009 言霊貯金
「それで大地。今日のこと、忘れてないよね」
青空の言葉に、大地が一瞬固まった。
カレンダーの赤丸を見て、「そうだった……」そう呟いた。
「やっぱりか。迎えにきてよかったよ」
「悪い。色々あってすっかり忘れてた」
「今日は結構な人数だからね、人手はいくらあっても足りないんだよ」
「何時からだっけ」
「14時から。だから慌てなくていいよ」
大地と青空が当たり前のように話を進める。自分には関係ないことだ、そう思った海が、カップを洗おうと立ち上がった。
その時青空が、不自然に声を上げた。
「そうだ! 人手ならここにもいたんだった! ねえ海ちゃん、暇だったらなんだけど、手伝ってくれないかな」
「手伝いですか?」
「うん。さっきも言った通り、今日はちょっと忙しくなりそうなんだ」
「お世話になってますし、私なんかでも手伝えるのでしたら」
「よーし! 人員一名ゲット!」
「おいおい青空姉、強引に進めるなよ」
「いいじゃんいいじゃん。これもお互いを知るいい機会でしょ? あ、そうだ大地。煙草きらしてるんだ。買ってきてくれない?」
「本数、守ってるよな」
「大丈夫だって。ちゃんと守ってるよ」
「分かった。じゃあちょっと買ってくる。海は大丈夫か?」
大地がそう聞くと、海は笑顔でうなずいた。
「子供じゃないんだから。大丈夫だよ」
「ちょっとちょっと。私と二人にするのが危険みたいじゃない」
「みたいじゃなくて、危険だからだよ。いいか海、変なこと聞かれたら無理に答えなくていいからな。すぐ帰ってくるから耐えるんだぞ」
「いいからさっさと買ってこいって。このままだとお姉ちゃん、ニコチン切れで倒れちゃう」
「分かった分かった。じゃあ行ってくるな」
「さてさて……ほんと、厄介事に愛されてるよね、あいつ」
青空がそう言って、煙草をくわえ火をつけた。
なるほど。自分と二人で話したくて、大地を追い出したんだ。そう思い、海が表情を引き締める。
「さっきも言った通り、詳しい事情を聞こうとは思ってないよ。海ちゃんが家出少女だってことも、大地が咄嗟についた嘘だって分かってる」
「……」
「教えといてあげるよ。あいつね、嘘をつく時は視線を右下に下げるんだ。ほんと、分かりやすいんだから」
「じゃあ青空さん、どうして私を受け入れてくれたんですか」
「それはね、海ちゃんのこと、気にいったってのが一番の理由」
「……」
「どんな事情かも、どうやってあいつと出会ったのかも知らない。でも海ちゃんを見てたらね、面倒みたくなるのも分かるなって思ったの」
「……ありがとうございます」
「あとはそうね、あいつが他人に興味を持ったみたいだったから。これって結構レアなんだよ」
「レア、ですか」
「うん、そう。付き合っていけば分かると思うけど、ほんとあいつ、他人に興味がないんだから」
青空にそう言われ、なるほどと海は思った。
昨日から今日まで。確かに彼は、私の本質に迫ろうとする行動を一切見せてない。
私が死ぬつもりだと言っても、引き留める素振りも見せない。それどころか、いつ死ぬんだとぶっきらぼうに聞いてきた。
そんな彼が、私に興味を持ってる? 否定しようとしたが、それならどうしてあの時、男から私を助けたの? そんな疑念が脳裏をよぎった。
「どんな理由であれ、あいつが自分から面倒をみると言った。だから私は信じた。姉だからね」
そう言った青空の笑みに、海もつられて笑った。
「……自分のこと、出来れば青空さんにも打ち明けたいって思ってます。でも……すいません、今はまだ勇気がなくて」
「出来た時でいいよ。私は基本、無理強いしない主義だから。どんなことでも相手の気持ちを尊重したい。だって海ちゃん、立派な大人なんだし」
こういう考え方、大地と同じだな。流石姉弟、そう思った。
「あの、それでなんですけど……これからどこに行くのですか?」
「ん? ああそうだね、説明しとかないとね。私たちは今から、喫茶店で接客するの」
「接客……ですか」
「苦手?」
「苦手ってほどじゃないですけど、得意でもないって言うか」
「そうなんだね。でも大丈夫だよ。スタッフは私と大地、そしてオーナーの三人だけ。それに今日のお客さんは、海ちゃんが想像してるような人たちじゃないから」
「それってどういう」
「行けば分かるよ。それにまあ、その場で無理って思ったら、休んでていいからさ」
「は、はあ……」
行き当たりばったりと言うか、出たとこ勝負と言うか。
この人やっぱり面白い。そう思い、海はうなずいた。
「分かりました。お役に立てるか分かりませんが、頑張ってみます」
「あはははははっ、元気があってよろしい。でもまあ、無理しないようにね」
そう言って二本目の煙草をくわえた時、大地が帰ってきた。
「ただいま……って青空姉、なんで吸ってるんだよ」
「やばっ……もう帰って来たんかい」
「早くて悪かったな。海が心配だったからな」
「ほおおっ、お優しいことで」
「うっせえよ。ほら煙草」
「サンキュー」
「それ、二本目だよな。残り三本だからな」
「わーってるって。ちゃんと守ってますよ」
「海、大丈夫だったか?」
「うん。色々お話し出来て楽しかったよ」
「変なこと聞かれなかったか?」
「大丈夫だって。心配してくれてありがとう」
「おうおう、アラフォーの姉の前で見せつけてくれちゃって」
「だーかーら、そんなんじゃないって言ってるだろ」
「あ、そうだ海ちゃん。もうひとつ、大事なこと聞きたかったんだ」
「人の話を聞けって」
「うるさいうるさい、弟は少し黙ってろ。海ちゃん、嘘はなしで正直に答えてほしいんだけど」
「なんでしょう」
「出会ってから今までで、こいつ何回死ぬって言った?」
「ぎっ!」
「え……」
「いやね、こいつってば、口癖のように死にたいって言うんだよ。そんな気がない時でも、それがさも当然なような顔で口にするの。
でもね、言霊ってあるじゃない? 嘘でもそんな言葉を吐いてたら、そういう方向に人生が進んでいくと思うんだ。だから私、いつもこいつを見張ってるの」
「……」
自分も今、そうなんです。そう思った。
「楽しい、嬉しい、幸せだ。無理にでもそういう言葉を口にしてたら、気持ちもそういう風になっていく。マイナスの言葉を口にしてたら、どんどん心が沈んでいく。そう思わない?」
「そ、そうですね……言われてみたら、確かにそんな気がします」
「でしょでしょ? それでどう? こいつ、何回死ぬって言った?」
「ええっと……」
さりげなく大地に視線を移すと、大地は諦めた様子で両手を上げた。
「こいつのことは気にしなくていいよ。大丈夫、逆恨みなんて私がさせないから」
「具体的な回数までは覚えてませんが……そうですね、何回か口にしてました」
「よろしい、よく言ってくれた。おい大地、あれ持ってこい」
「分かったよ」
大地がため息をつき、スチール製の貯金箱を青空に渡した。
「海ちゃん、だいぶあんたに気を使ってるみたいだね。かばいたいって気持ちがひしひしと伝わってきた。そんな海ちゃんに免じて、5回で許してやる」
「5回もかよ」
「何言ってるのよ。今の海ちゃんの言い方だと、絶対それ以上言ってたでしょ」
「はいはい、5回分ね」
そう言って、大地は財布から2500円を取り出し、中に入れた。
「青空さん、それって」
「これは罰金なんだ。一回死ぬって言うたびに500円」
「なるほど……」
「この貯金箱で何個目になるのかな。とにかくこいつ、何かあったらすぐ死にたいって言うから。罰金制にでもしないと、際限なく吐きまくるんだ。
そういう訳だからさ、こいつのこと、しっかり見張っててね。罰金がたまったら、海ちゃんの好きに使っていいから」
「おいおい、何勝手なこと言ってるんだよ」
「いいえ、これは決定事項だから。今日この時、この瞬間に私が決めました」
「全く……」
笑顔で話す青空。呆れ気味にため息を吐く大地。
二人を見ながら、海はいつの間にか笑顔になっていた。
ここにいると、気持ちが温かくなっていく。ほんと、不思議な人たちだな。
そう思いながら。