女のことで頭がいっぱいだった。
誰かに見られていることなど、気にならないほどに———。
王宮の居住区、最上階に王妃セレンスに会いにきていた現王、フラニール。息子のレオナルドの銀髪がチラリと窓から見え、はっきりと視界に入った。下に見える城壁に立ち、顎に手を当て、考え込んで何かを待っていた。
妻に目をやると、母と外交の話に夢中で、書類に目を向けていた。彼女たちの会話を遮るほどでもないその情景に、王はただ、静観する。
きっと馬車を待っているのだろう、と思った。だが、なぜこんな時間から外出をするのか、とも思った。きっと婚約者のルミアを心配して訪問でも行くのだろう、と推測した。
自分にもそんな若かりし頃があったな、と珍しく感慨に耽った。
第45代グランパール魔法王国国王、フラニール・ゴードン・グラン・ド・パール。
建国から長く続いてきた王位は、1120年。他国からの侵略や魔物の脅威から守られてきた歴史がある。
建国当初の記録は、ない。だが、建国後の200年前後からの記録があった。
それまでの記録や書物は、戦乱期が原因で紛失した、と始まる書物しかなかった。
私がまだ第二王子だった若かりし頃、前王に一度尋ねたことがあった。なぜ建国期の記録を調べようとしないのか、と。
父の答えは短く、必要ないからだ、と。
そして母は、はやく王になるため、取捨選択を磨くように、と続けた。
病に倒れた兄の代わりに、急遽自分が王位を継ぐことになった為だ、と自分でもわかっていた。
納得する時間などなく、ここまで走ってきた。今では次期王のレオナルドが才覚を現し、いつ退位しても良いほどの逸材へと成長した。
平和なこの国に必要な力、人気、人望、全てをレオナルドは持っている。未来の王妃になるルミアにも、多くの期待を、国民も臣下も寄せている。
妻も母も、何も問題なく、朗らかに過ごせるほど順調で、外交に手を伸ばしても問題がない。
何も言うことはない。
そう。何一つ、問題などないのだ。
取捨選択を間違えるな。
迷宮がどうなろうと、アヴァロフが手を下した。
ジャベリンが収めた。
ヘイレストが治した。
それを許可し、命を下した。
それが私の役目だからだ。
レオナルドが恐ろしい、とジョアンナが言うのは、それだけ威厳や気迫があるからだろう。
ヘイレストが女神の加護の報告を渋るのも、きっとやむを得ないこと。
ジャベリン家の、あのシドヴィスがルミアに付いているのも、レオナルドに会うのも、アディウスの代わりだと。
考えることは、平穏を保つこと。
そんな瑣末ごとは、全て三公爵の役割。
…そうだ。問題などない。
そう。何も問題などない。
——そうでなくてはならない。




