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青空と海と大地 ーそらとうみとだいちー  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第4章 新たなる挑戦

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030 ちっぽけな自分にさよならを

 


「それで? 何があったのか、聞かせてもらえますか」


 警官の問い掛けに、浩正(ひろまさ)が状況を説明する。

 穏やかに、淡々と。

 青空(そら)は男に手をつかまれた時、いわゆるフラッシュバックが起きていた。もう一人の警官が肩に手をやると叫び声を上げ、過呼吸状態に陥った。


 一通りの説明を済ませた浩正(ひろまさ)がジャケットを脱ぎ、青空(そら)の肩にかける。そして、


「落ち着いて、ゆっくり息をしてみてください。大丈夫、もう怖くないですよ」


 そう言って微笑んだ。

 そして鞄からコンビニの袋を取り出し、青空(そら)に差し出した。

 青空(そら)は袋を受け取ると口をつけ、浩正(ひろまさ)の言う通りゆっくりと息をした。

 そうしてる内に震えが収まり、袋を外すと、「……もう大丈夫です。ありがとうございました」そう言って袋を返した。

 浩正(ひろまさ)が笑って「今日の記念にどうぞ」と言うと、「何それ、ふふっ」と笑顔を見せた。


「ええっと、落ち着いたところ恐縮ですが……大体の事情は分かりました。こういう場所ですから、次からは気を付けてください、と言いたいところなんですが……君、歳はいくつかな」


 若い方の警官が青空(そら)に聞いた。

 青空(そら)は見るからに面倒臭そうな表情を浮かべ、大きなため息をついた。


「君、未成年だよね。未成年がこんな時間、こんな場所で何してるんだ? それに君、飲酒喫煙もしてるようだけど」


「私、23歳なんですけど」


 青空(そら)が吐き捨てるように答える。その言葉に、若い警官は呆気にとられた表情の後、苦笑した。


「どう見ても君、中学生じゃないか。身分を証明するものは?」


「持ってません」


「なら親御さんに連絡を。連絡先は?」


「親はいませんよ。生きてるかもしれないけど、はてさてどこにいるのやら」


「君、ふざけた言い方はやめなさい」


「ふざけてなんかいませんよ。本当のことですから」


「嘘をつくんじゃない。子供がこんな時間、こんな場所で飲酒喫煙。こちらとしても見過ごせないよ」


「だから私は23歳だって。何? この国ではいちいち身分を証明しないと生きていけないの? じゃあこの人はどうなのよ。あんた、この人にも年齢聞いたの?」


「いや、聞いてないけど」


「おかしいじゃない! なんでこの人はよくって私は駄目なの? なんで私だけ身分を証明しないといけないの? 私は清水青空(しみず・そら)、23歳。私がそう言ってるんだからいいじゃない!」


「そういう訳にはいかないんだよ。君はどう見ても未成年、証明出来るものがない以上、保護させてもらうから」


 そう言って青空(そら)の腕をつかもうとした。それを浩正(ひろまさ)が遮る。


「何ですか。公務の邪魔をしないでください」


「いえ、そういう意図はありません。ただ、彼女のさっきの様子はお忘れですか? 無理に連れて行こうとすると彼女、また過呼吸になりますよ」


 そう言われ、警官が「そう……でしたね……」と困惑の表情を浮かべた。


「清水さん、でしたね。はじめまして、僕は音羽浩正(おとわ・ひろまさ)と言います。さっきは大変でしたね」


 何か言おうとする警官を制し、浩正(ひろまさ)が声をかける。


「あ……こちらこそはじめまして。清水青空(しみず・そら)です。助けていただきありがとうございました」


「いえいえ、清水さんがご無事でよかったです」


「でも、あの……頬、大丈夫ですか?」


「え? ああ、さっき殴られたやつですか。大丈夫、少し痛みますけど、じきに治まると思いますよ」


「それにその……唾をかけられて……」


「……はははっ、あんなの洗えばいいだけです。気にしてませんよ」


 浩正(ひろまさ)の笑顔を見て。強がりじゃなく、心からそう思ってると青空(そら)は感じた。

 顔に唾をかけられる。人によっては、どんな暴力よりも屈辱的な行為だ。自分の存在、尊厳の全否定。時代によっては、相手の死をもってしか償えない行為とも言えた。

 それをこの男は、洗えば済むと笑顔で言った。その一言に、この男の器の大きさを感じた。そんな小さなことはどうでもいい、そんなことで憤り、無駄な時間を過ごしたくない。それよりもっと、自分には大切なことがある。そういう強さ、確固たる信念がこの男にはあった。

 青空(そら)の中で、この男に対し憧れのようなものが芽生え始めていた。自分もこんな風になりたい。些細なことで動揺しない、強い心を持ちたい、そう思った。


「それでどうですか、清水さん。身分を証明するもの、本当に持ってませんか」


 浩正(ひろまさ)の言葉に、青空(そら)は素直にリュックの中を探し出した。

 自分でも不思議だった。強く言われた訳でも、怖い訳でもない。それなのにどうしてだろう、この穏やかな声で言われると、(あらが)う気持ちが消えていく。


「あ……」


 リュックの中に、マイカードが入っていた。恐らく大地が入れたんだろう、そう思い、「あのバカ……」と苦笑した。

 カードを差し出すと、警官は写真と青空(そら)を見比べ、困惑した表情を浮かべた。


「どうだ? 確認とれたのか」


 上司と思われるもう一人の警官が声をかけ、一緒に確認する。そしてうなずくとカードを青空(そら)に返し、「確認しました。とにかくその……気をつけてくださいね」そう言った。

 その言葉に、青空(そら)が憮然とした表情を浮かべた。


「おい待てよ。散々疑っておいてそれだけか? 私は被害者なんだぞ? それなのにこんな風に疑われて、詫びのひとつも言えないのかよ」


「詫びって……あのですね、そもそもあなたがすぐにカードを見せてたら、こっちだって疑ったりしなかったんです」


「そんなことを言ってるんじゃねえって。間違いは誰にでもあるよ。ただ間違いだって分かったんなら、素直に詫びるもんじゃねえのかって言ってるんだ。それとも何か? あんたも今流行りの、謝ったら死ぬ病気にでもかかってんのか?」


「ちょっと君、いい加減に」


「彼女の言う通りだと思いますよ」


 浩正(ひろまさ)が口を挟んだ。


「公務だということは理解してます。だから彼女も、そのことに何も言うつもりはない。ただ間違いだと分かった以上、謝罪するのは当然だと思いますよ」


「君まで……主任、どうしますこれ」


「いや、彼女の言う通りだ。誤解したのは私たちだ、謝罪すべきだろう。お嬢さん、すまなかったね」


 上司がそう言うと、若い警官も複雑な表情を浮かべながら「……すいませんでした」と頭を下げた。


「では我々はこれで。失礼します」


 そう言って警官が去っていくと、青空(そら)は神妙な顔で浩正(ひろまさ)に頭を下げた。


「音羽さん、その……色々ありがとうございました」


「いえいえ、間違ったら謝る、当たり前のことですから」


「それもなんですけど、その……それ以外にも色々と」


「何かありましたか?」


 警官に淡々と語る浩正(ひろまさ)を見て。

 男たちに殴られ、唾を吐かれても動じない浩正(ひろまさ)を見て。

 自分は何てちっぽけなんだろう、そう思っていた。

 年齢でとやかく言われるのは分かってる。それなのに、自分は頑なにカードを持つのを拒んだ。

 持っていれば済むことなのに。変なプライドに()りつかれていた。意固地になっていた。

 どうして私だけが、いちいちそんな物を見せないといけないの?

 そう言っていつも余計なトラブルを起こし、憤っていた。

 なんて小さいんだろう。

 無駄な時間をたくさん使ってしまった。それがどれだけ愚かなことなのか、今日この人と出会ったことで気付かされた。

 この人のことをもっと知りたい。私もこの人のようになりたい、そう思った。


「大丈夫ですか、清水さん」


青空(そら)です」


「え?」


「名前で呼ばれる方が嬉しいです」


 青空(そら)が微笑む。


「ははっ、そうなんですね。実は僕もそうでして」


「じゃあ、浩正(ひろまさ)さんで」


「さん付けはちょっと。青空(そら)さんとそんなに歳、変わりませんし」


「じゃあ浩正(ひろまさ)くん」


「はい、青空(そら)さん」


 そう言って顔を見合わせ、笑った。


浩正(ひろまさ)くんは今日、どうしてここに?」


「実は僕、近々店を出すことになりまして。さっきまでその打ち合わせをしてたんです」


「お店を出すの? すっごーい、オーナーさんなんだー」


「いえいえ、そんな大したものではありません。それに場所が確保出来ただけですので、オープンはまだまだ先の話なんです。人手も集めてませんし」


「ねえ浩正(ひろまさ)くん、そのお店の話、聞かせてもらえないかな。浩正(ひろまさ)くんがよかったら、私も働いてみたい」


「いいんですか? それは助かります。一人で出来ることには限界がありますので、正直どうしたものかと悩んでいたんです。もし青空(そら)さんが来てくれるんでしたら、諸々の案件を一気に動かせます」


「やたっ! 私でよければ雇って下さい」


「よければなんてとんでもない。これで夢への一歩が踏み出せそうです」


「じゃあ、今から私の家に来ない? 弟もいるけど、一緒に話を聞きたい」


「分かりました。ではお邪魔させていただきます」





 笑い合い、肩を並べて歩き。

 青空(そら)は思った。

 この出会いは必然だ。この人と出会ったことで、暗闇に包まれていた私の人生に光が差した。

 大地。多分私、もう大丈夫だよ。

 これからはちっぽけなプライドを捨てて。世界を憎む心を捨てて。

 今よりもっと、笑顔になるから。

 そして。

 幸せを目指していくから。




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