008 清水青空
大地の姉を前にして、海は無駄に緊張していた。
これっておかしくない? 別に私、大地と付き合ってる訳でもないんだから。
昨日出会ったばかりの他人、そのお姉さんってだけのこと。
緊張なんてしなくていい、普通にしろ、私。
そう自分に言い聞かせるが、興味津々な姉の視線に変な汗が止まらなかった。
「ほら、コーヒー」
大地が姉にカップを渡す。そして海にも渡すと、そのまま姉の隣に座った。
おいおい大地! なんでそっちに座るんだよ!
二人して私の前に鎮座して。これじゃほんとに、私の品評会じゃないの!
海が心の中でそう叫んだ。
落ち着きなくコーヒーを飲み、姉に作り笑顔を向ける。
「……」
そんな海を姉が凝視する。
最初は戸惑っているようだった。しかし今は、弟にふさわしい女かどうか見定めているように見えた。
空気が重い。大地、なんか喋りなさいよ、そう思った。
そして同時に。海は姉の容姿が気になっていた。
大地を抱きしめている時。姉が小柄な女性だということは分かった。頭ふたつ分、大地より小さい。
普通に見れば可愛い女性だ。しかし海は、その体型にも違和感を感じていた。
痩せている、と言えば聞こえがいい。だがそんな言葉で表現出来ないほど、姉は華奢な体型をしていた。病的と言っていいぐらいだ。
そしてもうひとつ。
彼女の右目は眼帯で覆われていた。
「気になる?」
視線に気付かれた、しまったと思った。しかしもう遅かった。
海が神妙な面持ちで頭を下げる。
「す、すいません、その……じろじろ見ちゃって」
「あはははっ、素直でよろしい。まあでも気になるよね、こういうのって」
そう言って姉が眼帯に触れた。そして次の瞬間、肩を震わせてうつむいた。
「え……え? え?」
突然のことに海が動揺する。
「うずく……うずくんだよ、この目が……」
「だ、大丈夫なんですか」
「まだだ、まだその時じゃない。だから……力を解放するんじゃない、私の右目……」
「……」
「そういうボケはいいから。海が反応に困ってる」
大地がそう言うと、
「あはははっ、ごめんごめん。分かりにくかった?」
姉が頭を掻いて笑った。
「いや、分かりにくいって言うか、そういうボケは相手見てやれってことだよ。誰でも彼でも分かるネタじゃないんだから」
何のことかよく分からない。海の脳裏にいくつもの「?」が浮かんだ。
「ごめん、ごめんって海ちゃん」
「あ、いえその……って、海ちゃん?」
「あれ? 名前、合ってるよね。星川海さんだったよね」
「そうですけど」
「だから海ちゃん。苗字で呼ぶよりしっくりくる」
独特の空気感で距離を縮めてくる姉に対し、海が困惑の表情を浮かべる。
でもこの距離感、嫌いじゃない。不思議な人だな、そう思った。
「私はこいつの姉、清水ソラ。青空って書いて青空。よろしくね、海ちゃん」
そう言ってにっこり笑った。
清い水の青空。うん、やっぱ統一性がない。流石姉弟、そう思い微笑む。
「可愛いね、笑顔」
「そ、そうですか?」
「うん、私好みだ。それだけで海ちゃんがどういう人なのか、分かる気がする」
私こそですよ。青空さんの笑顔、ほっとします。
そう思い、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「さてさて。それじゃあ無事挨拶も終わったことだし。大地、説明してもらおうか」
「無事でもなんでもないけどな。まあ会ってしまった訳だし、説明はするよ」
「なんだよその言い方。私はお姉ちゃんなんだぞ」
「ちっこいけどな」
「ちっこいって言うな」
そう言って青空が頬を膨らませる。
「こいつは海、星川海だ」
「それは知ってる」
「女だ」
「それも知ってる」
「歳は25で」
「それは知らなかった! 海ちゃん、そんなに若いんだ!」
目をキラキラさせて青空が見つめる。そして「いいなぁ、若くって」と羨ましそうに呟いた。
「青空さんだってお若いじゃないですか。それにお綺麗ですし」
「ありがと。でもね、そういうフォローされてる時点で、年増ってことになるんだよ」
「あはははっ……すいません」
「で? 大地、海ちゃんが誰なのか、どうしてここにいるのか。なんであんたのジャージを着てるのか。説明よろ」
「はいはい」
大袈裟にため息をつき、大地が視線を下げた。
その仕草に、青空が苦笑する。
「こいつとは昨日の夜に会ったんだ。コンビニ前で、男に絡まれててな」
「なるほどなるほど。それで?」
「それで助けたんだけど、話を聞くとこいつ、家出中みたいでな」
「家出……ね」
「たいして金も持ってないみたいだし、また変なやつに絡まれても可哀想だ。そう思って泊めた」
「ほうほう。やるじゃない」
「そうか?」
「あんた、腕っぷしだけは立派だもんね」
そう言って顔の痣を見つめ、笑った。
「そうなんですか?」
「こう見えてこいつ、格闘技やってたんだよ」
「護身術だ」
「でも大地、あの時あいつに殴られて」
「ああいう輩にはな、自分の方が強いって思わせる方が効果的なんだよ。あそこで下手にかわしたり反撃したら、返って興奮しちまう。だからあえて殴られたんだ」
「……ごめんなさい」
「だから謝るなって。済んだ話だ」
うつむく海にフォローを入れる大地。二人を見て青空がうんうんとうなずいた。
「大体の事情は分かったよ。大地、よくやった」
「で、さっきも話してたんだけど、こいつこの辺りに知り合いもいないらしいんだ。だからしばらく、ここで面倒みてやろうと思ってる」
「ふーん」
まじまじと大地を見つめ、青空が意味ありげな笑みを浮かべる。
「……なんだよ」
「べーつーにー。ただね、他人に全く興味がない大地が、この子の面倒を見るだなんて言うもんだからさ」
「俺だって、関わらなくていいなら無視するさ。ただなんて言うかこいつ、ちょっと危なっかしいって言うか」
「分かった分かった。そういう事情なら反対しないよ。あんたも大人なんだし、自分で決めたんならしっかりやるといいよ」
「ああ、そうするつもりだ」
「でもまあ、面倒みている内に恋心が芽生える、なんてことになったらお姉ちゃん、嬉しいんだけどな」
「それはない」
「ないです」
間髪入れず、大地と海が否定する。その息の合った返答に、青空が声を上げて笑った。
「まあ、海ちゃんには海ちゃんの事情があるんでしょ。詳しくは聞かないから安心して。それに海ちゃんいい子みたいだし、ここでよかったらゆっくりしていってよ」
「は、はい、ありがとうございます」
「いや青空姉、ここは俺の家だから」




