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54話 武辺者を追い出したあとの新都エラール・5 =幕間=

 王太子の消息不明が公式に発表された翌日。


 王宮内のあちこちに淡々とした文書が配られた。それは『王太子の失踪に関する調査協力のため、下記の文武両官は速やかに参集されたい』と書かれた召集状。差出人は、カルビン・デュロック政務官となっていた。


 しかし招集場状を受け取った者たちは顔をしかめた。「誰、こいつ?」である。カルビン・デュロックという名に覚えのある者などほとんどおらず、彼が“政務官”を名乗ることにも強い違和感があった。


「そもそも政務官ってどういう役職だよ」「いや、調査協力を願い出るのに参集って何だ?」


 そんなざわめきが水面下で交わされていた。だが文面はあくまで穏当な語調を装っていたが、裏に込められた意図は明白だった。協力を拒否すれば、「王太子の失踪に関する調査で非協力的だった」という記録だけが残る。それは後日、処罰の口実に転じる――その仕掛けを組んだのは、他でもないカルビン・デュロック本人である。


 召集状に署名を終えたカルビンはレピソフォンの私室に控えていた。重々しい沈黙のなか彼は淡々と告げる。


「ノクシオス卿以下、上層の連中はすでに逃亡済みです。残った中間層を今のうちに抑えます。拒否者は全員“協力の意思なし”として記録。あとで改易にできますよ」


 椅子に腰掛けたレピソフォンはその書状を一瞥しただけで言った。


「好きにしろ。お前の芝居に期待している」


 その言葉にカルビンの口元がわずかに歪んだ。


「お任せください。汚物は一掃致しますから」


 *


 その日の午後。

 政庁前の広間に数十名の文武両官が集められた。呼び出されたのは、庶務官、記録官、筆録補佐、書庫番、女官見習いに武官など、いずれもノクシィ派の周辺で働いていた者たちだった。


 召集状の差出人欄に記された「カルビン・デュロック」の名に、やはり何人かが顔をしかめる。


「誰だ――? こんな名前、政務室でも聞いたこともないぞ」 「レピソフォン殿の、取り巻きの一人らしいぞ?」 「はあ? なんでそんな奴に調査協力が扱えるんだ?」


 だが誰もその疑問を口に出しては続けられなかった。今はただ命じられた通り政務棟へ赴くしかない――そんな空気が、全員を押し黙らせていた。彼らは顔を見合わせ、互いに表情をうかがいながら、足並みそろえて政務塔へと歩いていった。広間には、重苦しい沈黙だけが満ちていた――。


 政務棟南側の奥、かつて議政会議が行われていた古い石造りの部屋に、即席の審問所が設けられていた。蝋燭の明かりだけが頼りのその空間には、長机が一つ、その背後に腰かける男がいた。

 その黒衣に銀鎖をかけたその男――ブランデル・コール宮廷弁務官は書類の山を前に、指先で眼鏡を持ち上げた。前に立つ文官に向かって、彼は実に丁寧に、実にまわりくどくて聞き取りづらい調子で口を開いた。


「すなわち、当該日時において貴殿が所在していた空間的範囲と、そこで担っていた実務的役割について、現時点においてもなお記録的裏付けが伴わない場合には、それは消極的協力義務の不履行と見なされる可能性が制度上ございます。その上で貴殿はどちらへ?」


 文官は顔を引きつらせた。「――記録室におりました」


「ふむ、記録室と申されますが、その所在において誰が視認しましたか? すなわち証人、同行者、または監督責任者の存在について、記憶の範囲でお答え願えますか」


「え、いや……たぶん、庶務官のエルムス様が……」


「“たぶん”は、確証性を欠きますな」


 ブランデルはにっこりと笑った。だがその目は笑っていなかった。


「次に問います。王太子殿下より、何らかの私的連絡、あるいは伝達物を、直近で受け取ったことは?」


「――そのようなことは、ありません」


 答えた瞬間、部屋の片隅で甲冑がわずかに鳴った。護衛の兵が腰の剣に手をかけたまま無言で立っている。

 沈黙が落ちた。


「なお審問において黙秘は制度上許容される選択肢としては認定されません。よって不誠実な回答、あるいは回答拒否と見なされる応答には相応の対応が措置される場合もありえます」


 だが、全員が従順だったわけではない。

 別の文官――年配の法務書記官が一歩前に出て、ブランデルを真っすぐに睨んだ。


「相応の対応が措置される? ここは法治国家ですよ? その“相応の対応”とやらがどんなもので、どの法に基づくのか、明確にご説明いただきたいですね」


 室内の空気が凍った。ブランデルは眉ひとつ動かさず、静かに眼鏡を指で押し上げた。


「質問への返答ではなく、逆質問でございますか。――理解しました。後ほど、別室にて詳細にお話をうかがいましょう」


 その声は変わらず穏やかだったが、すでに兵が動き始めていた。法務書記官は連行されながらも、一言だけ残した。


「私は誇りを持って記録しました。王命を捻じ曲げるその手口が、後の歴史にどう記されるか、楽しみにしておきましょう」


 誰かが息を飲む音だけが響いていた。その日、ひとつまたひとつ、ひたすらに回りくどい尋問が淡々と続けられた。だがそれはもはや“調査”でも“協力”でもなかった。最初から結論が定められた評決に、誰もが「はい」か「えぇ」かを選ぶしかない、滑稽で冷酷な儀式だった。真実ではなく従順さだけが求められていた。


 *


 翌朝。

 王宮広間の掲示板に処分通達が張り出された。

 筆頭は記録局の若手筆録補佐、エルムス・トール。反省文を読み上げたのちに降格、地方官庁へ左遷となった。

 続いて、書庫管理官のレセナ・ユール。事情聴取に非協力的であったとして、休職処分。

 そして、もっとも重い処分を受けたのは――法務書記官、セルド・ネメト。

「審問妨害および国家秩序の混乱を招いた恐れあり」として、北方辺境の迷宮都市ヴィルフェシスへの配属、実質的な流刑処分であった。


 その掲示を見た誰もが、内容よりもその手続きの速さに背筋を凍らせた。わずか一日だ。抗弁の余地も再審の道もない。弁護士すら立ち会わないこの審問においては罪刑法定主義という言葉すら最初から存在しなかったかのようだった。


 政務室に戻ったカルビン・デュロックは、書状を片手に苦笑した。


「これでようやく王宮が静かになる。騒がしいだけで袖の下の入れ具合でしか物事を動かせなかった連中だ。法も理も踏みにじる金満腐敗政治に楔を打ち込むには、こうするしかないんだよ」


 対面に座るブランデルは何も言わずただ静かに一礼した。

 このブランデル、若き日に高等学院を首席で卒業しながら派閥争いと袖の下の文化に馴染めずに、いつしかノクシィ派からも距離を取られた。制度の正しさを信じていたが、信じる制度は腐り、頼るはずの正義は値札付きだった。だからこそ彼はカルビンの提案に応じたのだ。暴力を正義と認めたわけではない。ただそれが腐った手続きに対する裁断になると信じたのだ。


 自分を爪弾きにした者たちを“制度”という仮面をかぶって裁くこと――それこそが、彼の選んだ正義の形だった。それは法治国家を標榜する王国では狂気でしかなかった。

 その直後、カルビンが机越しにぽつりとつぶやく。


「……お前も、王子様に忠誠を誓ってるわけじゃないんだろ?」


 ブランデルは眼鏡の奥で目を細め、わずかに口元を緩めた。


「ええ。私は正義を誓っています。だいたい、あの王子様は“正義”というより“象徴”ですからね」


 カルビンは声を立てずに笑い、椅子を軋ませた。


「そうか。それで十分だよ」


 *


 キュリクスの領主館に一通の手紙が届いたのは、王都の政変劇から十日後のことであった。


 差出人はエラール旧館の留守を預かる元執事ジェルス。その筆跡は老いてなお整っていたが、明らかに文字に震えが滲んでいた。そう、怒りに打ち震えていたのだ。いつも冷静なジェルスがここまで感情を滲ませて手紙を送ってきたことは未だ一度も無かったことである。


『孫娘のパーシャルが泣きながら帰って参りました。あの審問を目の当たりにしたのです。あの子は中道の立場ですが王太子様には秘かに心を寄せておりました。そのせいか、審問と言うより断罪するだけの処理に涙が止まらなかったようです』


 手紙には奥宮の静寂、そして王太子が出奔する前後の混乱も綴られていた。


『王太子殿下が発作を起こされた晩の翌日には部屋は既に片付き、誰もおりませんでした。女官たちは不審そうに『出て行かれた、どこかに隠れた』とあれこれ囁き合いました。そして翌日、兵たちは王太子殿下保護の体で奥宮の扉を叩きました』


 そして、娘パーシャルの言葉として、こう記されていた。


『人が壊れる音がしました。声じゃありません。心の音です。希望とか忠義とかそういうものがぽきんと音を立てて――砕けました』


 文面を読み上げていたトマファの声が、そこで一瞬止まる。応接室にいたヴァルトア、ユリカ、そしてオリゴが静かに耳を傾けていた。


 そして「トレハ」の名が書かれた箇所に差し掛かると、オリゴがわずかに身を乗り出し、無言のまま手紙を取り上げる。その動きは丁寧でありながらどこか切迫していた。


「ラダミアも一緒なんでしょ?」


 ユリカがそう言ってオリゴの肩に手を置く。「それなら、トレハちゃんは簡単に死なないわよ」

 オリゴはかすかに息を呑んだまま、うなずいた。


「てか、ラダミアって王太子さ――レオナ殿の乳母やってたの!? あいつ、ラッセルのおっちゃんにマジ惚れしてたんだよねぇ、ヴァルちゃん」


「あ、あぁ――。俺は生前の王后様からそれとなく聞いてたが、今も仕えてたのは知らなかったなぁ」


 ユリカは少し笑って、椅子にもたれたまま天井を仰ぐように言った。


「ラダミアってね、あれでも昔は結構な猪突猛進だったのよ。戦場でも恋でも。私、あの人と一緒に矢避けながら王都の門くぐったこと、今でも覚えてる」


 ヴァルトアも苦笑した。「あぁ、あのときの戦線だろ? たしかにラダミアは凄かったな。あの気迫は敵の兵士よりも怖かったもんな。――そういや、矢が飛んできたとき、あいつ、俺を庇ってあいつの顔にかすめたんだ。あれが原因で、しばらく眼帯生活だったんじゃなかったか?」


「そーそー! 何かあれば身体を張って守るタイプだから! 大丈夫よオリゴちゃん。あの子が本気で守ると決めたならトレハちゃんは絶対に無事だから」


 そして、ヴァルトアが椅子の背にもたれたままため息をついてから、ぽつりと呟く。


「――そろそろ動く時が来たかもしれんな」


 手紙の裏面には、小さな文が添えられていた。


『追伸。王太子様は今もどこへ落ち延びたのかは判りません。 ――ジェルス』


 そこへ、隣室から慌ただしい足音。


「ヴァルトア卿、遅れました!」


 扉を開けて飛び込んできたのは、文官服姿の“レオナ”であった。眉の汗を拭いながら、息を切らしている。


「――レオナ殿、文官部屋にからこの執務室に来るだけなのにどうやって迷子になるんだ?」


 呆れたように言うヴァルトアに、トマファが肩をすくめた。


「レオナさんは方向音痴ですからね――よく奥宮から脱出出来ましたよね」


「え? あぁ! 『出口はこっち』って、あちこちに貼ってもらったんですよ! それでも途中で洗濯部屋に入ったりトイレに入ったりしたんですけどね!」


 思わず全員が息を呑む沈黙のあと、ユリカが噴き出すように笑った。

 緊張と暗澹が支配していた空気がわずかに緩んだ瞬間だった。そして誰も言葉にしなかったが確かにそれは恐怖だけではない何かが芽吹く気配だった。そして静かながらも希望と怒りの芽は確かに息づき始めていたのだった。

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