6.『塗り潰せない血筋(ブラッド・ライン・ノイズ)』
世界が「完」の余韻に浸っていたのは、ほんの束の間だった。
空に浮かんだ白抜きの文字が消え、街が夕闇に包まれ始めた頃、俺のポケットでスマホが狂ったように震えだした。着信画面には「非通知」の四文字。だが、ただの迷惑電話じゃない。画面の端から、まるで物理的な浸食のようにドス黒い「ノイズ」が溢れ出し、ログインパスワードさえ無視してビデオ通話が強制起動したのだ。
スピーカーから漏れ出たのは、鼓膜を直接やすりで削るような不快な電子音。
画面に映し出されたのは、あまりにも解像度が低く、輪郭がガタガタに崩れた男の顔だった。かつてこの国を「ドブネズミ色の静止画」に変え、国民の血税を『中抜き』という名のアジテートで吸い尽くした男。
――旧政府の最高権力者。そして、俺の実の父親だ。
『……久しぶりだな、我が息子よ。私の築き上げた「至高の手抜き(ミニマリズム)」を台無しにしてくれたのは、お前か』
男は、かつての権力者の面影を微塵も感じさせない、ノイズまみれの歪んだ口角を釣り上げた。その背後には、テクスチャが剥がれ落ちたコンクリートの壁が見える。
「……親父。まだ、そんな見苦しい画質で生きてたのか。もうあんたの出番(尺)は終わったんだよ」
俺の声は、自分でも驚くほど冷えていた。だが、画面越しの親父は余裕を崩さない。
『フン、美しさに酔いしれるがいい。だが忘れるな。お前の指先には、私と同じ「予算を削り、手間を省く」冷徹な血が流れているのだ。今お前が描いているその神々しい線も、いずれは摩耗し、妥協し、私が描いた「絶望のラフ画」という名の現実に飲み込まれる。遺伝子は嘘をつかんよ……』
一方的に通信が切れると、スマホの画面はひび割れたように暗転した。
心臓の鼓動が、耳の奥でうるさいほど鳴り響く。その時、静まり返った俺の前に、排気音ひとつ立てない漆黒の公用車が滑り込んできた。
後部座席から降りてきたのは、新政権の要――あの官房長官だった。
街灯の光を反射する彼女の瞳は、まるでスキャナーのように俺の内面を、そして俺の「血筋」さえも完全に見透かしているようだった。
「……通信の内容は、こちらでも傍受していました。あなたの父親が、この国の『国家作画予算』をすべて隠し持ったまま潜伏しました」
彼女は淡々と、けれど拒絶を許さないトーンで続けた。
「今の日本が享受しているこの美しさは、言わば『前借り』されたクオリティです。消えた予算を取り戻し、彼を止められるのは、その『手抜きのロジック』を唯一知る、身内のあなたしかいません」
「……俺に、親父をリテイク(修正)しろってのか」
俺は震える手をポケットに突っ込み、彼女を睨みつけた。
「あんたたちも同じだ。俺の血筋を知っていて、道具として使うつもりなんだろ」
「いいえ。道具ではなく、筆になっていただきたいのです」
彼女は一通の辞令書を取り出した。そこには、新政権の金色の紋章が刻印されている。
「あなたがやるべきは、父の遺した『負の遺産』という名の塗りつぶしを、圧倒的な熱量で描き変えること。……本日付で、あなたを**『国家作画監督(内閣官房参与)』**に任命します。日本という名の作品を、真の完結へと導くために」
手渡された辞令書は、驚くほど重かった。
俺は、夜空を見上げた。そこには、親父がかつて消し去ろうとした星々が、残酷なほど鮮やかな作画で瞬いていた。




