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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: 伊達ジン
第4章 公私混同の同棲生活

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第57話 深夜のコンビニ、再び

 木々の葉がすっかり落ち、吐く息が白く形を成すようになった初冬の夜。

 俺は、ダウンジャケットの襟を立てながら、レオと共に静かな遊歩道を歩いていた。


「……サクッ、サクッ」


 俺の足音に混じって、少し軽やかな音が響く。

 レオが、歩道に吹き溜まった乾いた落ち葉の上を、わざと選んで歩いている音だ。

 以前のような、何にでも突進していく無鉄砲さは少し鳴りを潜め、最近の彼のお散歩はとてもまったりとしたものになっている。

 リードを強く引っ張ることも減り、俺の歩幅に合わせて、トコトコと隣を歩いてくれるようになったのだ。

 だが、決して好奇心が消え去ったわけではない。

 カサカサと鳴る落ち葉の感触が肉球に心地よいのか、わざと葉が深く積もった場所へ足を踏み入れては、フンスッと鼻息を鳴らして熱心に匂いを嗅いでいる。


「楽しいか、レオ」


 俺が立ち止まって声をかけると、彼もピタリと足を止め、クルッと振り返った。

 街灯の光を受けてキラキラと輝く真っ黒な瞳が、俺を見上げる。麻呂眉のような茶色の斑点が、少しだけ持ち上がる。

 そして、短い尻尾をふわりと揺らし、「うん」と答えるように小さく鼻を鳴らした。


「そうか。でも、そろそろ冷えてきたし、ママが待ってるから帰ろうな」


 俺がリードを軽く引くと、レオは素直に俺の横につき、再びサクサクと落ち葉を踏みながら歩き出した。

 その丸みを帯びた背中と、ピンと立った三角の耳を見下ろしながら、俺は自然と頬が緩むのを感じていた。

 冷たい夜風も、隣にこの小さな相棒がいるだけで、どこか温かく感じられる。


 マンションのエントランスを抜け、エレベーターで上階へ。

 玄関のドアを開けると、暖かい空気と、微かな甘い香りが俺たちを出迎えた。


「ただいま」


「わふっ」


「……おかえりなさい。寒かったでしょ?」


 リビングから顔を出したのは、妻の雪だ。

 彼女は、ゆったりとしたクリーム色のニットワンピースを着て、髪を無造作にお団子にまとめている。

 手には、読みかけの分厚い洋書が握られていた。会社での冷徹な表情はすっかり鳴りを潜め、完全にリラックスしたオフの顔だ。


「外は結構冷え込んでるな。レオは落ち葉遊びを満喫してたけど」


 俺がタオルでレオの足を拭いてやると、彼はすぐさま雪の元へ駆け寄り、その足元にスリスリと身を擦り寄せた。


「ふふ、いい子ね。足、冷たくなってる」


 雪はしゃがみ込んでレオを優しく撫でながら、俺を見上げた。


「……ねえ、一郎。お腹、空かない?」


 壁の時計を見ると、22時を回ったところだった。

 夕食は早めに済ませていたので、確かに小腹が空く時間帯だ。


「そうだな。何か作ろうか。冷蔵庫にうどんがあったはずだし、温かいにゅうめんでも……」


「ううん、手料理じゃなくて」


 雪は立ち上がり、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「たまには、『あの味』が恋しくなったの。……原点の味」


 その言葉に、俺は少し驚き、そしてすぐに合点がいった。

 俺の作る夜食もいいが、彼女のソウルフードとも言える、あのジャンクで、でも心に深く染みる味。


「……深夜のコンビニか?」


「ええ。たまには、あの空気の中で、ジャンクなものを食べたくなったのよ。……付き合ってくれる?」


 断る理由など、どこにもない。

 俺たちの、すべての始まりの場所なのだから。


「もちろん。着替えてくるよ」


 数分後。

 俺たちは、あえて少しラフな格好で玄関に並んだ。

 俺は着古したパーカーにダウンベスト。

 そして雪は、なんとクローゼットの奥からあの「えんじ色の芋ジャージ」を引っ張り出してきていた。

 中に着ているTシャツの文字は、達筆な筆文字で『温故知新』。


 ……相変わらず直球だな。


「……気合が入ってるな」


「当然よ。あの場所に行くなら、正装で行かないと」


 彼女は真面目な顔で言い、俺の右手に自分の左手を自然に絡めてきた。

 お互いの薬指には、シンプルなプラチナの結婚指輪が静かに光っている。


「留守番頼むな、レオ」


 ケージの中で丸くなっているレオに声をかけ、俺たちは夜の街へと歩き出した。


 外の空気は刺すように冷たいが、繋いだ手から伝わる彼女の体温が心地よい。

 以前は、誰かに見られないかとビクビクしながら、少し距離を空けて歩いていたこの道。

 今では、堂々と肩を並べて歩けることが、何よりも嬉しかった。


 徒歩数分で、見慣れた看板の明かりが見えてきた。

 自動ドアをくぐると、入店チャイムの電子音が、静かな店内に響き渡った。


 深夜特有の、少し気だるげで、でもどこか安心する匂い。

 レジカウンターの中には、見慣れた女性が立っていた。

 無造作なアッシュブラウンの髪に、どこか芸術家のような独特のオーラを纏う深夜の店員、長谷川さんだ。


 彼女は手元の作業を止め、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、俺たちの姿――特に、堂々と繋がれた手と、そこで光る指輪――を見ると、その大きな瞳をわずかに見開き、やがてふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。


「……いらっしゃいませ。お久しぶりですね、マエストロ、そして黒猫さん」


「こんばんは、長谷川さん。ご無沙汰してます」


 俺が会釈をすると、雪も横で小さく頭を下げた。


「……こんばんは。今日は、少しご報告があって来ました」


 雪がそう言うと、長谷川さんは静かに頷き、俺たちの手元に視線を落とした。


「……ええ。拝見しております。ついに、お二人の極上のアンサンブルが、一つの美しい完成形を迎えたのですね」


 相変わらずの、詩的で核心を突く表現だ。


「はい。正式に夫婦になりました。……あの時は、素敵なケーキをありがとうございました」


 俺が言うと、長谷川さんは目を細めて、心底嬉しそうに笑った。


「おめでとうございます。私が観測してきた中で、最もハラハラして、最も美しい旋律を奏でるお二人でしたから。……これからも、この店はいつでもお二人の休息の場として開けておきますよ」


「……ありがとう、長谷川さん。また、お世話になるわ」


 雪が照れくさそうに笑う。

 長谷川さんからの静かで温かい祝福を受け取り、俺たちは店内へと進んだ。


 チルドコーナーの前に立つ。

 色とりどりの弁当や惣菜が並ぶ中、俺たちが手を伸ばしたものは決まっていた。

 俺は、電子レンジで温めるタイプの『具だくさん豚汁』を。

 雪は、シンプルな『塩むすび』を一つ。


「……やっぱり、これよね」


 雪が塩むすびを見つめながら、ぽつりと呟いた。


「ああ。俺たちの始まりの味だからな」


 俺たちはそれらをレジへ持っていき、温めてもらった。

 会計を済ませる。

 向かう先は、もちろん、安全で暖かいこの店のイートインスペースだ。

 極寒の冬の深夜、外の公園のベンチでこれを食べるのは、コンシェルジュの絶対の安全基準に反するからな。


 深夜のイートインコーナーは静まり返っている。

 俺たちは椅子に並んで座り、温かい豚汁の蓋を開けた。

 根菜と味噌の、ホッとする香りが立ち上る。


「いただきます」


 雪が塩むすびの包みを開け、小さく齧った。

 そして、豚汁のカップを両手で包み込み、ゆっくりと一口すする。


「……んっ。……美味しい」


 彼女は目を閉じ、深く息を吐き出した。


「高級なレストランのスープも、一郎が作ってくれる本格的な中華も大好きだけど。……やっぱり、この豚汁と塩むすびの味は、特別だわ」


「……恩着せがましいお節介だったよな、あの時は」


 俺が苦笑いしながら言うと、雪は目を開け、俺の肩にコツンと頭を預けてきた。


「そんなことないわ。あのお節介がなかったら、私、今ここにいないもの」


 彼女の声が、静かなイートインの空気に溶けていく。


「ふふ。……その『お節介な部下』と、まさか結婚するなんてね」


 彼女は俺の腕に自分の腕を絡め、左手を俺の左手に重ねた。

 プラチナの指輪同士が微かに触れ合う。


「……一郎」


「ん?」


「私を、見つけてくれてありがとう。……私を、甘やかしてくれてありがとう」


 その言葉は、豚汁の湯気よりもずっと温かく、俺の胸の奥底まで染み渡っていった。

 俺は豚汁のカップを置き、彼女の肩を抱き寄せた。


「……俺の方こそ。俺の料理を、あんなに美味しそうに食べてくれてありがとう。……俺に、帰る場所をくれてありがとう」


 俺が囁くと、彼女は顔を赤らめ、俺の胸に顔を埋めた。


「……もう。何クサいこと言ってるのよ」


「原点回帰だからな。たまにはこういうのもいいだろ?」


 俺たちは顔を見合わせ、静かに笑い合った。


 あの頃、互いの名前も知らないまま、ただカロリーという名の秘密を共有していたこのイートインスペース。

 今は、同じ家に帰り、同じ未来を歩む夫婦として座っている。

 変わったものと、変わらないもの。

 その両方が、今の俺たちを形作っている。


「……冷める前に、食べきっちゃおう。レオも待ってるしな」


「ええ。……明日も仕事なんだから、早く寝ないとね」


 俺たちは再び豚汁と塩むすびに向き合い、その素朴で優しい味を、じっくりと噛み締めた。

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