80話 武辺者の女家臣、春祭の花嫁市場について疑問に思う。
ハルセリアはあの日の午後、領主館の馬車に揺られてルツェル公国へと急ぎ帰って行った。一国の官僚が偽名を使って他国に入るなど、発覚すれば外交問題にもなりかねない。しかもハルセリアは、ルツェル公国の王宮には「季節性の風邪」と仮病まで使っていたのだ。その危うさを察したトマファは、ヴァルトアに進言して領主館の馬車を用意させ、なるべく目立たずに国境を越えさせたのである。
ただ、馬車を飛ばし続けてもルツェル公国に戻るまで二日は掛かるため、御者の助手としてノーム爺も連れて行ったのだった。
*
そんな騒々しいことがあってからひと月と半分ほどが過ぎ、雪国の街キュリクスにも春風が吹くようになった。つい先日まで家々の軒先には長い氷柱が垂れ下がっていたというのに、今ではその姿も消え、土と若草の匂いが風に乗ってやってくる。南風が吹くようになると、街全体が急に春を感じるようになる。雪を割って顔を出した草花、うろこ雲の空、そして子どもたちの歓声――それらすべてがキュリクスに春が訪れたことを告げていた。
クラーレはトマファの車椅子を押しながら、商店の看板に手作りのリースが結わえつけられているのを見上げた。そのリースに使われている白くて小さい花は、おそらく街道沿いの丘で育てられている。そして店先には春を告げるように明るい色彩のお菓子がずらりと並んでいた。手作りのクッキー、色粉をまぶした小さな団子、砂糖漬けの果物を練りこんだパン。道行く人々は軽やかな声を交わし、子供たちは頭に花飾りをつけて、風と共に駆け抜けていく。
「すごいですね、さすがは春祭」
そう漏らしたのは真新しいメイド服に身を包んだロゼットである。春先に真新しい制服が支給されるので、嬉しくてたまらずに袖を通したらしい。ふわりとした濃紺色のスカートに真っ白なピナフォアが揺れている。
「春先にこんなに晴れるなんて――運がいいですね」
トマファは時折吹く南風に書類を押さえながら口を開く。その横顔からは相変わらず柔らかい笑みを漏らしていた。クラーレは二人の様子を見やりながら、再び車椅子を押して歩き出した。
「キュリクスって春先はよく晴れるんですよ。ですからこの春祭が雨に降られたってのはあまり覚えが無いですね。まぁ、もともとこの春祭って雪解けと種撒きの目安ですし、主神の昼の力と夜の力の中間バランスの日ですから」
嬉々としたロゼットの声に、クラーレが「へえ」と目を丸くする。彼女は北方出身者のため、春先はどちらかというと曇天が多い。しかも雪解けはもう一か月ほど先なので、この時期にこんな暖かい方が珍しいのだ。
「まぁ僕らはキュリクスに赴任してもうじき一年です。しっかり春祭を記録して来年も良い祭りにできるようにしましょう」
「そうですね。――あ、あれがルツェル公国のサーカスですよ!」
ロゼットは人混みの向こうを見やりながら、ゆっくりと言った。無邪気に言った彼女だったが、ふとトマファとクラーレの表情に緊張が走った。「どうしたんスか、二人とも」
「いや、サーカスだなぁと思ってね」
クラーレが苦し紛れに言葉を紡ぐと、ロゼットは「はぁ、アニリィ様みたいにピエロが苦手なクチっスか?」と軽口を叩いていた。しかし二人にとってサーカスと聞けば、ハルセリアのあの表情を思い出してしまうのだ。トマファは口を真一文字に引き締めたままなにも言わなかった。ふと膝元で抱えていた書類を強く握りしめる。
彼らが向かっているのは町の中央広場で行われる、年に一度の「花嫁市場」の視察だった。
*
広場へと続く道を進むと、仮設の舞台と赤い布張りの屋台が見えてきた。装飾にはキュリクス周辺で育てられた花やリボンがふんだんに使われており、さながら野外舞踏会のようであった。人々の笑い声と幻想的で異国趣味な音楽があふれ、舞台の両脇にはリャマ族の娘たちが控えていた。
「ここが――花嫁市場ですよ」
ロゼットがそう言うと目を輝かせながら舞台へと視線を向けた。「キュリクス春祭の名物なんですよ。年ごろになった遊牧民リャマ族の娘たちのお見合いと顔見世の側面、あとはキュリクスの結婚式のトレンド発信にもなってるんですよ!」
華やかに着飾った娘たちが順に舞台に上がり、司会役が家名や持参品を読み上げるたび、男たちのざわめきが起こる。「あの子、噂のシェフツの次女だろ」「その子は銀貨何枚だ」「どの子が健康で子だくさんな家系だい?」――さまざまな値踏みが飛び交っていた。クラーレは唇を真一文字に引き結んだままそれを見ていた。トマファは冷静に見ながら記録帳にペンを走らせていた。
「トマファさんは何を記しているんです? かわいい子はいました?」
「実は――今年、開催するかどうかで審議したんです」
トマファは舞台を見据えたまま、ロゼットに花嫁市場を『女性のモノ化』についていろいろと話し合った経緯を語った。ロゼットは「中止したらキュリクスの女の子全員が暴動起こしますよ?」と笑って返した。やはり彼女らは一族挙げて少女たちに綺麗な衣類で着飾り、髪を編み上げ、アクセサリーを付けて化粧を施すのだ。しかもその衣装や化粧のセンスやスタイルが『その年の花嫁衣装の流行』として広まるため、見に来るだけでも大事な行事なのだという。中には舞台に立つわけでもないのに「毎年必ず見に行く」という少女も少なくないらしい。
「前に同じことをプリスカ君も言ってたね。――ってことはジュリアさんとかも?」
「あぁー。あいつは自分の道を極めてるじゃないですか――てかギャルだし――だから興味は――あ、ジュリアそこにいた」
「ジュリアちゃんの横にパウラさんも居ますね――ほら、向こうにはネリスさんやクイラさんも居るし。あぁ領主軍の非番の子らがあちこちに居ます」
クラーレはそういうとメモをとり始めた。トマファはペンを走らせて簡単にデッサンを描く。光画ほどではないが写実的に記録に残そうとしていた。そんな仕事中の空気なのにも係わらずロゼットが突然明るい声をあげた。
「そういえば――私、結婚するかもです!」
クラーレとトマファが同時にロゼットを見た。クラーレに至っては怪訝な表情を浮かべている。そんな様子に何も気にすることなく、ロゼットは耳まで真っ赤にしながら話を続けた。「あ、まだそんな話じゃなくて――恋をしちゃったんです」
ロゼットの話によると、出仕停止中のステアリンが発明した『シノワ』のデザインを持って金属加工ギルドに行ったら昔なじみのコルヴィって青年と再会したらしい。昔は鼻たれわんぱく小僧だったのがけっこうかっこよく成長していたらしく、思わず恋に落ちたと言う。
「はァ」とクラーレが気のない返事をした。普段は人の恋話はビタミン剤だと言い張る彼女なのに、この場に限ってはどうにも胸の奥がざわついて仕方がないようだ。舞台に立つ少女たちは、確かに綺麗だった。幸せを祈る家族や周囲の歓声も嘘ではないだろう。でもその熱気が、どこか見世物小屋のような胡乱さを孕んでいるように思えてならなかった。
「やっぱり花嫁衣装って憧れますよね! 特にあのコワル家の三女さんのドレス、着てみたいです!」
ロゼットは舞台を見ながら目を輝かせていた。
「ところで『売る』と『嫁がせる』って、違うんですかね」
クラーレの冷めたつぶやきに、ロゼットは言葉を失った。自分が熱っぽく話してもこれだけ冷めた返事が返ってくれば興ざめてしまう。次第にロゼットは何も言わず胡乱な表情で舞台の上を眺めていた。
「僕は全く違うと思いますよ。『売る』だったら女の子たちの意志は反映しませんが、『嫁がせる』だと両性の同意が大原則だと思うんです。前に長老マザル殿が言ってた通り、『選ぶのは娘』みたいですし。もちろん、この仕組みの是非を問うことは必要ですが、それを記録する側の私たちが“私情”で歪めてしまったら、文化の真価を見誤ることになる。制度の光と影を分けて見るのが文官の役割です。ですからクラーレ君、あまり強い感情を報告書に持ち込まないようにしてください」
トマファは静かに告げた。クラーレは小声で「ごめんなさい」と言うと俯いてしまった。
「僕もキュリクス近郊のクリル村出身ですから花嫁市場は知ってるんです、まぁリャマ族のではなくガーボル族のですが。――まぁクラーレ君は不快かもしれないけど、それを言ったら貴族のデヴュタントも同じじゃないかな。年ごろの女の子が貴族の娘としてお披露目し、親同士で決めた男性と婚約する。それとこの花嫁市場に大きな違いは無いと、僕は思うんです」
クラーレはトマファの言葉を聞いてごくりと喉を鳴らした。確かに貴族文化でそういうのがあると庶民出身のクラーレも聞いたことはあるし、娯楽小説でもその手の話は多い。――ついでに真実の愛に目覚めて王太子が公爵令嬢に婚約破棄するって流れも随分前に流行ったが。
「今日は仕事とは言っても春祭の視察です、帰り道に甘いお菓子を買って帰りましょう――領主館の文官が怖い顔してたら民たちも興ざめしちゃいますよ」
なるべく言葉を選びながらトマファは笑顔でそう言った。「そうですね」と今日初めてクラーレは表情を緩めたのだった。
ふと会場内に吹き込んだ春風が、花嫁たちのドレスの裾を静かに揺らしていた。
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・中の人の独り言
「真実の愛に気付いて婚約破棄した王子」って、やっぱり相手の令嬢に手切れ金(契約解除の慰謝料)を払うのかねぇ?
法律関係の仕事をしていると、常々考えてしまうのです。




