1.アテのない心
1.アテのない心
思えばあの頃からわたしは、落ち着いて空を見上げることが無かった。快晴であれば、陽射しを感じて自然と空を見やることもあるだろう。雨が降れば降り方の強弱に関係なく、いつ止んでくれるのかを気にして、しきりに空を気にするはず。
地元の高校を卒業し、どこかの大学に当たり前のように進学する。これはわたしには当てはまらなかった。何故かと言われると、答えを即座に答えられないから。さしあたって特に行きたい所は無く、やりたいことも見つからずに日常を何となく過ごしていた。そんな平平凡凡なつまらない答えしか出てこない。
共学だったこともあり、卒業式を終えたわたしの元には、3年間ただの一度もまともに話したことのない大人しくて真面目そうな1人の男子が、わたしの名前を呼び深々と頭を下げながら告白を口にしたのを思い出した。
「最上 瑞さん。俺は、君が好きでした! お互い、卒業するけどこれを言わずに未練を残したくなかったです。俺の告白で最上さんとこの先をどうこうしようとは思っていません。これで3年間のつかえが取れました。それでは失礼します!」
3年もの間、ずっと想いを募らせたままで生活を送っていたのだろうか。部活や祭り、休み時間。何かしらの機会はどこかにあったはずなのに、今どきにしては引っ込み思案な男子だったのを思い出した。
それともやはり、好きになった女子にはそう簡単には近づけない。そんな純粋な想いを募らせる男子は世の中に多少なりとも存在しているのだろうか。などと、思い浮かべてしまった。
高校卒業と同時に、わたしがしたことは就職だった。何のツテも無ければ、試験も受けなかったわたしに対して、父親から意外な言葉をかけられたことがわたしの行く道と出会う運命を決めたと言っていいのかもしれない。
「瑞が嫌でなければ、紹介するがどうする?」
行きたいところ、やってみたい仕事は自分の中には存在していなかった。父の言葉は存在の在り方を教えてくれる気がした。わたしは前向きな返事を返した。
そうしてわたしは、縁故入社といった形で地元にあった中小規模の工場の事務員として、働くことになった。俗に言う、親の力で入った新入社員だった。
わたしの父は、長年勤めている工業系の会社で管理職を任されていた。そのせいか、他企業との接待も多く、まともに家にいることの方が少なかった。唯一、朝の出勤の時だけは顔を合わせて挨拶をしていたくらいに、父とまともに会話をしたことがなかった。
そんな父の娘に対する秘めた愛情を、今になって縁故入社という形で出してこようとは思いもよらなかった。元々言葉少なな父。わたしの入社時だけは、明るい口調で言葉をかけてくれたのが印象に残っている。
「瑞、頑張れよ」
「あ、はい」
実の親子ですらこんな会話しかして来なかったのに、わたしに会社勤めが勤まるのだろうか。基本的に、工場で働く作業の人たちとは顔を合わせても会話をすることが無かった。それがわたしの仕事だった。
「おはようございます」
朝の挨拶だけは小さな会社で働く全員が、声を合わせてする程度だった。その後は、日が沈む辺りまで電話の取次ぎと、発注した請求書や伝票などの数字を原本と照らし合わせながら、ただひたすらに入力していく。そんなような内容だった。
平日はその繰り返しを行ない、土日の休みはどこに行くでもなく自分の部屋で呆けるように過ごす日々を送っていた。高卒の新入社員だったわたしは成人を迎えるまでに、何かの目標が自然と浮かび上がって来るのか、正直言って不明だった。不安を抱えることの無かったわたしを心配する人は残念なことに見当たらなかった。
そんな日々の中、ふと思い出したのは卒業時に告白をされたことだった。進む道も目標も見つからなかったわたしだったけれど、そういえばわたしは好きな人は今までいたのだろうか。意識というものを、高校卒業と仕事を始めるまでに、男性に対してしたという覚えが無かった。
在学中、周りの友達たちには彼氏と呼ばれる男子がいた。友達と一緒にいた彼氏と、話をしていたわたしは何をどうすれば目の前の人を意識するのだろうか。そんなことを淡々と感じる程度で、好きと嫌いを思うことが無かったような気がしていた。
「最上は夢中になれるものが、今はまだ見つかっていないだけだと思うよ」
友達にはいつもそんな言葉をかけられていた。何かに夢中になれば相乗効果で人を好きになり、夢中にもなれるのだろうか。そんな運命が待っているとしたら、いつでもいいので叶えて欲しい。
仕事をして気付けば1年。残念なことに、わたしは父親に悪いと思いながらも縁故の会社をあっさりと退社することになった。
父の期待を裏切り、悲しさを植え付けてしまったと一時期は後悔もしていたけれど、わたし自身が決めた道では無かったんだと反省し、自ら決めた道を歩むことを決めてしまった。
会社勤めを1年、わたしはようやく自分の行く道を決めた。20歳になる直前に勉強を頑張り、社会人枠での入学を決めた。
何となく先に社会人となったわたしだけれど大学生として何かを見つけ、誰かとの出会いを見つけて行ければいい。そんな想いを胸に秘めたまま、もうすぐ3年が経とうとしていた。
社会にいち早く出てしまったわたし。たった二つの歳の差。現役かそうでないか。その壁を未だに破ることが出来ずにいた。同じゼミの子とは話が出来るのに、仲がいい友達なんかはまだ出来ていなかった。
3年と言うと就活に向かって忙しくなる学年。それに該当しないわたしは、思い切ってサークルを探し始めた。無駄だと分かっていても、歳の差に関係の無い集まりなら見えない何かを見つけ出せるかもしれない。漠然とした想いを持ちながら、ようやく壁を壊せそうなサークルを見つけた気がした。
「わたし3年ですけど、いいですか?」
「全然、余裕ですよ。むしろ年上の人が居た方が面白くなりそうなんで、是非お願いします~」
今の今まで、積極性に欠けていたわたしの3年間。3年目から出して行けたら、何かが変わるきっかけになるのかもしれない。そう思いながら、彼と彼女たちの部屋の空間に足を踏み入れた。




