021 再始動
「いらっしゃいませ!」
喫茶とまりぎで。
海が元気よく声を上げた。
「あらあら海ちゃん、今日も元気いっぱいね」
「あはははっ、ありがとうございます濱田さん」
「ほんと、海ちゃんが来てから、ここの雰囲気が明るくなったわ」
「そんなそんな。褒めても何も出ないですよー」
照れくさそうに笑う海。
そんな彼女に微笑みながら、浩正が濱田に声をかける。
「いらっしゃいませ濱田さん。スタッフを褒めてもらって嬉しい限りなのですが……前は暗かったですか」
「ああ浩正くん。ごめんなさいね、そういう意味じゃないのよ。ここはいつ来ても和やかで楽しくて、私たちにとって憩の場所なんだから。海ちゃんが来てくれて、もっともっと楽しい場所になったってことよ」
「はははっ、ありがとうございます」
「海ちゃんのおかげで青空ちゃんも楽しそうだし。ほんと、いい人が入ってくれてよかったわ」
「そんなー。濱田さん、褒めすぎですってばー」
「うふふふっ。ほんとのことだから、照れなくても大丈夫よ」
客と海のやり取りをパントリーで眺めながら、誰に話すともなく大地が呟いた。
「なんだよこの状況……」
大地と海が過去を打ち明けあったあの時、海は言った。
あんたを幸せにしてみせると。
その言葉にどんな意味が込められているのか、その時の大地には分からなかった。
全てに絶望し、人を信じることを放棄した自分には、この世界で生きる資格がない。
そして自分にとって最も大切な存在、青空の幸せの最たる障害。それが自身であり、一刻も早く取り除きたいと思っていた。そして事実、行動を起こした。
しかしその時、海と出会ってしまった。
海の死を見届けるまで、俺は死なない。
彼女と交わした約束を、大地は後悔していた。
当の海が、まさかここから復活するとは思ってもなかった。
確かに大地は海に、死ぬ覚悟が出来るまで面倒みてやると言った。
しかしそれは、せいぜい数日か数週間のことだと思っていた。
海が死に引き込まれた理由を聞いて、なおのこと早い時期に覚悟が定まるものだと思っていた。
それなのに。海はその前に、自分を幸せにすると言った。
絶望でなく、希望の為に死んでほしい。そんな馬鹿げた理屈で責めてきた。
そして次の日。とまりぎに向かう自分に同行し、浩正に雇って欲しいと訴えたのだった。
完全に予定が狂ってしまった。
今の海を見てると、とても近々死ぬやつに思えない。
判断、間違えてしまったか。そう思った。
早く死にたい。俺という存在を、この世界から消し去りたい。
海との約束を反故にして、さっさと実行に移すか。そこまで考えた。
しかしその度にあの日、海が見知らぬ男に言い寄っていたことを思い出した。
俺がいなくなれば、あいつはまた同じことをするだろう。
あの時に見せた、嘘くさい笑みを浮かべながら。
そう思うと決断出来なかった。
面倒なことに巻き込まれたな。そう思いため息を吐く。
そんな大地に、青空が呆れた顔で声をかけた。
「ちょっと大地。お店でそんなため息つかないの」
「悪い青空姉。でもなぁ……あいつ、日に日に元気になっていくと思わないか」
「そうね。最初に会った時はおどおどしてて、周囲に合わせることしか考えてないようだったから、私もちょっと不安だった。でも今じゃ自分の意見も言えるようになったし、何より笑顔が嘘くさくなくなった」
「青空姉も分かってたんだな」
「そりゃ分かるわよ。なんといっても私たち、人を見る目だけは確かなんだから」
「ははっ、違いない」
「でもいいことじゃない。それとも大地、あの子が元気だと困るの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
「意味ありげな感じだね、この馬鹿は」
「馬鹿は余計だろ」
「あははっ、ごめんごめん。それでさ、大地。今日なんだけど、帰りに海ちゃん、ちょっと借りていいかな」
「俺の所有物でもないんだし、好きにしろよ」
「可愛くない言い方するね。ほんとあんた、屁理屈の塊なんだから」
「で? 何か用でもあるのか?」
「用ってほどでもないんだけどね。まあ何だ、姉として、弟の彼女候補とじっくり語り合ってみたいんだよ」
「だからそんなんじゃないって、何度言えば分かるんだよ」
「あはははっ、照れるな照れるな」
「照れてねーよ。ほんと、そんなんじゃないからな」
「分かった分かった。でもさ、どっちにしても私、あの子のことを知りたいんだ。例え彼女にならなくても、あんたにとってあの子は大切な存在になる。そんな気がするから」
「……」
「それにあんたは思ってなくても、海ちゃんはどうなんだろうね」
「どういう意味だよ」
「それじゃそういうことだから。海ちゃん借りるね」
そう言って青空が海の元に行き、声をかけた。
一瞬戸惑い大地を見た海だったが、大地がうなずくと笑顔を見せ、「分かりました!」そう元気に答えたのだった。




