068 絶望の根源
次の日。
目覚めてからずっと、大地は泣いていた。
昨日、異様なテンションで喋り続けていた大地。
浩正の忠告を思い出し、海はずっと緊張していた。
夜、大地が眠りについた時。乗り切れたと安堵した。
青空さんが守ってくれた、そう信じ涙した。
それなのに。今日は打って変わり、泣き続けている。
この不安定な情緒こそ、今の大地なんだ。
丸裸になった彼の心。
まるで獣に睨まれ、怯えている小動物の様だ。
泣き続ける大地をそっと抱きしめ、海は囁いた。
「どうして泣いてるの?」
「分からない……自分のことなのに、分からない……」
「そうなんだ……でもそれ、普通なんじゃない?」
「そう……なのか?」
「だってこれ、大地が言ってたことだもん」
「俺、なんて言った?」
「自分のことが分からない、他人の方が自分を分かってる。そんなの当たり前だって言ってた」
「ははっ……そんなこと言ったのか、俺」
「大地は今、何を考えてるの?」
「それは……」
「泣いてる理由が分からない、そう言ったよね。だから質問を変えてるの。今、何を考えてる?」
「……怒らないか」
「怒らない。約束する」
「……死にたいんだ」
「そっか……」
笑みを崩さず、海は抱きしめる手に力を込めた。
「青空さんがいないから?」
「だと……思う……」
「寂しい?」
「ああ、寂しい……」
「でもそれ、私がいるのに酷くない?」
「そうなんだけど……いや、その通りだな、ごめん」
「怒ってる訳じゃないよ。大地は青空さんのことが大好きで、青空さんがいないと駄目なんだって分かってる。
それで? 死んで青空さんのところに行きたいの?」
「会いたい……青空姉に会いたい……」
「昨日散々、私に頑張るって言ってたのにね」
「……なんであんなこと言ったのか、自分でも分からないんだ。昨日はその……変なテンションになってて」
「可愛かったよ」
「……やめてくれ。恥ずかしい」
「ふふっ、ごめん……じゃあもし、私がいいよって言ったら。これから死ぬ?」
「いや、無理だ……死にたいけど、行動に移せそうにない……」
「そっか……」
ゆっくり大地から離れようとする。その海を、大地が力任せに抱きしめた。
「離れないでくれ……一人にしないでくれ……」
「大地あんた……自分がどれだけ失礼なこと言ってるか、分かってる?」
「……」
「青空さんが好きだ、青空さんがいないと駄目なんだ。だから死にたいって言ってるんだよ? あなたを愛してる私に向かって」
「そう……だな……」
「それなのに、私がちょっと離れようとしたら嫌だって言って。都合よすぎない?」
「そう思う……でもごめん、傍にいてくれ」
「ふふっ」
もう一度大地を抱きしめる。大地は胸元に顔を埋め、安堵の声を漏らした。
「ねえ大地。本当に死にたいなら、殺してあげてもいいんだよ」
「……」
「自分では死ねない、でも死にたい。なら殺してあげるよ。私もすぐに後を追う。どう?」
大地が考える。そしてしばらくすると首を振り、「それは……嫌だ」そう言った。
「どうして? 青空さんのところに行きたくないの?」
「行きたい。会いたいよ、青空姉に。でも……お前が死ぬのは違うと思うし、悪いと思う。それは嫌だ」
「じゃあ大地は、私に一人で生きていけって言うの?」
「そうじゃない、そうじゃなくて」
「じゃあどういうこと?」
「……お前には生きてほしい。そして幸せになってほしい」
「大地が一緒じゃないと無理。それは分かってる?」
「分かってる。だから……死なない」
「死にたいんじゃないの?」
「死にたい。今すぐ死にたい。でも……死なない」
支離滅裂な言葉。だが海は思った。
大地も戦っているんだと。
「私も死のうとしてた訳だし、偉そうなことは言えないと思ってる。でも、出来れば……大地には死なないでほしい」
「……」
「ねえ大地。大地の心が壊れたとしても、ずっと部屋から出れずに引きこもっているとしても。一緒にいられるならそれでいい。私が前にそう言ったこと、覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
「私にとって、大地といることが全てなの。でもね、出来ればもうひとつ、そこに願いを追加したいんだ」
「なんだ? 言ってみてくれ」
「出来れば私、元気いっぱいな大地と生きていきたい」
「……随分高いハードルを出してくるな。今の俺の状態、分かってるのか」
「勿論分かってるし、強要なんてしない。これはただの願い」
「前に言ってたことと、随分違うじゃないか」
「そうかもね。でもね、これまでずっと大地を支えてきた訳じゃない? これぐらいの我儘、許してくれてもいいと思うんだ」
「我儘、か……確かに海には、それぐらいの権利はあるな」
「ふふっ……ねえ大地、ひとつ聞いていい?」
「ああ。言ってくれ」
「大地は死にたいと思ってる。それは青空さんがいなくなって、心の拠り所を無くしたから。そうよね」
「ああ」
「本当にそれだけ?」
「……どういうことだ?」
「だって大地、青空さんが元気な頃から、ずっと死にたいって思ってたじゃない。私と会った時なんて、正にそれを実行しようとしてた訳だし」
「……そうだな」
「本当は大地も分かってるんじゃない? 死にたいと思ってる、本当の理由」
「……」
「青空さんが死んだことで、その気持ちが大きくなったのは本当。でも大地、本当にそれだけ? あなたの絶望は他にあるんじゃないの?」
そう言われ、大地は目を伏せ自問した。
俺は今、死にたいと思ってる。それは間違いない。
そしてそれは、寂しいからだと思っていた。
青空姉という拠り所を失った喪失感。それに耐えられないから。
だが確かに、海が言う様に俺は、ずっと前から死にたいと思っていた。
この世界に絶望し、早く消えてしまいたいと願っていた。
「俺が死にたいと思っているのは……青空姉のことだけじゃないのか」
「なんで疑問形なのよ。大地のことでしょ」
「そうなんだけど……駄目だ、うまくまとまらない」
「教えてあげようか」
「海は知ってるのか? なんだ、教えてくれ」
大地が目を見開き、すがるように海を見つめる。
「大地。あんたはね、ずっとこう言ってたの。世界に絶望してるって」
「ああ、確かにそう言った」
「この世界の全てを憎んでる、とも言った」
「……」
「それはどうして?」
「え……」
「ねえ大地。多分だけど大地は今、最後の戦いに入ってるんだと思う。たくさん辛いことがあった。青空さんが亡くなって、薬漬けにされて、禁断症状に苦しんだ。そして今、訳も分からず死にたいって思ってる。
今大地に必要なこと、それは自分を見つめることなんだと思う。どうして自分が絶望してるのか、知る時なんだと思う。
大地が思う絶望の正体、それは何?」
「絶望の……正体……」
考える大地を抱きしめ、海が囁いた。
「教えてあげるよ。それはね、あなたがたくさんの人に裏切られてきたからだよ」
「……」
そう言われ、大地は欠けていたピースが見つかったような気がした。
「お父さんに裏切られ、お母さんに裏切られ。学校でも嫌な目にずっとあってきた。大地にとっては人そのものが、全て敵に見えていたんじゃない?」
「……」
「だから大地は、人を信じるのをやめた。言い方を変えれば、人を信じることを諦めた。違う?」
「……その通りだと……思う」
「それを乗り越えないと大地、ずっと今のままだよ」
その言葉に、心が戦慄した。
「じゃあ俺は、どうすればいいんだ」
「分からない。だってそれは、自分で乗り越えなきゃいけないことだから。いくら私が正論を並べても、大地が心から納得しない限り、その呪いが解けることはないんだから」
「……」
「私が分かることはひとつだけ。絶望してるってことはね、希望を持ってたってことなんだよ」
「希望……俺が……」
「そして望んでる。人を信じたいって。でもこれまで何度も裏切られて、心がすり減っていったから。もう信じないって決めたの。自分を守るために」
「そう……なのか」
「だからね、大地。自分を見つめてほしい。しがらみとかプライドとか、そういうのを一度全部捨てて。あなたの中にある本当を見つけて欲しい。きっとそこに答えがある。そして……
それでも死にたいって思うのなら、私が一緒に死んであげる」
「海……」
慈愛のこもった眼差しを向ける海に、大地が苦笑した。
「どんな聖母マリア様だよ……厳しすぎるだろ、お前」
「そう? でも私らしいと思わない?」
「そうだな。確かに海らしい」
「でしょ、ふふっ」
「ははっ」
大地は大きく息を吐き、もう一度海を抱きしめた。
「ラスボスは俺自身……そういうことか……」




