019 俺は誰も信じない
「親父とおふくろは逮捕。俺と青空姉は施設に保護された」
震える海を気遣って、大地が紅茶を淹れた。
「それからご両親とは」
「会ってないな。会いたくもないし、どんな判決が出たのかも知らない」
「……そうなんだ」
「ひょっとしたら、青空姉は知ってるのかもしれない。でも何も言わないし、俺も聞きたいと思わない」
「……」
「あの時の怪我が元で、青空姉の右目は光を失った」
「え……」
出会った時から気になっていた、青空の眼帯。その意味を知り、海はまた全身が震えるのを感じた。
「眼帯で何とか隠せてるけど、傷跡も残ってる。悪いことをしたなって思ったよ」
「そんなこと……なんで大地が思わないといけないのよ。大地は青空さんを守ろうとしたんでしょ? 何も悪くないじゃない」
「でもな、あの時俺に力があったら。冷静な判断が出来ていたら。違う結果になってたと思う」
「それでも、それでもだよ。それに大地、まだ小学2年だったんでしょ? 青空さんだってそんなこと、思ってないに決まってるじゃない」
「そうだな、それは確かだ。失明して、顔に傷が残ると分かった時。眼帯をした青空姉、笑って俺に言ったんだ。『どうどう? お姉ちゃん、格好良くない?』って」
その時の青空の様子、それが当たり前のように目に浮かんだ。
ああ、青空さんならきっとそう言うよね。心配させたくなくて。大地に罪を感じて欲しくなくて。
でもきっと、心は泣いていた筈だ。そう思った。
「……大地も青空さんも、どうしてそんなに強いのよ……」
「それから俺たちは、新しい生活を始めることになった。生まれて初めて、家に帰ってもビクビクしないでよくなった。でもな、強がってたけど。俺が心配しないよう、いつも笑ってたけど。青空姉の心は病んでいった。
まず、飯が食えなくなった。あの日以来、青空姉は飯を見ると吐くようになった」
子供のような華奢な体型。青空のシルエットを思い出し、唇を噛む。
「中学を卒業する頃には、何とか食えるようになったんだけどな。それでも今でも、健康なやつの半分も食えないと思う」
「……大地は大丈夫だったの?」
「俺は青空姉と違って鈍感だから。馬鹿だから」
「……そういう自虐はいいから」
「それに俺には目標があった。大切な人を守れるようになりたい、その為に強い体を作るんだって目標が。だから馬鹿みたいに食いまくった。食って食って食いまくった。まあ、おかげで無駄にでかい体になっちまったんだけどな」
180越えのがっしりとした体格。そのルーツがそこにあるのかと海が思った。
「でも青空姉は違った。誰よりも繊細な青空姉はあの時、もうひとつの闇を背負うことになった。それが昨日、海が見たやつだ」
「私を見て、いきなり叫んだこと」
「ああいや、あれは海を見て叫んだんじゃない。顔見て叫ばれるって、お前どんだけ怖いんだよ」
「もうっ、そういう突っ込みはいいってば」
「……青空姉は簡単に言えば、鋭利なもの、尖ったものに恐怖を感じるようになったんだ」
「……」
「まあでも、それじゃ生活出来ない。だから青空姉、カウンセリングを受けたり自己催眠をかけたり、色々試してたみたいだ」
「じゃああの時、青空さんが叫んだのは」
「海の持ってたフォークだよ。あれ、プラスチックだけど先が尖ってるだろ?」
そういうことだったのか。そう思い、海がうなずいた。
「いつもは気を張って生活してるからな、かなり改善出来たんだ。でもたまに、緊張が緩んだ時に目に飛び込んできたら、ああなっちまう」
「それってやっぱり」
「包丁を手にした男に追いかけられるなんて経験、そうそうあるもんじゃないだろ? あと、右目の光を奪ったガラスの破片」
「……」
「だからな、昨日のことで海が気に病む必要はないんだ。言ってみれば、ちゃんと説明してなかった俺たちの責任なんだ」
「……大地の話を聞いて、あんたたちがどれだけ酷い環境で生きてきたのかは分かった。私がどれだけ恵まれていたのかも。
それなのに大地、それに青空さんも。どうしてこんなに強いの? 二人にそういう過去があったなんて、全く思えない」
「俺の方は分かるだろ」
「なんでよ」
「現に俺は今、死のうとしてるだろ?」
「……」
「確かに青空姉は強い。いつか聞いたことがあるんだ。私たちはこれまで、全く笑わない生活をしてきた。ただただ息を潜めて生きてきた。
だからこれからは、普通の人よりいっぱい笑いたい。泣きたくなるようなことがあっても、あの時に比べたら大したことはない。なんたって私たち、実の親に殺されかけたんだからって」
「……やっぱ強いよ、青空さん」
「だな。姉弟とは思えない」
「大地はどうして? 話をずっと聞いていて、昨日二人を見ていて。大地は青空さんのこと、心から愛してると思った。尊敬してると思った。それなのにどうして、大地はこんな風になっちゃったの? 死にたいだなんて思ったの?」
「資質が違うってのもあるんじゃないかな。俺は元々ネガティブで、青空姉はポジティブだから」
「……そんなんじゃ納得出来ない」
「施設に入ったことで、俺たちは暴力から解放された。でも、学校ではそうじゃなかった」
「どういうこと?」
「転校して、新しい生活が始まった。でもな、こういう噂はすぐ広まるんだよ。あいつは親に殺されかけたんだ。施設から通ってるんだって」
「……」
「年齢よりも華奢な俺は、いじめの対象になった。多分だけど、あいつらは怖かったんだと思う。人殺しをするような親の子供、あいつもきっとそうに違いない。だったらやられる前に潰そうって思ったんじゃないかな」
「そんな理屈……無茶苦茶じゃない」
「でも俺にとって、同級生のいじめなんて屁でもなかった。何しろ俺たちは、実の親から毎日殴られてたんだからな」
ははっと笑い、大地は3本目の煙草に火をつけた。
「いじめに気付いた教師たちも、面倒ごとに首を突っ込む気がなかったみたいでな、見て見ぬ振りをしてた」
「……青空さんは」
「青空姉も酷い目にあってたみたいだ」
「でも青空さんは」
「俺ら姉弟にはな、決定的な違いがあるんだ」
「どういうこと?」
「青空姉は、人を信じたいって思いながら生きている。それが自分を攻撃してくるやつらでも、そいつらの中にある善性を信じてる。だが俺は違う。俺は人を悪だと思っている。だから信じる気持ち自体持ってない。性善説と性悪説、こう言えば分かりやすいかな」
「じゃあ……私のことも……」
「いいやつだってことは分かってる。関わっていくことに何の抵抗もない。でも信じるかどうかと聞かれれば、悪いが信じないって答える」
「そう……なんだ……」
急に大地との間に距離を感じた。
嘘でもこの数日、彼と共に生活して。少しは彼のことを理解してるつもりだった。
何より自分は、大地のことを信じている。いつも気にかけてくれて、自分の気持ちを尊重してくれる大地を信じてる。
デリカシーがないし、いつ死ぬつもりだ、なんて平気で聞いてくる。
でも。それでも。
そこに不思議と、彼の優しさを感じていた。
だけど大地は、自分のことを信じていない。
偶然の出会い。すぐに切れる縁。
それなのに少し、寂しくなった。




