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青空と海と大地 ーそらとうみとだいちー  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第3章 それぞれの過去

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018 悪夢

 


「俺が小学2年の時だった。仕事をクビになったとかで、親父とおふくろが喧嘩を始めた。

 俺はいつものように視界に入らないよう、部屋の隅で息を潜めてたんだけどな、おふくろに口で負けそうになった親父が、『何見てるんだお前』って俺に突っかかってきた。『見てません、ごめんなさい』そう言って頭を抱えた瞬間、蹴りが入って吹っ飛ばされた」


「ひどい……」


「そっからはいつものパターンだった。何をやっても報われない、嫁はキーキーまくしたててくる。勝ち目がなくなった親父が弱い存在、俺をボコボコにする」


「小2の息子に八つ当たりって、その人どれだけ子供なのよ」


「でもな、虐待の本質はそういうもんだと思う。親父もある意味、社会の閉塞感が生んだ被害者なのかもしれない」


「かもしれない、かもしれないんだけど……どんな理不尽な目にあったとしても、自分がどれだけ犠牲になったとしても。子供を守るのが親でしょ?」


「まあでも、それは強者の理屈なのかもしれない。この世界、そんな正論だけじゃ生きていけないやつがゴロゴロいるんだ」


「納得出来ない……そんなの、納得出来ないよ……」


「今俺が話してるのは過去のことだ。今更何を言おうが、どれだけ責めようが何も変わらない。それにまあ、親父らもそれなりの報いを受けた訳だし、海がそこまで怒る必要はないよ」


 そう言って海の頭を優しく撫でた。


「また始まった。抵抗したら余計に殴られる。あの時の俺はそう思って、ひたすら親父の暴力に耐えた。でもな、その日の親父は少し違ってた。

 いつもの親父たちは、これ以上はやばいってラインをちゃんと心得ていた。その筈だったのに、どう見ても自制が効かなくなっていた。

 身の危険を感じた俺は、『ごめんなさい、ごめんなさい』って叫びながら逃げようとした。その時腹に入った蹴りが強烈でな、息が出来なくなった。そして吐いた」


「それって……かなり危ない状況ってことだよね」


「かもな。でもその時の俺は、反吐(へど)で怒りが増した親父のことで頭がいっぱいだった。親父は顔を真っ赤にして、『部屋を汚しやがって!』って怒鳴りながら俺に椅子を投げた。その時の傷がこれだ」


 そう言って、髪をかき分けて傷跡を見せた。

 海は震える手でそれに触れ、嗚咽(おえつ)した。


「怒りが収まらない親父は、台所から包丁を持ってきた」


「そんな……」


「あの時の親父はマジだった。この不良品を壊してやる、そんな思考に支配されてた。そのことで自分がどうなるか、そんなことを考える余裕もなくなっていた」


「お母さんはその時、何をしてたの」


「何も。煙草を吸いながら、イライラした顔で俺たちを見てた」


「……」


「ああ、俺は死ぬんだなって思った。生まれてから今日まで、いいことなんて数えるほどしかなかったな。出来れば死ぬ前に、腹いっぱい飯を食ってみたかったな。そんなことを考えてた。

 その時青空姉(そらねえ)が帰ってきた。

 目の前に、血を流してうずくまってる弟がいる。その光景に愕然として、親父に鞄を投げつけて怒鳴った」


「その時の青空(そら)さんって」


「中1だった。まあ、そうは言っても満足に食ってなかったからな、小学4年ぐらいの体型だった。

 ただ心は違った。育児放棄、虐待を繰り返すあいつらに対し、怒りが十分に育ってた。何より、俺のことを守るんだって使命感に燃えていた。

 あの時、包丁を持ってる親父を見て。頭から血を流し、反吐(へど)の上でうずくまってる俺を見て。平然と煙草を吸ってるおふくろを見て。青空姉(そらねえ)の中で何かが壊れた」


「……」


「鞄をぶつけられた親父は、青空姉(そらねえ)に向かっていった。青空姉(そらねえ)は、『大地、今すぐ外に逃げて! 助けてって大声出して!』そう叫んだ。

 その言葉にブチギレた親父は、包丁を振りかざして青空姉(そらねえ)を刺そうとした。俺は青空姉(そらねえ)を守ろうとして、背後から親父に体当たりした。

 バランスを崩した親父は、青空姉(そらねえ)諸共その場に倒れた。俺は青空姉(そらねえ)の手を握って、『逃げよう! 姉ちゃん、一緒に逃げよう!』って叫んだ。

 そしてその時。

 俺は青空姉(そらねえ)の異変に気付いた」


「何が……起こってたの……」


「倒れた時、近くにあった食器棚にぶつかっててな。ガラスが割れてたんだ」


「……」


青空姉(そらねえ)の顔が、血まみれになってた」


「そんな……」


「俺はパニックになった。何度も何度も青空姉(そらねえ)の名前を叫んだ。でもな、そんな状態なのにな、青空姉(そらねえ)は俺の頭を撫でてこう言ったんだ。『大地は怪我してない?』って」


 涙が止まらなかった。ドラマでもここまで酷くない、そう思った。


「『早く助けを』って青空姉(そらねえ)に言われて、俺は走った。その俺を捕まえようとして、馬鹿な親父は包丁を持ったまま外まで追いかけてきた。

 そしてこの悪夢は、ようやく終わりを告げた」


 2本目の煙草を揉み消し、大地がビールを口にする。

 そして。

 もう一度、海の頭を撫でた。


「悪いな。こんな話、聞かせちまって」


 その温もりに、海の感情が揺さぶられる。

 なんで……なんであんた、こんな時まで私を気にするのよ。

 誰よりも辛いのはあんたなのに。


 予想を遥かに越えた悪夢に。

 海は泣いた。

 声を上げて泣いた。

 大地の分まで。




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