第20話 冒涜
紫吹さんをテレビで見てからずっと怖いのが収まらなかった。精神安定剤を限界量まで飲んでなんとか自分を保っていた。
「やっぱり眠れない?」
「眠剤は効いてる。だから大丈夫」
火光さんは僕が不安定になったことを敏感に察していた。だから彼女はマンションに帰るのをやめて僕の家に泊まり込むようになった。今は一緒に寝ている。だからだろう。自然と距離は近づいた。そうなってしまった。だけど一線は超えられない。しようとしても役に立たなかった。今日もそうだった。裸で横になる火光さんを横目に僕はリビングに降りた。
『あはは。るいかちゃんウケるわー!!』
『それほどでも♡』
紫吹さんは人気者になった。テレビで見ない日はないし、街の中でも広告を見る。ネットでも油断するとレコメンド機能が僕の前に紫吹さんを映してくる。参っていたと思う。なら怖いもの見たさで「るいか」で検索すると色々な画像が出てくる。だいたいは格好つけたポーズをとってる。金髪だったころの彼女とは違う。それがある意味、僕にとって致命的でない印象を与えてはくれた。
「水着とかあるんだ」
スマホで「るいか」のグラビアが出てきた。すごくセクシー。もともとスタイルは良かったのは知っている。だけどここまでとは思わなかった。
「何見てるの?」
火光さんの声がした。タオルを纏って僕のことを心配げに見詰めている。
「何でもないよ」
「でも」
どこか不満げにそう言った。その視線は僕のパンツに向けられている。
「なんでもないから。さあ寝ようよ」
僕は話を無理やり切り上げて杖を持って火光さんのそばによる。彼女は僕にそっと抱き着いてくる。だけど何も言わない。僕は壊れている。
わたしにとってるいかちゃんはまさにヒーロー。だからいつもテレビとか現場では見せない昏い顔を見るのが嫌だった。控室にスタッフさんがいなくなると、それは出てくる。
「すみれ。もっと前に出てもいいよ」
「え?うん。でもやっぱりトーク難しくて」
「フォローするから出なさい。いい?」
るいかちゃんはダメ出しをかなり積極的にしてくる。でもそれはわたしを潰すためじゃなくて、もっと人気が出るように仕向けるようなものだった。フェアだと思う。同時になにか違和感も覚えてはいた。
「さざんかさん。次のトークではすみれをメインにしなさい」
「わ、わかったから睨まないで!」
このグループは変だと思ってた。新人三人ならわかるけど、単体でも人気のあるさざんかさんがいるのは変だと思ってる。でもこれはきっとるいかちゃんが何かやったのだ。全部るいかちゃんの掌の上。それが嫌だってわけじゃない。そこまでして何をしたいのかがわからない。それが怖かったし、悲しいと思った。
「るいかちゃん」
「なに?」
「今度、秋葉原に行こう」
「わかった。けどそれなら先にSNS用のシナリオ考えておかないとね。偶発的にファンにバレるようなのがいいと思う。スタッフに手配させておく」
「そうじゃなくて。仕事とか関係なく」
「仕事を混ぜた方が効率的でしょ」
るいかちゃんには遊ぶという概念がないのだろうか?控室でもいつも演劇やダンスやトーク術の本なんかを読んでばかり。様々なジャンルのレッスンもつねに受け続けている。最近は英語も喋れるようになったらしい。だけどなぜか不思議なこともある。
「ねぇ。何でポルトガル語?ポルトガルに行きたいの?」
「……知ってる?ポルトガル語のポルトガル語と違ってブラジルのポルトガル語は二人称を使わないの。「あなた」は三人称で活用する」
「ブラジルはブラジル語じゃないの?」
「それは歴史に無知すぎるわ。勉強した方がいい」
どこか侮蔑気味にそう言った。そこに個人的な生の感情を見て、少しほっとしてしまった。るいかちゃんにもちゃんと好きなものがある。そう安心したんだ。そしてテレビ番組でライブをやって、収録が終わってテレビ局の廊下を歩いていた時だ。廊下の先にすごく綺麗な女の子がいた。よそのアイドルさんか女優さんかと思った。赤みがかったブラウンの髪の毛に琥珀色の瞳で、本当に綺麗な人だった。その人は無表情でこっちを見ていた。
「気づかなかった。髪の毛の色変えたのね」
るいかちゃんが立ち止まった。わたしとさざんかさんも何事かと思ってその場に止まった。
「恥知らず。あなたのことを一瞬でも綺麗だと思ってしまった我が身の不明を恥じるばかりよ」
何を言っているのかわからなかったか。けどるいかちゃんの顔が。顔には。顔には何の感情も浮かんでいなかった。
「よくもまあ人目の前に出られるわね?」
ルイカちゃんは何も答えない。女の人はすごく怖い顔をしているのに。そして女の人はるいかちゃんに近づいて。
「このビッチが!!」
思い切りるいかちゃんのみぞおちを殴ったのだ。るいかちゃんはその場に膝をつく。そして嘔吐した。わたしは慌ててるいかちゃんの背中をさする。
「さぞかし気持ちがいいんでしょうね?人前で尻を振って、肌を曝して、色目を使って、劣情を煽る。知ってるかしら?芸能ってもともとは売春の副業でもあったのよ。バレイなんて有名よね」
「アイドルは恥ずかしい仕事じゃないよ!!」
わたしはそう叫んだ。こんな言い分も暴力もおかしい。それにるいかちゃんは友達だから。
「じゃあなんで私じゃ役に立たないの?」
「え?何言ってるの?」
女の人は悲し気に目を伏せる。そしてるいかちゃんの髪の毛を掴んで無理やり立ち上がらせた。
「やめてよ!ルイカちゃんが何したのよ!!」
「でもこの女でたってた!!私じゃ駄目だったのにぃい!!」
「はぁ?!たってた?なにそれ?」
わたしには何を言ってるのかわからなかった。だけどさざんかさんは、「あ、そういうこと」と呟いていた。
「おかげでまだ処女のままよ!お前みたいなビッチのせいでね!!」
女の人は今度はるいかちゃんのみぞおちに膝を思い切り入れた。だけど女の人が髪を掴んだままだからるいかちゃんは蹲ることさえできなかった。だけど。だけどるいかちゃんは。とても嬉しそうに微笑んでいた。
「そうなのね。ああ。うれしい」
「この腐れ売女!!」
今度はこめかみに手刀を叩きこまれた。だけどるいかちゃんはまだ微笑んでる。
「あたしは売女じゃないよ。アイドルだもん処女だよ♡」
「だったらいますぐ業界人相手に捨ててこいよ!!」
そのまま女の人がるいかちゃんを押し倒して馬乗りになる。思い切り拳を握ってるいかちゃんを殴ろうとしていた。だからわたしはその女の人に体当たりしてるいかちゃんから剥がした。
「やめて!やめてよぉう!」
「放しなさい!無関係な女は殴りたくない!そいつだけ殴らせろ!!」
「そんなの許さない!」
女の人はすごい力だった。わたしじゃすぐに振りほどかれる。だけどそこに警備員を連れた万和さんが来てくれた。女の人は警備員たちに掴まれて羽交い絞めにされた。
「放せ!」
「ふぅ。同情はするけど、容赦はしないわ。るいか。すぐにここから離れなさい。命令よ」
「わかりました」
るいかちゃんはその場を静かに去っていった。女の人はまだ暴れていた。というか警備員たちを振りほどいて、万和さんを睨みつける。
「怪物を育てたのはあなた?!」
「勝手に育ったのよ」
「そういう奴は共犯者よ!」
「ええ。誰かを傷つけるような仕事じゃなきゃ華は咲かないもの」
女の人はしばらく万和さんを睨んでいたけど、服の皺を直して、その場から消えた。
「万和さん!警察とか呼ばないと!」
「駄目よ。それじゃ困るもの。なにもなかった。いいわね?」
万和さんが珍しく怖い顔をしていた。あきらかに今起きたことはおかしいのに。なにもわたしは出来ないんだと悟った。
「友達じゃないのかな?」
わたしの呟きはすぐに空気の中に消えていってしまった。




